しげぼうの言いたい放題

 


・昭和の日制定などとんでもない!(2005年04月29日)

昭和天皇の誕生日である4月29日を「みどりの日」から「昭和の日」に変えるという祝日法改正案が衆議院で可決 された。
昭和という激動の時代を忘れずに、後世へ伝えていくというのが建前のようであるが、先の戦争の責任がないとは 言えない昭和天皇の誕生日を敢えて選ぶというのは、どうみても異常としか思えない。
無論、昭和天皇は積極的に戦争を遂行したわけではなく、周囲に流されて仕方なく戦争を容認してしまったという のが本当のところであろう。しかし、だからと言って日本国民が国を挙げて誕生日を祝い、死んでもなおも心に焼き 付けるような人物であるのか?

先の第2次世界大戦を起こした3悪国家、日本、ドイツ、イタリアのその後を比較してみる。
イタリアでは、民衆の手でムッソリーニを処刑し死体を晒した。イタリア国民の戦争に対する反省と戦争犯罪者 に対する強烈な憤りを感じさせる。
ドイツでは、ヒトラーは自殺したが、ナチスを絶対に復活させてはならないという国民の明確な意思が感じ取られる。 ホロコースト否定やナチス賛美の言動を刑事罰の対象とする法律が存在する。
対する、日本はどうか。アメリカが東京裁判を開いて東条英機等、戦争犯罪者の何人かを死刑にした。しかし、 全てではなく、A級戦犯でありながら戦争責任を免れたものもいる。 日本人の意思で裁かれた戦争犯罪者はゼロだ。 昭和天皇に至っては、何の罪にも問われなかったばかりか、国民の大多数に支持されて誕生日や一般参賀などでは毎年、 万歳万歳の大合唱だ。靖国神社ではA級戦犯を祭り、自民党関係者などを中心に丁重に参拝される。 更には、こうした侵略戦争の事実を歪曲、捏造した歴史教科書を強引に広めようとする。
なんという差であろうか?

現在、中国では反日デモが盛んである。日本人というだけで殴られ、日本料理店などがデモで焼き討ちにあったりも しているようだ。
無論、これらの中国人の行為は行き過ぎであり、許されるものではない。
しかし、日本人の戦争に対する反省のなさはドイツ、イタリアなどと比べても一際目立つことは確かであり、 首相の靖国神社参拝、歴史教科書の改定などが絡んでいることは確かである。 そこへもってきて、昭和の日の制定(それも昭和天皇の誕生日)だ。中国が日本に不信感を抱くのもわかる。
日本は確かに第2次世界大戦のあとは戦争は行っていない。しかし、中国から見れば、アメリカの力で民主主義が もたらされただけで日本人の多数は本心から平和を望んでいるとは思えないのだろう。

日本がドイツ、イタリアと比べて異質性を感じる要因は、日本独自の文化やものの考え方があるからなのだろう。 天皇の神聖化、どんな犯罪者でも死んでしまえば仏として平等だ、どんな復古主義的な意見でも言論の自由だから 取り締まるな、などと悪人や極端な人間に対して過激な追求や取締りを行わないことを美徳と していることである。
言論の自由は無論大切である。言論の自由を抑制しなくても、自然に日本人自身が戦争に反対し、謙虚にモノを 考え、復古主義勢力を否定し消滅させうるのであれば、それに越したことはない。本来そうあるべきだ。
しかし、自由も平和も民主主義も、それを脅かす個人、組織、メディア等を根絶してから初めて活きてくる というのも確かな事実である。残念ながら、自浄能力を持っていない今の日本では、極度のナショナリズムの高揚 に対してある程度はドイツのように制限も必要だ。
それをやらなかったから、日本は現在に至り様々な形で右傾化が進行し、上記のような近隣諸国とトラブルが発生 してしまったのだ。 昭和の日制定などとんでもない。 戦前戦中の思想に近いものは、芽のうちに摘み取るような社会風土を作り上げなければならない。


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