しげぼうの言いたい放題

 


・遊就館を見学して(2005年08月19日)

先日、私達家族は九段へ行く機会があり、そのついでに靖国神社付属の軍事博物館の遊就館を見学してみた。
無論、参拝は行わず、遊就館へ直行した。
前回、私は靖国神社について書いたが、その検証ということで、自らの目でどういうものであるかを確かめた かったのだ。妻子には、私のわがままにつき合ってもらい申し訳なかったが。

さて、中へ入ると、そこには戦闘機や大砲など日本が戦争で使用した武器が飾れており、日本の歴史 (建国から第2次世界大戦に至るまで)について何部屋にも続いて資料が展示されている。また、戦争で戦って 亡くなった人々の顔写真、特に勇敢に戦った人の戦闘記、なども展示されていた。空襲の被害の悲惨さとか 戦争の愚かさを語るものは何一つなく、日本人がいかに勇敢に戦ったかだけが記されていた。 先の日米戦争は、経済的に行き詰ったアメリカが戦争で景気をよくしようと経済制裁で日本を追い詰め、 戦争させるように仕向けたものだ、とか、大東亜戦争は日本の自衛とアジアの解放のためだったと 主張している。
7歳になる私の娘は、流石にこの神社の意味を理解することはできなかったようだが、妻は、かなりショック で気分が悪くなってしまったようだ。(ごめんね)
私は、あらかじめ様々な情報(HP等)を知っていたのであまり驚かなかったが、靖国神社の異常性が改めて 証明された思いだった。その中で、おや、と思ったのが、戦後のアジア諸国の独立状況を示した地図である。 日本の正義の戦いのおかげで、戦後、これだけの国が独立したのだ、という記述がついていたのだが、そこには フィリピンの独立が1943年となっていた。大戦が終わったのが1945年だが、こんな時期に独立 した国などないはず。家に帰って色々な情報を見てみるとフィリピンの独立は確かに戦後の1946年 となっている。 が、こんなサイトもみつけた。 http://nagoya.cool.ne.jp/dandy1510/sub16.htm
フィリピンは、1934年の段階でアメリカとの間で10年の準備期間を経て独立が約束されていた、ということは 前回私も触れたが、その準備期間のときに日本が攻め込んだのだ。アジアの独立を目指す戦争にしても、 果たしてこのように独立が間近い国に軍を進める必要があったのかという疑念を抱く。
日本も1943年に形の上では独立を認めてはいたようだ。 が、やはりこれを読むと日本の軍政下での傀儡政権であったようだ。しかも、それまで複数あった政党を 全て解散させ、日本に都合のよい政党を1つのみを残し操っていたということであれば、明らかにアメリカ占領下 よりも悪い状況になったと言える。経済的にも日本が入ってくる以前よりも悪化の一途を辿ったという。 フィリピンの人には何の役にも立っておらず、日本がフィリピンを独立させたなどとちゃんちゃらおかしい理屈だ。 国際的にも1943年のフィリピン独立など全く認められていない。
まさしく靖国神社のいかさま歴史捏造である。
フィリピンのことばかり書いてしまったが、無論、日本が侵攻した他の地域でも、それが正義の戦いだったとよべる ような地域はない。結局は、欧米に代わって日本が植民地支配をしたかっただけのことだ。

それにしても、この期に及んで靖国神社に参拝する人の多さ。よくわからない。
そもそも、靖国神社には、遺骨があるわけでもなく、ただ全国から集めた戦没者名簿を元に勝手にその人を祀り 神に仕立て上げているだけなのである。死者の魂がそこに存在するという根拠はない。御国のために戦死したら 靖国に神として祀られる、なんて言われても、死んだ後のことなど誰にもわかるはずがない。 昨今ごろごろしている霊感商法と同じようなものである。それこそ、死者に対する冒涜であろう。 靖国神社の目的は、国家のために命を捧げる忠誠心を持った人間を増やすことであり、戦死者の魂を 祀るというのは手段に過ぎないのである。
にも関わらず、このような場所にお参りすれば、死者に気持ちが伝わると思いこんでいる参拝者は、本当に救い ようのないバカである。靖国神社にしても、それに参拝する人も全くの自己満足のマスターベーションである ことに気付いていないのだ。キモ過ぎる!


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