しげぼうの言いたい放題

 


・「良く働き、良く遊ぶ人間」信奉論の陥し穴(2002年08月26日)

「日本のGDPのうち一兆四千億円が雑誌や週刊誌だって知っていました?」 「じゃあ。雑誌を買うのは景気対策になるって訳だ。」 最近の通勤電車の吊革広告の1つにあったものだ。7月21日から8月20日の 1ヶ月間が雑誌愛読月間ということだったらしい。 何言ってやがる、というのが正直な感想だった。

そう、我々が雑誌や週刊誌を買うのは、面白いから、役立つ情報が得られる から買うのである。買う側がつまらなかったり、役に立たないと思えば買わない、 有意義な雑誌であれば、愛読月間以外の時期にだって買われるものだ。 そうした、消費者側のニーズを抜きに、一方的に景気が悪いから雑誌でも買って消費に 貢献しろ、とは本末転倒である。消費って我々の権利であって、義務ではない。貢献 するしないという問題ではないのだ。

今月は、終戦記念日もあったが、太平洋戦争前と後の日本の価値観で最も変わったものは 何かを考えてみよう。私が思うに、それは、平和への意識でもない、働くという意識でも ない、消費に対する価値観ではないかと思う。 はっきりいって、戦前戦中は、「良く働き、遊ばない人間」が評価された。 御国のため、天皇のために自分を犠牲にして奉仕する人間である。 戦後は、「良く働き、良く遊ぶ人間」が最も評価されるようになった。 働いているばかりで遊ばない人間は、人間としてバランスが悪いという考えである。 確かに一理はあるが、国家の側から見ると、国の経済の活性化のためには、 沢山働き沢山儲け沢山納税し沢山消費する人間が最も都合がよいからだ。 「良く働き」という価値観は全く変わらないが、遊ぶ、消費するという価値観は 重要視されるようになった。

しかし、それも行き過ぎてしまい、遊ぶ、消費するということが他人と競い合い、 縛り合い、あるいは経済指標を良くするため、国家によって強要される風潮が出てきて しまったのも事実だ。要するに遊びが遊びでなくなってしまったのだ。 酒を飲めない人間が、いやいや酒を飲まされる。自動車、ブランド服、その他持ち物 も他人を意識し、常に最先端のものを購入せざる得なくなる。酒を断りきれない、 他人と異なるのを嫌うという日本人気質もあるのだが、国家はこうした国民性につけこみ、 巧みに「良く働き、良く遊ぶ人間」へ日本人を誘導したのが日本の戦後だ。いずれにしても これでは、楽しさなど微塵も感じない。

流石に、バブル崩壊後の日本人は、少しはそのおかしさに気付き始めた。 すると、国家は如何に需要を増やすか、消費を増やさせるかに奔走し始めた。 銀行預金の利率を下げたり、ペイオフを認めたり、国民の貯蓄を吐き出させる政策も 行なった。更には、調整インフレも起こせ、と唱える政治家もいる。 昔は「贅沢は敵だ」などと言っていながら、モノをどんどん買えなどと御都合主義も 甚だしい。先の吊革広告にしろ、消費はあたかも国民の義務であるかのような間違った認識 で捕らえた結果生まれた露骨なホンネなのだ。

今の日本、不景気だというけど、私は消費が増えないことは問題視していない。 モノがあふれているからだ。日本人は、真面目な貯蓄家が多く、アメリカ人のように楽観的に 遊びなさいという声も聞かれるが、私の目にはそうは写らない。欲しい物は借金をしてでも 手に入れるというタイプがまだ圧倒的に多い。第一、日本はアメリカと違い国土が狭く、 家も狭くモノを収納することも出来ない。物価だって日本の方が高い。高速道路にしたって アメリカその他先進国は無料だ。日本だけが、無駄な高速道路を次々作るために、いつまで たっても有料でしかもどんどん高くなっている。消費が減るのが当たり前だ。こういう観点を 抜きに日本人は諸外国に比べてケチだなどと平気で流すマスコミ、御用評論家は国賊 といってよいであろう。

それより、問題なのは、その見返りがないということだ。不景気ならその分一人当りの 仕事が減り、過労で倒れる人が減るとか、ゴミが減り、環境面で改善が見られるとか、 家族の絆が深まるとかあって当然である。また、産業構造に変化が生じ、新しい産業が次々と 育ってくるものだ。そういうものが目に見えないのだ。 ゴミはたまる一方でリサイクルが出来ていない。ソーラーカーもモーターショーで登場する のみで、一般に普及していない。人は減るが残業は減らない。景気対策と称して無駄な公共事業 にばかり金が注ぎ込まれ旧来型のゼネコンばかりが潤い、緑や自然環境はますます破壊される。 離婚や家族間でのトラブルも増える一方だ。 これが、バブル崩壊後の日本の現実だ。

現状を打開するためには、日本の社会風土の破壊から始めると思う。 「良く働き、良く遊ぶ人間」という価値観を見直すだけでも結果は違ってくるはずだ。 無論世のため人のために一生懸命働くのは良いことだし、遊びなど息抜きも必要だ。 しかし、働く中身が無駄なものを作ったり環境を破壊するものであってはならないし、自分の 本当の経済力をわきまえずに遊びまくる人間を賛美する風潮は何としてもなくさなければなら ない。


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