しげぼうの言いたい放題


・気象庁のデータだけでは読めない冬の寒さの原因(2012年02月05日)

今年の冬の寒さは身に染みた。雪国では例年になく雪が降り積もり雪掻きの最中に怪我をしたり、命を落としたりという 方も多いようだ。私の住んでいる埼玉や勤務地の東京などでは逆に乾燥して寒い。東京では1月の平均気温は4.8度となり、 1986年の4.5度に匹敵する4半世紀に一度の寒さだったとのことだ。インフルエンザも相当流行っているようだ。

とは言え、4.8度いう東京の1月の平均気温は、50年前だったら普通、100年前だったら暖冬と言える気温である。 如何に大都市で気温が上昇しているかの証であろう。
私自身のことを申せば、年々冬の寒さが身にしみるようになっている。 30年、40年くらい前(私が小中学校の頃。現在より1〜2度低かった。)は冬は一番好きな季節だった。 体はそれほど丈夫ではなくよく学校を休んだものだが、何故か1月だけは殆ど病気で休んだことはなかった。 にも関わらず社会人になった頃からだんだんとそれが変わってきて冬場に腹を下したり風邪にかかることが増えてきた。 今年の冬は年初から風邪をひいて3週間くらい治らなかった。
何故だろうかと考えてみた。冬が暖かくなっているにも関わらず、昔に比べて病気しやすくなっているのである。 これは、単に歳のせいだけなのであろうか?

子供のころは、昼の日が出ている暖かい時間帯に外に出て遊び、まだ日が沈まない午後4時には家に帰るが、大人になれば違う。 昼は殆どオフィスで仕事、仕事や酒で深夜の寒い時間帯帰宅。こうした生活習慣が一つにはあるだろう。

気象的な観点から見ると、一つは、湿度が低くなっていることが関係しているのであろう。 東京の1月の相対湿度は、1950年くらいまでは概ね60以上あったが、1960年〜1980年代だと50〜60 くらい、1990年代では、40代の年が増えだし、2000年代では全ての年で40代。2011年には何と36、今年も 43と年々乾燥化の傾向が顕著になっている。乾燥すればそれだけ体感的な寒さも増してくるもので、また インフルエンザなども流行しやすくなるのだ。

それともっと大きなポイントが、体感日照時間である。 よくよくデータを見てみるとわかる簡単なことなのだが、気象庁が発表している最高最低平均気温というものは、全て 日陰で観測したものなのだ。日陰での気温だけ見れば確かに昔に比べると気温は上昇している。だが、街全体が 高層ビルや高層マンションが立ち並ぶことで、日向の面積が著しく減少しているのだ。我々は冬場は街を歩くときは、 意識して日向を歩くであろう。その日向の面積が減少して日陰ばかりを歩くようなことになれば寒さを感じるばかりだ。 平均気温が上昇していると言われてもピンとこないわけだ。日陰の気象観測点1点だけを見て今日は気温が高いだの低いだの 言っても全く意味がないのだ。こうした我々の標準的な日常生活や動きによる日照時間を含めた体感的な気温がどう変わっ てきたかを見ないといけない

つまり結論を言えば、戦後の住宅都市政策、環境政策に大きな誤りがあったということだ。
恐らく、アメリカがそれ以前に行っていたニューディール政策を真似たのであろう。 ニューディールでは、やはり日本が戦後行ってきたような公共事業を多数行っていたが決定的に違う点がある。 ニューディールの公共事業は、アメリカ南西部の荒地が主な対象だった。砂漠に近い場所を開拓してダムを作ったり 植林事業も行っていたのだ。アメリカという国が国土が広く、広大な荒地があったからこそ出来た政策だったのだ。
日本は面積が小さい島国で、元から森林や自然の多い土地柄である。国土開発を行おうとすれば必然的に自然破壊に繋がって しまうのである。実際この国では森林を破壊し、ビルやマンションをボコボコ作りまくり住環境を著しく悪化させてきた。 木は無論、夏場はCO2を吸収し、木陰を作り、気温を下げる働きを持つとともに、冬場は、葉が落ちるため日差し を増やす働きを持つ。森林を破壊し、コンクリートやアスファルトで国土を固めていったため、夏はヒートアイランドで エアコンなしでは生活できなくなり、冬は日照障害と乾燥で体感的に寒くなる。そうして、ますますエアコンなどに頼らなくては ならなくなり、悪循環を起こした。
それらは土建業と政府(主に自民党)が持ちつ持たれつのグルになって遂行されてきた。 しかも、内需拡大と称して国民の核家族化を促進させて必要以上にマンションや住宅を作り、借金してでも買わせるように 仕向けた。それらのビルやマンションで、更に無駄な電力やエネルギーが使用され、原発まで建設されるようになった。

そのツケが福島第一原発の事故となって取り返しのつかない災害となって現実のものとなったのだ。 これは文明の終わりであり、とにかく新たな別の価値観を持って新たな文明を築いていかなくてはならない。


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