今上天皇が2019年4月30日に退位し、翌5月1日より現在の皇太子が新天皇に即位する。 現在約8か月の余裕があり、その間にコンピュータシステムや役所の書類のフォーマット等、大幅な改修が行われるはずだ。 私のようなIT技術者でも、これからは顧客のシステム改修(和暦対応)、システム作動テスト等で忙しくなりそうだ。
ところが、肝心の次の和暦の名称が発表されない。
当初は、半年前には公表される予定だったのが、頭の固い保守政治屋が
「早く公表すると、国民の関心が新天皇に向かい、今の天皇陛下を軽んじることになりかねない」と言いだしたため、
1か月前の公表となってしまった。
私には、この理屈が理解できない。
今上天皇は、非常に賢明な発想をお持ちであり、
一生涯死ぬまで天皇の地位にしがみき、歳を取って健康面に支障が出て天皇としての職務が充分に行えなくなるくらいなら、
その前に生前退位して、若い後継者に後を譲ろうと考えた。
それだけでなく天皇が急に変わることで生じる社会的な混乱を最小限に留めようと考えられた、というのも一因っだったのであろう。
素晴らしい考え方である。
仮に天皇が重い病でいつ死ぬか、いつ死ぬかという状況のとき、次の和暦をどうする、などと議論するのは失礼に当たるだろう。
が、今回のように1年以上も前に天皇が変わることがわかっているケース、それも天皇ご自身が望んでそうなったケースで、
次の和暦を直前まで発表するな、という意見は見当違いも甚だしい。
次の和暦は早期に公表し、社会インフラを混乱させないことこそ、今上天皇の御意志であることは明らかである。
そうしないことは今上天皇に対する非礼でもある。
そもそも、和暦そのものが、日本の社会に必要性があるのか、疑わしいところである。
現在の和暦は皆さんご承知の通り、明治維新以降、天皇の在位に合わせ一天皇、一元号制となったのである。
これは、明治の国策で、天皇を神聖化して国民を統制する狙いがあったことは言うまでもない。
日本で和暦が最初に使用されたのは、大化の改新が行われた西暦645年に「大化」という元号が使用されたのが最初である。
明治より前の元号というのは、疫病が流行ったり、災害が起きた場合の世の中の一新の意味、
その他その当時の権力者の都合などで変えられていた。
(織田信長は室町幕府を滅ぼした後、「元亀」という元号を「天正」に変えている)
和暦そのものはその決め方に関して決して一貫性があったわけでもない。
和暦の問題点を列挙してみたい。
1.西暦645年より前は表現不能
このような和暦というものをコンピュータシステムに組み込むということは想像以上に負担なのである。 先に述べたように、和暦というのは元号の異なる年月日の比較するのも大変であり、 それをコンピュータに指令(プログラミング)するのも注意が必要なのである。
では次に、現在やるべき和暦対応とは一体どういうものなのだろうか。要点を述べよう。
まず最初に、使用されているコンピュータシステムで年月日項目がどれだけあり、どの項目が和暦になっているか、
それが他のシステムにどう影響するかという地道な調査作業から始まる。
そして、全ての入力作業、帳票出力作業を確認し、新しい和暦元号が認識され、出力されるかをチェックしないといけない。
その新しい元号が、バカな政治屋のせいで知らされいないこともあり、
今現在コンピュータのシステム関数やシステム日付が平成までしかないので、2019年5月1日以降も平成扱いのままとなっている。
2019年5月1日以降をテストしたくてもそのままではテスト出来ない。
そのため仮のテスト元号を作りシステム環境を設定した上でテストをしなければならない。
更には、そのシステムの根本的なところから見直す場合もある。
コンピュータの経理、生産、人事管理等各種業務システム(アプリケーション)は、
様々な技術者によってその企業や官庁などの特殊性を考慮しながら無数に作られてきた。
よくあるのは、「平成30年8月15日」というのを「300815」と6桁の数値のみで表現しているものだ。
最初の2桁「30」のところが単純な和暦の年数2桁となっているのに注意!。
こういうものを単に日付として表示するだけならまだよい方で、これを使って日付の比較をしているものは厄介である。
私が以前、働いていた某製薬会社の在庫管理システムにおいて「使用期限」という項目にこの「300815」という形式で入っていた。
しかも在庫の出荷処理で、出荷対象の薬品の「使用期限」が特定の日より前だったらその在庫は出荷しないというロジックがあった。
例えば今度の新元号(仮に「成坊」とする)の成坊2年(2020年)8月15日より前に使用期限が来ている薬品は出荷しないようにするには、
対象となる成坊2年(2020年)8月15日という日付を「020815」と変換し、
使用期限が「020815」より小さい数値のデータなら出荷しない、というロジックになる。
システムに何の対策もしない場合、使用期限が成坊1年(2019年)5月1日から成坊2年(2020年)8月14日までの薬品は出荷されないが、
平成2年8月15日(そんな昔の在庫を持っていたらその方がおかしいが)以降の平成時代に使用期限が来ている薬品が存在した場合、
それらは出荷してもよいということになってしまう。
つまり古い薬品が出荷されてしまう可能性がある。(恐いでしょ?)
こういうケースは、比較的古いマシンの古いシステムによくある。
最近のパソコンなどは、日付自体が和暦でも西暦でもうまく表現出来るようになっている。
が古いマシンや古いコンピュータ言語で作られているシステムで上記のように「300815」のようなデータが日付というより只の数値の羅列のようになっているものがある。
新元号に対応するには、日付の順序を明確にするため「平成」の場合は頭に1をつけ、「成坊」の場合は頭に2をつけるなどして、
「平成30年8月15日」は「1300815」、「成坊1年5月15日」は「2010515」に桁数を拡張するか、
いっその事西暦年4桁に直して「20180815」「20190515」などにする(これが一番よい!)必要がある。
そういうデータの桁数に変更を加えることによって新たに動作不具合が発生することもあり、
結局システム全体の動作もチェックするようになってしまう。
このように和暦というのは対応するのは素人目ではわからないような厄介な修正を必要とする場合があることがおわかりであろう。
システムの改修、テストなどでとんでもなく時間がかかる場合もあり得るのだ。
勿論、前途「300815」のようなデータを持つシステムは、システム設計者の設計段階で既におかしかった。
コンピュータのメモリが少なかった時代、メモリーを少しでも節約するためそういう設計にすることが多かったのだが、
和暦が変わることを想定していない、変わったとしても遠い将来のことなので今動けばよいといったその場凌ぎの発想だったのだ。
しかし、こういうものが世の中には多数あるという認識を持った上で、
こういうシステムを含めて全て手直しするにはどのくらいかかるかというざっくりとした感覚を日本の政治家には持っていただきたいのだ。
そうしたら、元号の発表などは直前で充分だ、などという無責任なことをいう政治家はいなくなるだろう。
天皇制の是非はともかく少なくとも現状において、天皇が変わるたびに元号を変えるということはこれだけリスクがあり、不便なものなのだ。
それでも今迄不便という認識を持つ人が少なかったのは、昭和天皇、今上天皇ともにある程度長く在位していたからに他ならない。
将来、数年程度しか在位しない天皇も出現するかも知れない。そのたびに、無駄な仕事が発生するのはたまったものではない。
そういう意味で、現在の和暦は、なくしてしまうことがベストである。
それなら、日本独自の文化を活かすということで、「皇紀」を使用すべきだという声も出よう。
でも、今は皇紀何年なのか、即座に答えられる日本人て、どれだけいるだろうか?
そう考えると、西暦に統一するのが一番実用的現実的選択と言えよう。
未来永劫リセットされない年数表示、それだけでも価値がある。
和暦にこだわり、しかも元号の発表を直前まで行うな、などと主張するアナログ保守政治屋は口を出さないでもらいたい。
日本の伝統とか精神的な感情論よりも、現実的合理的な発想が第一だ!!!