リーマンショック以降の経済不況で、最近までちっとも話題にならなかった環境問題
(京都議定書進捗、それ以降の中期目標等)だが、唖然悄然となる話題が飛び込んできた。
・・・二酸化炭素(CO2)など温室効果ガスの排出削減の中期目標を決めるため、政府が開いた国民との意見交換会
が13日、終了した。政府は、2020(平成32)に1990(2)年比で「4%増」から「25%減」の6案を
提示しているが、最も緩やかな「4%増」を支持する意見が7割強を占めた。経済界も同案を求めている。
ただ低い目標を設定すれば、国際的な批判を浴びる懸念もあり、6月中の中期目標の決定に向け、政府は難しい
判断を迫られそうだ。
4月20日から東京、大阪、名古屋など全国5カ所で計6回開催し計約1000人が参加した。
内閣官房によると、「4%増」が大勢を占める一方、「25%減」が2割強と2番目に多く、意見は最も緩やかな
案と厳しい案に2分する結果となった。
中期目標については、経済界の代表である日本経団連が12日に、「国際的な公平性の観点から4%増が最も合理的」
との意見書を政府に提出した。
これに対し斉藤鉄夫環境相が同日、「そんな目標を出したら世界の笑いものになる」と批判するなど、意見対立が
激化している。・・・(産経新聞2009/05/14)
「えーー?!」この記事をみて私は絶句した。
斉藤環境相の批判は当然だ。それにしてもだ。経団連のような経済圧力団体が4%増を主張するのは「やっぱりそうか」
と思うが、意見交換会に参加した一般国民の7割強が「4%増」を支持したとは驚きだ。意見交換会なるものが
あったということ自体私は知らなかったが、その参加者って本当に公平な人選が行われたのかという疑問を生じる。
まさか、経済界に近い人間のサクラを使ったのではないか?
京都議定書で定めた日本の二酸化炭素削減目標は、2008年から2012年までに1990年比6%を削減する、
というものだ。ところが、2020年に1990年比4%を増やす目標にしたいのだという。
京都議定書の目標達成が困難なのは、誰の目にも明らかだ。2006年時点で8%増、そして最新の2007年時点
では9%増となっていたとのことだ。1990年より増やすというよりは、2007年より5%減らせばよいだろう
という考えなのだろう。だが、京都議定書の数値を実行出来ないということだけでも大問題である。
日本が議長国となって、参加国の二酸化炭素削減目標を決定したにも関わらず、その議長国が自分たちの約束を果たさず、
更に次の目標でそれよりも10%も甘い設定をするなど世界が許すだろうか?世界の恥もいいところだ。
勿論、そういう甘い設定を支持する人にも言い分はあるだろう。「日本だけに厳しい基準だ」「アメリカや中国が
参加しなければ意味がない」「既に石油ショックの頃から日本は省エネに取り組んでおり1990年を基準にする
ことはおかしい」などの主張が目立つ。だが、私は言いたい。他国がやらないから、自分達はやらなくてよいとの
理屈はあまりにも幼稚な論理ではないか?現に今でも、日本は年間の気温が上昇して夏場に熱波やゲリラ豪雨に見舞わ
れているという現実をどう考えているのか?エアコンを必要以上にガンガンかけたり、1000円の高速道路に釣ら
れて車の大渋滞を発生させ、無駄な二酸化炭素を発生させている人間(それを誘導した政府も酷いが)が多数存在
しているのに日本人は省エネに可能な限り取り組んでいるとどうして言えるのか?
そもそも、本当に京都議定書で定めた日本の目標自体が無理だと言うなら、何故日本は議定書作成時にもっと無理だと言う
理由を主張しなかったのかという疑問も残る。一度約束したことはとことん努力するのが当然のことだ。総論としては
二酸化炭素削減には賛成です、前向きに努力します、と言っておきながら全然やらない。
努力しても出来ませんでしたというレベルなら少しは理解されるだろうが、私の目からは努力すら殆ど感じられない。
ま、クールビズをやったとは言っても全ての会社組織が実行したわけではないし、その他では一体何をやったのか?
日本人同士ならこのような形式主義、建前主義は通るのだろう。だが、国際社会では全く通用しない。
京都議定書を「自国の経済発展を妨げる」と大統領就任後ただちに離脱したアメリカのブッシュも酷かったが、このような
日本の態度はブッシュより悪質と言える。それこそこれはやるやる詐欺であろう。
経済圧力団体や、一部の愚民(ひょっとしたら大多数??)どもの意見を、政府がそのまま受け入れるようなら そんな政府は存在価値はないであろう。経済発展の前に我々の住環境そのものが崩れてしまったら元も子もないのだ。