しげぼうの言いたい放題

 


・軽率だった某棋士の園遊会での発言(2004年10月31日)

将棋を愛する人間として、この道のプロの大先生に向かってこんなことを書くのはとても心苦しいのだが、 28日の園遊会の席上の棋士Y氏(敢えて匿名にします)の発言は聞き捨てならないものを感じた。

東京都教育委員を務めるY氏と天皇陛下の会話は以下の通りである。
Y氏:『日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます』
陛下:『やはり、強制になるということではないことが望ましい』
Y氏:『もうもちろんそう、本当に素晴らしいお言葉をいただき、ありがとうございました』

ここでの天皇陛下のことばが、政治介入したものかどうかが問題となっている。 私は特に天皇陛下や皇室に親しみを感じているわけではないが、上記の天皇陛下の発言は政治的でもなんでもない 人間としての感情を持った発言であり何も悪いところはないと思う。むしろ、このような天皇陛下の発言を誘発して しまったY氏の言動に問題があったのだ。
恐らくY氏は天皇陛下を前にすっかり舞い上がり調子に乗って、「私はこんなに陛下や国家を愛しています。 また愛していない者を厳しく取り締まっているのです」とアピールしようとしたのであろう。 まるでどこかの会社のヒラメ社員が上司に向かってあれこれペコペコとおべっかを使っているような感じだ。 こんなY氏の言動に天皇陛下は流石に危険なものを感じてしまい、あまり強引なことはやらないで欲しい という気持ちの発言になったのは明白である。

そもそも東京都教育委員会のこれまで行ってきた行為には大変危険なファッショ的なものがあった。 日の丸を掲げない学校や、君が代を歌わない教員を次々に処罰してきた。君が代を歌う声まで監視させて 細々とした干渉を行ってきた。無論、1999年の「国旗・国歌法」制定時は『強制しようとするものではない』 と当時の小渕首相も答弁しており、こんな干渉されなくてはいけないいわれは全くない。 東京都教育委員会のやり方が異常なのである。恐らくバカウヨ都知事が上から圧力をかけていることは間違い ないのだが、こうした教育現場に対する異常な干渉を推進してきた一人がY氏なのである。

Y氏がこうしたことに対して実際どれだけ関わっていたのかはわからないが、あのような園遊会の席上で天皇陛下に 対して上記のような発言を平然と言ってのけること自体、普通の神経とは思えない。ナショナリストの烙印を 押されてしまっても致し方ないところだ。
Y氏と言えば、将棋の実力もさることながら、著書などを読んでも非常に冷静でバランス感覚を持った方という イメージを私は抱いていた。だが、思わぬところで悪手が飛び出してそのイメージも遂に崩れ去ってしまった。
天皇陛下のことばを「本当に素晴らしいお言葉」と感じたのであれば、今迄の不当弾圧を反省するということなの だろうか。それともその場限りのおべっかなのだろうか。Y氏の今後の行動に注目したい。

−−−−−−追伸−−−−−−−
園遊会の3日後のこの日、実は私、地元の埼玉県朝霞市で開催されたY氏の講演会に参加した。 内容は、要約すると、日本の男のありかた(日本は女性が強くなりつつあり男はもっと強くなれということ)、 子育てのありかたなどだった。東京では子供に行わせる7つのこと(1.挨拶をさせる、2.親や先生を尊敬させる、 3.他人の子供でも叱る、4.その日にあったことは必ず報告させる、・・あと忘れた)というのがあるそうだ。 日の丸の掲揚なども推進する発言をしていた。園遊会での釈明、反省などはなく、むしろ朝霞市や埼玉県でも 是非推進して欲しいとのことだった。我々のところまでがちがちされては困るぜ、と思って聞いていたが。
よくよく上記のY氏の発言を見直してみると東京都教育委員が「日本中の学校で」というのは、やはりおかしい。 自分の仕事の対象範囲を理解されていないようだ。 また、国旗を掲げ、国歌を斉唱させるというのは、目的ではなく手段に過ぎない。それ自体が仕事ではないはずだ。 「東京の学校で青少年の健全育成をサポートしていくのが私の仕事でございます」ならわかる。そうすれば 天皇陛下も「あっそう。がんばってくださいね。」で何事も問題なかったはずだ。上記の発言に「あっそう。 がんばってくださいね。」とは言えないだろう。
ま、全てが悪いことではなく、もっともな事も多かったのも事実だ。 私もそれなりに有意義な1日を過ごしたと思う。


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