しげぼうの言いたい放題


・集団的自衛権を行使せず国を守り世界を変えたフランクリン・ルーズベルトに学べ!(2015年04月12日)

本日4月12日は、32代アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルト(民主党、在任期間1933年3月4日〜1945年4月12日) 没70年に当たる日である。ルーズベルトは、世界大恐慌後の不況の真っ只中から、 第2次世界大戦の終了間近までの非常に難しい時期に大統領の職責を担った。 アメリカ史上例を見ない大統領選4選を果たしたが、4期目の早々病に倒れ63歳の生涯を閉じる。 その足跡と、現在の世界にどのような影響をもたらしたのか、振り返ってみたい。

ルーズベルトは恐らく日本人にとっては、良いイメージを持っていない人が多いだろう。 何せ、鬼畜米英という言葉とともに当時アメリカは完全な敵国であった。 現在でも右派の人を中心にルーズベルトは陰謀で日本をアメリカに戦争を仕掛けるように仕向けたなどと悪者扱いをしている。
彼の生まれや育ちも日本人好みとは言えない。彼はニューヨークの資産家の一人っ子として生まれ、 両親に寵愛され名門ハーバード大学に進学したエリートである。 貧しい家庭環境で小学校しか出ていないで、働きながら勉強して這い上がったような人物がもてはやされ、 一人っ子性悪説が根付いている日本社会では決して好まれるタイプではないだろう。 (私個人は一人っ子で、そんなに良い大学ではないが普通に大学を出て、お金持ちではないが特にお金に不自由しない暮らしが 出来たという点でルーズベルトに親近感を感じる)

こんなルーズベルトにも挫折はあった。1921年にポリオを患い下半身不随となったが、それを乗り越え、政界へ進出し、 アメリカ大統領に上り詰めたのだ。
大統領になってからのルーズベルトは、資産家のお坊ちゃまとは思えないほど、弱者向けの政策を次々と打ち出した。 所謂ニューディール政策で公共事業を推進し、特にアメリカ国内の広大な荒地だったテネシー川流域にダムを造ったことは、 よく知られているところだ(安価な電力を供給するだけでなく、肥料の生産、植林なども行った)。 ワグナー法で労働運動を認め社会保障制度(老人年金に失業保険)を確立したことも画期的だった。

だが、注目すべきは外交姿勢だ。それまで武力を背景に支配してきたキューバなど南米諸国に対して、内政不干渉の対等友好的な (善隣外交)貿易を行ったことは注目だ。フィリピンの独立にもサインした。 これらの国は、後の第二次世界大戦の時には殆ど全てアメリカに協力することになるのだ。 それまで主だった世界の強力な国家は、植民地を如何に多く持ち、搾取するかを競い合っていた。 こんな時代にこのような一見時代に逆行するような政策を実行し国益に結びつけたこと自体、賞賛に値する。
それだけではなく、1935年には何と「中立法」を制定し、外国の戦争当事国には軍事介入はおろか武器の輸出さえ行わない という方針すら打ち出しているのである。その方針は、ナチスのポーランド侵攻による第二次世界大戦勃発後は揺らいでしまい、 ナチスに対抗するイギリスやフランスなど民主主義国家への武器輸出を行うようになるのだが、 それでも武力行使はすぐには踏み切らなかった

実際にアメリカが第二次世界大戦に加わるのは、日本が真珠湾を奇襲しアメリカに宣戦布告(ドイツ、イタリアも続いてアメリカへ宣戦布告) してからである。 日本でルーズベルトを嫌う人達は「ルーズベルトは日本を経済的に追い詰め戦争させるように仕組んだ」「戦闘開始後日系人を強制収容した」 「自衛の範囲を超えて東京大空襲など無差別攻撃をした」などと言うが、この種の陰謀説の真偽や戦争が始まってからの戦術的な問題は、 さほど重要性は感じないので今回は深く掘り下げるつもりはない。
重要なのはナチスのポーランド侵攻(1939年9月1日)から日本の真珠湾奇襲(1941年12月8日)までの2年3か月、 この期間にアメリカが戦争を行わなかったという事実だ。 この2年3か月は、アメリカはいつ戦争に参加してもおかしくなかった。 イギリスやフランスも中国もアメリカの援軍を期待していた。 しかしそれをやらなかった。もし、アメリカが要請に応じて戦争に加わった場合、それを現代政治用語では何と言うか? そう、今日本で議論している「集団的自衛権の行使」である。 アメリカは「集団的自衛権」を行使せず、「個別的自衛権」のみで戦争に参加したのだ 自分達からは手を出さず、相手が手を出すのを待って正当防衛戦争とすることは、その間に自国の兵力を温存することが出来るし、 戦争となった場合の、兵士の士気は雲泥の差だ。 当時の日本は、山本五十六など一部賢明な軍人を除きルーズベルトを軟弱な平和主義者と侮っていた節がある。 (その山本五十六でさえ、先制攻撃で徹底的に叩けば1年くらいは戦える、というような認識であった。) ところがどっこい、アメリカは戦ってみると想像以上に強い国で、イタリア、ドイツ、日本も次々と追い詰められ大敗北した (正確には、ルーズベルトはドイツ、日本の降伏を待たず死亡したが、既に大勢は決していた)。 イギリス、フランスも勝利はしたが、国土は荒廃し、後に大半の植民地を手放し多くの国がアジア、アフリカに誕生した。 アメリカはもっとも損害の少ない戦勝国として、イギリス、フランスを完全に追い越し、世界を指導する立場になったのだ。 前途の2年3か月のルーズベルトの対応が歴史を動かしたと言ってよい。 もし、アメリカが集団的自衛権を行使してもっと早く戦争に参加していた場合、 恐らくナチスなどの枢軸国をより早く降伏させたかも知れない。但し、アメリカもより多くの犠牲を生じ、 相対的な国力や発言力も現在ほど大きくならなかっただろう。世界全体も旧態依然とした植民地体制が続いていただろう。
集団的自衛権を行使しなくても充分国を守り得るということをルーズベルトは実証してみせてくれたのだ。 否、ただ国を守っただけではなく、行使しなかったことでアメリカを世界一強大な国家にしてしまったのだ。 このことは大きな意義を持つ。
ルーズベルトにしてみれば、日本やナチスを潰すなどというのは大した問題ではなく、 もっと広く世界全体を変えてアメリカが指導的役割を果たそうと考えていたのだ。それは決して偶然ではなく、 彼の諸政策を見れば明白である。1941年の時点でイギリスのチャーチル首相と大西洋憲章を交わし、 既に第2次大戦の後の世界を描き領土の不拡大(植民地解放)、武力行使の放棄を盛り込んでいるのだ (もっともこのとき、ルーズベルトは全世界にそれを適用しようと考えていたが、 チャーチルはナチスのみに植民地解放をさせるように考えていて、思惑が両者で食い違っていたようだ)。
こうした、ルーズベルトの思想は、戦後の日本の憲法(とりわけ憲法9条の1項など)にも大きな影響を及ぼしたと思われる。
そのような観点で見ると、ルーズベルトは世界全体を見ても人類の歴史を振り返っても空前絶後の偉大な政治指導者だと私は思っている。

集団的自衛権を行使しないと一流国とは言えないという風潮が日本には蔓延している。 口先だけかっこよく積極的平和主義などと称して集団的自衛権を行使して外国で戦争が出来るようにするという。 何とも馬鹿げた話である。そんなことでどれだけ日本や世界の利益になるのか? 却って日本はテロの標的にされる可能性の方が高くなるだろう。
前途のルーズベルトの「善隣外交」「中立法」「大西洋憲章」「集団的自衛権の否定」を並べてみると一貫性を持っており、しかも、 決して外国に押し付けることなく世界の秩序を変えることに成功した。 が残念なことに、ルーズベルト亡き後のアメリカは驕りが出てしまい、ベトナム戦争や、イラク戦争など無意味な戦争を 民主主義を守り広めるとして自ら積極的に起こしてきた。 どれだけ無駄な命が失われたか?現在中東で猛威をふるうテロリスト集団ISも、アメリカが起こしたイラク戦争の結果、 反米過激派が台頭したことによるものだ。却って地域の不安定化をもたらしてきたではないか。
それでも日本は、ルーズベルト亡き後のこのようなアメリカを真似たいのか、ついていきたいのか? とにかく、集団的自衛権を論じる前に、日本人は好き嫌いや思想の左右を問わず、ルーズベルトの足跡に一度目を向けてみる必要がある。


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