しげぼうの言いたい放題

 


・日本人もアメリカ人も、人を見る目があるのか(2002年10月16日)

ノーベル賞の発表があった。日本人では、物理学賞と化学賞に輝いた。 特に、化学賞の田中耕一氏は、島津製作所に勤務する普通のサラリーマンであったことが 注目を浴びた。アメリカではカーター元大統領がノーベル平和賞を受賞。大統領在任中の 中東和平政策、大統領辞任後の地道な平和活動が賞の決めてとなったようだ。

今回は、この田中氏とカーター氏の二人に焦点を絞ってみる。 2人とも、日米それぞれの社会の中では、地味な存在だった。

田中氏は、大学卒業後、ソニーを受けたが、筆記試験では通ったものの面接で落ちた という。結局その後、島津製作所に勤めることとなったが、受賞前までは普通の主任 ということで目立った存在ではなかったようだ。 田中氏が、これまで評価されてこなかった(失礼な言い方で恐縮ですが)というのは 私も何となくだがわかる。これは、決して本人の問題ではなく、地道に努力し成果を出して いる人(特に技術職、研究職など)を見ない日本のサラリーマン社会の体質の問題なのだ。 私は某コンピューターサービス企業に勤める平凡なサラリーマンであるが、私の会社はとても コンピューター技術者の会社とは思えない体質である。 知的な能力よりも、体力とか話術(営業力)などが要求され、むしろ技術一本の人間などは 評価が著しく低いのだ。(私もそうした評価の低い人間の一人であるが) 真面目な人間よりも、酒が強くて豪放で陽気、ときには社長の目の前で女装をするような 人間の方が評価が高い。 流石に現在はそうではないが、一昔前は、入社試験が腕立て伏せと腹筋だったという 時期があった。また、入社前には自衛隊に体験入隊させられ、そこで社会人としての マナー、会社への忠誠を叩き込まれたことも昔はあった。私のときは、体験入隊というのは なかったもののやはり厳しい軍隊的な研修だった。ひょっとしてこの会社は防衛庁の天下り でもあるのかしら、と思ったものだ。 私の会社だけは特別なのだとしても、ソニーや島津製作所、その他多数の会社でも多かれ 少なかれ同様の体質を持っていることは間違いない。 会社という組織だけでなく、社会一般においても日本では、技術屋さんというとオタクっぽく 思われあまりイメージが良くない。こういう社会体質なら、なるほどとうなずける。

一方、カーター氏は、大統領になったものの、1期4年で座を退いた。 在任中は、外交面で、イスラエル、エジプトの仲介役となり平和条約締結を実現したり、 米中国交樹立など実績を残した。ソ連や共産主義諸国とも、共存するよう穏やかな話し合い 路線を基調とした。しかし、そうした平和外交を一方では軟弱と非難され、 イランによるアメリカ大使館人質事件で人質救出に失敗し、大統領選でレーガン氏に敗れた。 そのレーガン氏はアメリカ人のあいだでは、現在アメリカ史上もっとも偉大な大統領として 挙げられているが、カーター氏は偉大な大統領の一人として全く挙げられていない。 カーター氏が、これまで高い評価を受けてこなかったのも、はっきり言えば、西部劇の 時代から今日に至るまでのアメリカ人の国民性の問題と言える。やたら喧嘩っ早く争い好き、 戦争を遂行した大統領の支持率は必ずと言って良いほど上がるお国がらである。 だからこそ、カーター氏のような存在は貴重なのだが。 現在もイラクに対して、武力攻撃を行なうか行なわないかでもめているが、大雑把に言えば、 与党の共和党は武力攻撃賛成の立場、野党民主党の方は基本的には反対の立場だが、 賛成者も出ているようだ。民主党としては、中間選挙を控えているので反対の立場を貫く のは難しいと判断しているようだ。(カーター氏も民主党であり、武力攻撃には反対している) 民主党の及び腰は情けないがそうしないと選挙に負けてしまうというのは、 余程根強いアメリカ国民の好戦的性格によるものと思われる。

ここまで書けば、日本人もアメリカ人も根本的に全く同じものを持ち合わせていることが おわかり頂けるであろう。そう、知的、理性的なものを嫌い、攻撃的、肉体的、派手なものを 好むという性格だ。そうしたものを第一に考えるために、客観的に人を評価することが 出来なくなっているのだ。このように人を正当に評価出来ない社会は、将来必ず大きな過ちを 犯すであろう。

日本の場合、今更ながら田中氏を主任から役員クラスへ大昇格させることを決定したようだ。 こんな風に黄門様の印篭のようにノーベル賞を突きつけられて初めてその人を評価するという のは、如何に自分達に人を見る目がなかったかの証でもある。だったらこの際、「ノーベル賞が なんだ、我が社には我が社の人事判断基準があるのだ」開き直ってみたらどうなのか。 権威や人の目を気にする如何にも日本的なエピソードだ。

ま、ともかく目出度いことだ。この国の数多い平凡なサラリーマンにも内面に素晴らしい能力を 持った人間が他にもきっといる。次はきっとあなたかも知れない。


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