しげぼうの言いたい放題


・護憲派も改憲派も憲法というものに正面から向き合っていない。(2018年05月03日)

現在、国会は毎日のように、官僚の不祥事のニュースに溢れかえっている。 森友、加計学園問題も真相究明に程遠く、 更には、自衛隊の日報問題、一部官僚のセクハラ問題と数えきれないほどの問題が発覚している。
流石にここへ来て、安倍内閣の支持率も下落傾向にあるが、それでも自民一強、与党圧倒的多数が依然として続いている。
政策的な問題や国家の根幹に関わる問題が置き去りにされつつある今日この頃。本日は、憲法記念日ということもあり、 憲法の問題を語りたい。

1.安倍晋三による憲法形骸化
まず、これまでの安倍内閣の憲法に関する姿勢を振り返ってみる。
第二次安倍内閣発足後は、安倍内閣は、憲法改正の方針を明言した。 実際には憲法改正の中身としては、2012年中に自民党案として出来ており、 同年12月の自民党が政権復帰する衆議院選挙でもその内容に触れていた。 しかし、経済政策アベノミクスについてを優先し、公約の片隅にひっそりと書いていた程度であった。
その後、自民党案を国会に諮るのかと思いきや、まず、憲法改正の手続きを定めた憲法96条を先行して変えよう、 と言いだした。96条では憲法の改正は、衆議院と参議院でそれぞれで総議員の3分の2の賛成により国会通過、 次に国民投票で過半数の賛成が得られれば可決成立と定められている。 そこを衆議院と参議院でそれぞれで総議員の過半数の賛成により国会通過と改めるということだった。 憲法の各論の改正はおいておき、まず改憲手続きの緩和をしてしまおうとした。 これには、野党や世論の反発が強いとみて引っ込めた。
その後、2014年12月の衆議院選挙でも、経済を優先すると言い、またしても憲法改正は片隅に追いやった。 そして翌年、公約になかった安保法制の改定で、自衛隊の集団的自衛権の行使を一部容認出来るようにしてしまった。 どう見てもこれは、憲法9条第2項の戦力の不保持・交戦権の否認の明確な違反である。 なんと、安倍晋三は憲法改正を行わず、憲法を形骸化という暴挙に出てきたのである。 そして、憲法違反であることを誰にも咎められずに今日まできてしまった。

2.護憲派の罪
だが、こうなってしまったのは、野党、護憲派の方々にも責任がある。
日本の護憲派と呼ばれる人々は、憲法の一言一句、変えないことが正しいことだと信じてきた。 だが、どんなに良い憲法でも正しく運用されなくては意味がない。 護憲派の人は、憲法の文言を守ることのみ重視するあまり、もし独裁者が憲法違反の法律を制定した場合どうやってどの機関が咎めるのか、 ということを全くシュミレーションしていなかったのだ。 これは、護憲派の怠慢だったと言われても仕方がない。 こういうところは、立憲政治を行う上で、憲法の内容以前の基本中の基本部分である。 それが考えられてこなかった、とは今迄何をやっていたのか。 護憲派の方々が、もっと日本の政治が健全だったころ、この点に気付いて憲法に上記事態が起こったときの対策を書き加えるなどしていれば、 安倍晋三の憲法形骸化という事態は避けられたはずだ。

3.改憲派の支離滅裂
一方、安倍晋三を筆頭とする改憲派は、野党のだらしなさも手伝って、衆議院、参議院で遂に念願の3分の2の勢力を獲得した。 当然、憲法改正の発議も時間をかけずに行うものと思われた。 9条に関しては、集団的自衛権の行使を可能とする自衛隊を軍隊として大幅な修正が加えられると思われた。 先の安保法制の改正は、法の方を先に修正して既定事実化して、9条の改正を発議したほうが改正がやりやすいと踏んだのだろう、 汚いやり方だな、と私は思っていた。
ところが、何と安倍晋三は更にとんでもないことを考えていたので私は驚いた。 2012年の自民党の改憲草案を無視する形で現行の9条の第一項第二項を全面的に残し、第三項に自衛隊の存在を記述する、と言うのだ。 私はこれを聞いたとき、はっきり言ってこけた。あまりに支離滅裂な無茶苦茶ぶりに前身の力が抜けてしまった。 当然、安倍晋三の言う自衛隊とは、単に外国が日本の領海や領土に攻めてきたときに限りそこから追い出す程度の存在ではなく、 同盟国が他の国から攻められたときも武力行使可能(集団的自衛権を行使出来る)な軍隊と言うことである。 安倍晋三の目指す新憲法では、第二項と新第三項が根本的矛盾を孕むことになる。 結局安倍晋三は何がやりたいのか?自衛隊が違憲か合憲かで今迄議論を巻き起こしてきたのが解消されるということらしいが、 却って新たな論争の火種となりそうだ。憲法というのは中に矛盾する内容が存在することは絶対あってはならないことだ。
無論、自民党の中では反対派もいた。 石破茂などは、2012年の自民党草案をベースとし、9条の2項は削除せよと主張していた。 2012年の自民党草案は内容的には極めて保守的で、私は賛成し難い内容である。 しかし、一度決めたものを今になっていじる必要性はあるのか、という石破茂の意見は筋論としては間違っていない。 だがこうした反対意見は安倍晋三らに封じられてしまった。

4.国民投票をやりたがらない改憲派
何故、改憲派の人達は、このように迷走しているのか。
答えは、要するに国民投票で否決されるのが怖いからである。 安倍晋三の改憲案にしても、2012年自民党改憲草案では否決されるかもしれないから、 護憲派の意見と改憲派の意見を足して2で割るような内容にしてしまえば国民投票が通りやすい、と考えたのであろう。 改憲発議を可能にする衆参ともに3分の2の多数を得ても、いざ改憲案をとなると腰が引けてしまう。自信がないのだ。 内容自体、どこか後ろめたいものを自分達でも感じているのだろう。 確かにあの2012年の自民党草案の内容では、保守的過ぎて国民投票で否決される可能性が高い。 でも、そもそも自分達で考えたことを自分達が後ろめたいものと思う感覚自体が本来おかしなことである。 公約の片隅にちらりという書いたに過ぎないとしても、選挙で公約したことには間違いない。 公約した以上正々堂々と2012年憲法草案の内容と必要性を語り、国民を納得させ、国民投票で通るように努力すべきではないか。 もし、国民投票で否決されれば、そのときは潔く現行憲法が国民に信任されたものと認めるべきである。 それが嫌なら最初から2012年の改憲草案など出さなければよかった。
改憲派の人は、国民投票というものを極端に嫌がっている。 そもそも、今の憲法はアメリカの占領軍に押し付けられたもので無効であり、大日本帝国憲法のみが存在する、などと主張する者もいる。 石原慎太郎などは「自分が首相になったら現行憲法を廃棄すると宣言する」とまで言っていた。 現在の都知事の小池百合子も、 現行の日本国憲法を無効とし、戦前の「大日本帝国憲法」の復活を求める請願をした人物を自身が率いる地域政党「都民ファーストの会」の後任の代表に指名している。 彼女自身も同等の思想を持っているようだ。

5.大日本憲法復活論(現行憲法破棄論)の無謀
このような大日本憲法復活論は、理論上、教科書的にはいちいち説明する必要もないほどの無茶な論理である。 だが本当にそうなっては怖いという方も多くいると思うので検証をしてみよう。
そもそも現在の憲法は、大日本帝国憲法に記述されている手続きに則り、合法的に改正されたものである。 だから復活も何も現在の憲法自体が既に修正版大日本帝国憲法と言えるのだ。大幅な修正であったが。 現在の憲法を否定することは大日本帝国憲法を否定するのと同じことである。
憲法廃棄論者は「否それはアメリカ占領時代でアメリカの意思であり日本は逆らえなかった」というのであろう。 しかしそういうことを主張するなら、もっと早く、せめて占領軍が日本から出て行って間もなくという時期くらいなら説得力はあった。 それを戦後70年も経ってからと言うのではいくら何でも遅すぎだ。 大体当時の経緯を正確に知っている生き証人が今となっては殆どいなくなっている。 憲法を元に戻す機会はそれまでいくらでもあったはずなのにそれを70年以上も行わなかったということは、 裏を返せばその間、現在の憲法が国民に受け入れられたきたということに他ならない。この現実は極めて大きな意味を持つ。
それに、現行憲法廃棄すると宣言する人物が国会議員であれ首相であれ、その人物の肩書は現行憲法の規定に基づいているに過ぎない。 そうすると、現行憲法廃棄と宣言した瞬間、宣言した人物はその肩書きの根拠を失うことになるというパラドックスが起こる。 いわば、只の民間人が憲法廃止を叫んでいるに過ぎなくなり、憲法廃止宣言の正当性が全くなくなる。
というわけで、大日本憲法復活論などというのは極めて非現実的な感情論であり、 改憲論者の中で国民投票をやると負けるから、国民投票をやらずに自分達の主張を押し通したいという極めて我儘な人達の屁理屈に過ぎないのである。 とにかく憲法を改正したいと考える人は現在の憲法の存在を認めた上で国民の理解を得られるように努力すべきである。

6.現行憲法破棄を扇動した者はその場で逮捕拘束せよ
このように憲法破棄というのは理論上は無理で最終的には受け入れられないものとなるであろう。 但し、実際こういうことが起こったとき、本当にそれが速やかに無効となり首謀者を無力化させることが物理的に出来るのか私にはわからない。 教科書的には、今の裁判所には違憲立法審査権があるということだが、先の安保法制でも無力だとわかった。 誰かが裁判を起こして初めて裁判所が動き、最終的には破棄無効となるだろうが結審するまでタイムラグがあるというのでは意味がない。 その間に憲法破棄した指導者が何か事を起こす可能性がある。 その指導者はそもそもそういう裁判自体圧力をかけて起こさせない状況にしてしまうかも知れない。 そういった不安材料を払しょくさせることが、本当の護憲派の役割だと私は思うのである。
現行憲法破棄を宣言した政治指導者、またはそれを支持した者は、その瞬間に逮捕、拘束出来るような社会の仕組みにしないと駄目である。

7.結論。護憲派も改憲派も思考停止せず正面から憲法に向き合え!
私から見ればはっきり言って、護憲派も改憲派もどちらも腰が引けている。 護憲派はとにかく何か変わるのが怖い、と頑なに現状維持。 改憲派は国民投票が怖いので何とか解釈改憲でなし崩しに事を進めたり、大日本帝国憲法を有無を言わせず復活させようとしたり、 抜け道ばかり考え、国民の意見を聞かない方向へ持っていこうとする(大体自分たちで作った改憲案をまともに国民に説明出来ないなんて考えられない)。 そのため、双方ともまともな憲法議論が出来ずに何十年も過ぎてしまった。 これは立憲政治の重大な危機である。
護憲派も改憲派も思考停止せず正面から憲法に向き合わないと、本当に日本はまずい方向へ行ってしまうであろう。


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