しげぼうの言いたい放題


・真珠湾奇襲ルーズベルト陰謀説を斬る!(2018年12月08日)

本日、12月8日は日本がアメリカハワイの真珠湾を奇襲し、日米戦争が開始されて77年となる日である。 あの戦争は誰が見ても日本の間違った戦争ということで一致していた。 サンフランシスコ平和条約もそれを前提として日本、アメリカ、その他の国々と成り立っている。 ところが、ネットや書籍では、アメリカの時の大統領フランクリン・ルーズベルトが第二次世界大戦に参加 したいため、日本に先制攻撃をさせるために仕向けたものだ、という言説が多く出回っているのに驚かされる。 当事国のアメリカにもこういう考えの人がいるようである。 そうした人の大半は、どうやら日本国内の極右派、あるいはアメリカ国内で、民主党やルーズベルトを嫌う共和党関係者のようだ。

ことの始まりは、1931年の日本の関東軍自作自演の「中国軍、満鉄爆破」で満州事変を発端とし、 日本が満州国を作り事実上の植民地した後、1937年7月の盧溝橋事件を発端とした日中戦争から始まる。
アメリカは、この時「中立法」を制定しており、戦争当事国にはどちらにも武器を売らないようにしていた。 日本も戦争ではなく「支那事変」などと呼び、アメリカもこのときは、中立法を発動しなかった。 但し、アメリカは日本の行為を侵略とみなし、非難していた。
決定的に日米関係がおかしくなったのは、1941年7月の日本が南部仏印(フランス領ベトナム)に侵攻してからだ。 これにより、アメリカは日本に対して、石油の輸出を禁止した。 南部仏印に侵攻したのは、蘭印(オランダ領インドネシア)に侵攻して石油を奪うための拠点になるからであった。 そうして、日本は1か月半と期限を切り、その間に対米交渉が決裂した場合アメリカとの戦争をすることを1941年9月6日時点で決定してしまった。 その後、日本とアメリカは交渉するが、互いに平行線となり、1941年11月26日、日本は真珠湾攻撃に向けて機動部隊を出撃、 翌1941年11月27日、アメリカ国務長官ハルのいわゆる「ハル・ノート」の内容が日本側に届くが、日本にとっては受け入れ難く、 1941年12月8日、日本は真珠湾奇襲を予定通り行ってしまった。

ここでハル・ノートの詳細を示しておく。
一、 日米両国はイギリス、支那、日本、オランダ、ソ連、タイとともに多辺的不可侵条約の締結する。
二、 日米両国はアメリカ、イギリス、支那、日本、オランダ、タイ政府間に仏領インドシナ(仏印)の領土主権尊重に関する協定を締結する。
三、 日本は支那及び仏印より一切の陸海空兵力及び警察力を撤収させる。
四、 日米両国は重慶政府以外のいかなる政権をも軍事的、政治的、経済的に支持しない。
五、 日米両国は支那における治外法権(租界及び義和団事変議定書に基づく権利を含む)を放棄する。
六、 日米両国は新通商条約締結の交渉に入る。
七、 日米両国は相互に資産凍結令を廃止する。
八、 円ドル為替安定につき協議する。
九、 両国政府が第三国と結んだいかなる協定も、本協定の目的即ち太平洋地域全般の平和と矛盾するが如く解釈されてはならない。
十、 以上の諸原則を他国に勧めてそうするように仕向ける。
この中で、三、四、五、が日本の中国における既得権益を放棄する厳しい条件だったため、 ハル・ノートが日本に対する最後通告で、戦争やむなしと当時の日本は判断し、現在の日本の保守層なども対米戦争を正当化している。
だが、三、四、五を除けば極めて友好的平和的内容となっている。 九は、日独伊三国軍事同盟を暗に批判し、日本に離脱を促す内容である。 全体としては1931年満州事変前の状態に戻しさえすれば、経済制裁も全て解除するとのことである。 日本に対して最後通告をして戦争をしようというよりも、日本をアメリカ、イギリスなど連合国陣営に誘うような内容である。

ハル・ノートに対する日本の対応は3通り考えられた。
1.基本的に受け入れる。
これで互いに収まれば、ルーズベルトはノーベル平和賞を取ったかも知れない。
満州の扱いをどうするかの話し合いの余地があったとして、これが出来れば日米双方にとって一番都合が良かったであろう。 日本も、中国から撤収してもまだ、台湾、朝鮮半島、南樺太は残るし、これでアメリカから経済制裁解除ならよしとすべきだった。 日独伊三国軍事同盟も、冷静にドイツの戦い方を見ていればその当時でもはっきり凋落の兆しがあり、 そもそも日本と距離が離れており切り捨てて構わなかった。 日独伊三国軍事同盟は、あくまでソ連が中立であることが前提であって、独ソ間、日ソ間で不可侵条約があったが、 ドイツが一方的にソ連に攻め込んだ時点で意義がなくなり、却って日本も自動的にソ連の間接的な敵となってしまうため、 見直すべきであったのだ。 (戦争末期、ソ連が日ソ不可侵条約を破って日本に宣戦布告したが、早いうちドイツと手を切っていれば、もしかしたらソ連の攻撃は避けられた可能性もあった)
2.無視するが、アメリカに戦争は仕掛けない。
イギリス、フランス、オランダの植民地のみをターゲットとする。 ハワイ、フィリピン(アメリカの植民地だがルーズベルト政権発足後1年後の1934年にフィリピン独立法が制定され10年後の1944年に独立することが決まっていた)は攻撃対象からはずす。 これでもアメリカは、日本を非難してきただろうが、アメリカ国内の反戦ムードもあって、 アメリカから宣戦布告する可能性は低かった。 結果アメリカと戦わない分、日本の南方進出がもっと楽に出来ていたであろう。 (それでもイギリスなどとの戦争が泥沼化はしただろうが。) そして、日本はヨーロッパの植民地支配からアジア諸国を解放する正義の戦争(現在の日本の保守層の言い分)を主張出来た。 但し、本当に正義の戦争になるかは日本が欧州人を追い出した後、原住民が納得するような関係を築き、 将来の独立の手助けが出来たかは別問題。現実にも、太平洋戦争で欧州から奪った植民地の住民から日本は有難かった、 という声は殆ど聞かれなかったのが実情。以前よりひどい扱いをされた、という声の方が多数だったが。
3.無視して、アメリカに開戦。
現実はこうなった。結果は皆さんご存じの通りである。 日本はこうするしかなかった、アメリカはこうなることを望んでいたという声が最近目立つ。 本当にそうだったのか検証してみよう。

ルーズベルトは、日本嫌いで「日本人の頭蓋骨は欧米人より2000年遅れている」などと言っていたそうだが、 それは当時の軍国日本を見ての発言であり、非公式の場で酒でも飲みながら言った程度に過ぎない。 (私も当時の日本の軍人などを見れば確かにそう思うが。)
日本軍が奇襲を行うのを知っていながら、それを国民に隠していたという批判もある。 だが、そんなことは当時のアメリカに限った話ではない。 敵の暗号を解読しても、その内容に対策を立てたり公表したりすれば、敵が暗号を解読されたことを悟ってしまう。 欧米諸国では敵の深層心理を探るためよくあることだった。 (同時期のイギリスもナチスの暗号を解読して、ある都市が空爆されることを知ったが敢えて対策をしなかったことがあった。) 実際アメリカは、日本がアメリカに奇襲をかけてくる可能性は早いうちにわかっていたようだが、 いつどこが狙われるかまでは察知していなかったようである(*1)
ルーズベルトはニューディール政策がうまくいかず、アメリカ経済を活性化させるために戦争を起こしたと言っている人もいる。 だが、そもそもルーズベルトは就任当初から戦争を行った国にはどちらにも武器供給を行わない、と中立法を制定したくらいなので、 戦争による経済活性化という考えがあったとは思えない。 ナチスの勢力急拡大、日本の中国進出があまりにも目に余ると見てやむなく、イギリス、中国などを支援に踏み切ったように見える(*2)。 経済の面でも日本はアメリカの貴重な貿易相手国だったので戦争は避けたいというのが本音だったのではと私は考える。 戦争になったことで結果的にアメリカが好景気となったのは事実であるが、敢えて狙ってそうなったとは言えない。
そもそもハル・ノートは、その名の通り単なるハルのメモ書き程度のものであり、国家としての明確な意思表示ではなかった。 ハル・ノートの冒頭には「試案ニシテ拘束力ナシ」とある。 これは、最後通告という趣旨のものではなく、これをたたき台に話を進めましょうというものであった。 期限を区切って、いつまでに中国から撤退しなければ武力行使に踏み切る、なんて言っていれば明らかな挑発行為となるが、 そういうことは一切言っていない。
ハル・ノートの内容が気に入らなければ、辛抱強くアメリカと交渉する余地はあった。 どうしても駄目ならハル・ノートを無視して、真珠湾に向けたエネルギーを南方の資源確保に専念する方がまだよかった。 ところが、日本はハル・ノートを受け取る以前に既に既定事実としてアメリカ奇襲攻撃に走っていったのである。 ということはその前の対日石油輸出禁止が大きかったのだろうが、それは武力行使の正当な理由にはならない。 現在の日本も北朝鮮の拉致や核問題などで北朝鮮に経済制裁を行っている。経済制裁=軍事挑発ととれば、 もし、北朝鮮が暴発して日本に核でも打ち込んで来たら、北朝鮮は自存自衛のやむなき行動だったと我々日本人は認めなければならなくなる。 超えてはならない線を越えなかっただけ、昔の日本より今の北朝鮮の方が利口であることだけは間違いない。
さて日本が戦いを挑んだアメリカだが、大きな国土を持ち経済的に日本より遥かに豊かな大国であった。 そのころの国民は現在と異なり戦争は大嫌いであった。 ルーズベルトも対外戦争を避けるばかりか、植民地(中米、フィリピン等)を解放する政策を取っており、 1941年8月の大西洋憲章でもその方針を鮮明にしていた。
そういう相手の平和外交路線に対する侮りも日本側にもあった(ナチスドイツのような攻撃的で勇ましい国を強い国と日本の軍事関係者は考えていた) のだろうが、アメリカに戦争を仕掛けてしまった。 もはや、眠っていた獅子を無理やり起こし戦況を著しく悪化させただけでなく アジア植民地解放の大義も自存自衛の大義も完全に失ってしまった。 アメリカは戦ってみると想像より遥かに強い国でたちまち日本は敗退を重ね、更には降伏のタイミングも逃し原爆投下までされ完敗した。 本国を残し明治以降の植民地は全て没収されてしまった。

ちなみに、先程のハル・ノートに対する日本の対応3通りについて、アメリカはどれが得だったのだろうか。 ルーズベルトやハルは落としどころは先の1、2、3のどこを目指していたのか。
日本の右派やアメリカのルーズベルト嫌いの人は3だというであろう。
私はそうは思わない。 現実は3となったが、実は日本が1、2、3のいずれの態度を取ろうと、アメリカに取っては都合がよいのだ。 実現性は別として1が一番よいのは当然。2の場合は、アメリカ以外の国々が勝手に戦争して消耗してくれるので、 長期的には無傷のアメリカが一番強くなる。
要は、第二次世界大戦が起きても決して自分から武力行使に踏み切らない、 というスタンスを取った時点でアメリカは既に勝っていたのである。 その裏でもし、自分達が侵略されたらすぐさま反撃し、徹底的に相手を叩き潰す、という準備もしっかりしていた(*3)。 こういう先の見通しが立てられるのが良い指導者と言えるのである。 その教訓は現在でも通用する。
日本は、軍部政治家とも客観的な世界情勢を分析する力がなく、ドイツを過大評価、アメリカを過小評価していた(*4)最初にアメリカに奇襲をかけてやれば、相手はびびって何も言えなくなるだろう、くらいの軽い考えで、 相手がこう来たらこうしよう、という先読みの力がなかった。 何のための戦争なのか、目的自体が曖昧だった。 満州制圧の後、北進か南進かさんざん迷って南進と決めて大東亜共栄圏構想を発表するも後づての理屈としか見えず、 一貫性のあるルーズベルトの大西洋憲章とは大違いであった。 これでは勝てるはずなど全くない。
しかも、自分の国の兵士を爆弾とともに敵に突っ込ませたり、民間人までも敵の捕虜になる前に自殺を強要するなど、 これだけ自国民を虐げた戦争を行った国は、それまで世界史上例がなかった。 現在では、イスラム過激派などが、自爆テロなど行うことが多いが、その源流は軍国日本にあったのかと思うと何とも嘆かわしい思いである。

日本人は降伏後、まったくアメリカ占領軍に抵抗することはなかった。 解放軍として歓迎する者も多かった。 日米関係は現在まで殆どこじれることなく至っている。 アメリカに抵抗する勢力はあることはあった。 だがそれは、ベトナム戦争反対運動やイラク戦争反対運動、駐留アメリカ兵士の強姦に対する怒り、 など太平洋戦争とは無関係の要因によるものである。 ルーズベルト陰謀説を唱える人も本気でアメリカに謝罪を求めるようなことはしていない。
2003年のイラク戦争で、アメリカはイラクを民主化すると言って、イラクを先制攻撃して戦争には勝ったが、 反米の怨念があちこちで起こり、ISのような反米過激組織が出来てしまった。
この違いは何か。戦争は先に手を出した方が結局は失敗するということではないか。 ルーズベルトは誰よりもそれがわかっていた人なのである。

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(*1)
仮にルーズベルトが真珠湾奇襲を知っていて放置していたとしても、日本が真珠湾攻撃したことの正当性があったかは全く別の話である。
ルーズベルトが真珠湾奇襲を知っていたら、ルーズベルトをとやかく言う以前に、日本の海軍の機密管理が余程杜撰だったという話になる。 が、当時の日本の海軍の機密管理は完璧であった。機動部隊が真珠湾に向けて出撃してからは通信機を封鎖しており 唯一「ニイタカヤマノボレ1208」を発信したのみ。只それはアメリカは傍受していなかったということだ。 また、暗号のニイタカヤマは、当時日本の植民地だった台湾の一番標高の高い山のことである。 仮に傍受して言葉通りにアメリカが受け取ったとしても、「日本軍は登山でもするのか?」、少し突っ込んだ解釈をすれば、 「台湾にいる日本の部隊にフィリピンのアメリカ軍を監視しろ」くらいの意味にしか捉えられない。 むしろ、アメリカ、フィリピンには攻撃しないで英仏蘭の植民地のみターゲットにし、万一フィリピンのアメリカ軍が動くようなら叩く、 という作戦ではと思うだろう。これが真珠湾攻撃を意味するとは常識では考えられないものだ。それくらい機密情報に関して日本はしっかりやっていた。
真珠湾奇襲のあったころのアメリカは、日本の外務省の暗号は解読していたが、日本海軍の暗号は解読出来ていなかったというのが定説となっている。 しかもその外務省には一切真珠湾攻撃のことは知らせていなかった。 これらの状況からルーズベルトが真珠湾奇襲を事前に知ることは困難である。
実際に日本海軍の暗号が解読されたのは、1942年の中旬くらいでそれがミッドウェー海戦のアメリカ軍の勝利に結びついた。

(*2)
アメリカ人の大半は、日本の中国に対する行動は日本の侵略行為とみなし、蒋介石政府を助けてやれという空気であった。 蒋介石の奥さんが美人であったこともあるが、夫婦二人で一生懸命悪い日本と戦っていると見て、何とか助けてやれと思っていた。 その思いは、ルーズベルト以上に強く感じていたかも知れない。 但しアメリカ国民は、戦争をしてでも、ということは思っていなかった。 ルーズベルトが日本に経済制裁を行い、ハルノートを示したのは、アメリカ国民の意見、同盟国への配慮、 そして日本の顔もある程度立てるというバランス感覚、調整力によるものであり、決して陰謀で何かを企むものではなかったと言える。

(*3)
ルーズベルト陰謀説を唱える人、否定する人ともにこれは殆ど全く触れられていないが、1940年の6月、ナチスドイツがフランスを占領してから、 ルーズベルトは既に徴兵制を実施していたのだ(無論ドイツから攻撃を受けた場合の防衛として)。 この徴兵制について国民から反対の声は少なく当然のことと受け取られていた。 事実、その数か月後に大統領選が行われルーズベルトは三選を果たしている。徴兵制と大統領三選、この2つの順序は決して逆ではない。 「ルーズベルトは戦争がしたかったが、アメリカ国民が戦争を嫌がっていて、大統領三選のときも『あなたの子供を絶対に戦地に行かせません』と騙して戦争に誘導した悪党だ」 と主張する人がいる。 いくら戦争には参加しないと言っても自衛のための戦争さえ出来ないとは決して言っていないはずである。恐らくルーズベルトの言葉の一部を切り取った印象操作と言える。 ルーズベルトは国民にリスクがあることでもきちんと事前に説明していたのだ。選挙に勝ったら公約になかったことを平気で行う現在の安倍内閣などとは違う所なのである。
そうした戦争の準備は無論、完全なものではなかった。真珠湾攻撃のような空母(航空機を沢山積んだ軍艦)を集中活用するような戦術は想定していなかった。 それは、アメリカだけでなく、世界中の国が想定していなかったものだった。 そのため、戦争の初期は、日本軍に押されていたが、日本のことを研究、学習し、同じ失敗をしないように努力した。そして逆襲して徹底的に日本を叩き潰したのである。

(*4)
ソ連に関しては、概ね妥当な判断は出来ていたようだ。 日本は、1939年ノモンハンでソ連軍とぶつかり手痛い敗戦を経験をしたこともあったのだが、ソ連と不可侵条約を結んだことは一定の成果はあった。 戦争の終結が遅れて最後はそれすら無駄になってしまったが。
最も当時の日本の政治家や軍人の諸外国に対するイメージは、あくまで、ドイツ>ソ連>アメリカの順であったようだ。 ドイツが独ソ不可侵条約を破棄して一方的にソ連に侵攻したとき、 当時、近衛内閣の外相だった松岡洋右は、息せき切って宮中に乗り込み、昭和天皇と面会し 「すぐにソ連と戦いましょう。ドイツは6週間でソ連を占領すると言っています。この際ドイツと一緒にソ連を叩いてしまえばアメリカは何も言えなくなります。」 と言って、昭和天皇から酷く叱られたそうである。ちなみにその2か月前、日ソ不可侵条約を結んだのはその松岡本人である。


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