しげぼうの言いたい放題


・震災から2年、すっかり風化した日本社会。(2013年03月11日)

震災から2年が経過した。 被災地の復興は進んでおらず、特に原発事故の起こった福島第一原発に近いところではでは、 人影もないゴーストタウンのような状況が続いている。

当初は、震災地以外でも電力不足のため、節電意識が徹底されていた。エレベーターやエスカレーターも止まり、 デパートの店内も薄暗く、企業でも無駄な電気やエアコンは次々と制限された。
私としては、不自由は殆ど感じられなかった。これを将来に渡って続けていければどんなによいことか。やっと、 日本人も環境やエネルギー問題を真剣に考えるようになり、まともになってきたと思った。家族やまわりの人との 絆を重視する人が増え、脱原発を実現させようと多くの人がデモを起こし、立ち上がった。

ところが、今はどうだろう。震災地以外ではエレベーターやエスカレーターもすっかり元通りに、照明等も元通り になった。その反対に、被災地では冒頭で書いた通りの状況が続いており、家に戻りたくても戻れない人が多数いる。 脱原発デモに参加する人も殆どいなくなった。
そして、何より嘆かわしいのは、昨年末の衆議院選挙で原発推進政党を選挙で圧勝させてしまい、日本人の経済最優先 の国民性が鮮明になったことだ。アベノミクスによるインフレ目標で円安株高になったことを大喜びし、 震災の記憶は全く薄らいでしまった。福島第一原発の大事故を知った世界では、それまで原発を推進してきた国でも 原発廃止の動きに舵を切り、再生可能エネルギーの拡大を模索している。日本では7割が原発廃止を求めているよう だが、細かい内訳で見るとすぐにやめるはたった13%、2030年より前にやめるが24%、2030年代にやめるが22%、 2030年代より後にやめるが12%、やめないが18%だ(2/18朝日新聞調査)。当分は原発を続けたいという人が 8割近くもいるのだ。2030年代に原発をゼロにするという大甘な前民主党政権の主張さえ白紙撤回して安全な原発 (核のゴミを出し続ける以上安全な原発などあり得ない!)を 順次再稼働するという安倍自民党政権を6割から7割の国民が支持しているという異常さは、もはや世界の笑いもの であろう。

「貧者は昨日のために今日働き、富者は明日のために今日働く」という二宮尊徳の名言がある。 この名言を読むと、日本がどうしてこんな国になってしまったのか、謎が解けてくる。
戦後の高度成長期を演出するために、自民党や経済団体が国民を洗脳したことが大きいのだが、 日本人は、とにかく若いうちから身の程をわきまえず借金をして車や家を買うのが当たり前の風潮になってしまった。 そうした過去の負債を後で働いて返すという、貧者の行動パタンをとる人が大半となった。そのため、不景気になると まず自分の収入を減らさないことを第一に考え、「住宅ローンを抱えているのに給与削減なんてとんでもない、 自分の仕事量が増えてもよいから自分より仕事出来ない人を切って自分の給料はビタ一文削るな!」 (大概こういう人は自分が思っているほど能力がないことが多い)、 「チョンやシナ人を追っ払え」、などと叫ぶ。また、「原発をやめると仕事がなくなるから困る」などと 主張し、自分の利益だけを考え、環境など社会全体の問題など考えもしないのだ。更に酷い人では、「戦争を起こしてでも経済を 立て直せ」などという。金銭面だけでなく、心までが貧しい考え方になってしまっているのである。
そうではなく、明日のために今日は贅沢をせず借金もせずに地道に働いていこうという人は、勿論貯蓄がたまっていくが、 不況になったときでも、「労働時間を減らして皆で仕事を分け合おう」、「経済成長よりも一歩立ち止まって 弱者や環境問題をもっと考えてみよう」、という発想が出てくるのだ。金銭面だけでなく心も富者になっていくのだ。
不況や災害が起こると、その人の心の貧富の差で、その人の本性が現れるものだ。 いわゆるネットウヨクと呼ばれる人も、原発推進者も、アベノミクスを支持する人も、二宮尊徳の言う貧者に相当する 人種なのだ。要は心にゆとりがなく貧しいのだ。

二宮尊徳の精神を忘れ、戦後の高度成長に突っ走り、いまだにその呪縛から抜け出せない日本。 あれだけ世界的に大きな原発事故が起きても結局何も変わらなかったのは、日本人の発想が貧困化したからに他ならない。 「昨日のために今日働く人間」を多数増殖させ、日本人の発想を貧困化させた戦後の自民党政治の罪はそれだけ大きい。
まずは日本人の精神構造を変革しなければ、何も変わらないだろう。金銭的なものより、日本人の心を富ますことが肝心だ。


  戻る