しげぼうの言いたい放題

 


・日本を狙う第三の全体主義(2002年01月23日)

最近、全国のあちこちで偽札が大量にみつかった。 作る人間は無論許されないが、みつけた方もよくみつけたものと感心する。 私なら絶対見逃してしまうだろうし、例え何かへんだと思っても、ま、いいか早く他の 人に渡してしまおう、などと安易に考るであろう。

ところで、そもそも何故偽札を作るといけないのか、ということをわかっている人は どれだけいるのだろうか。

答えは、インフレが起こるからである。勿論1万円札をほんの10枚や20枚程度では、 世の中に与える影響はない。しかし、何十兆という偽札が出回れば大変なことである。 お金を沢山発行しても、誰もが豊かになるわけではないのだ。お金を偽造した者は得をしても 他の一般の人は必ず多かれ少なかれ損をする。

さて、我が国日本では、長期不況によるデフレと財政難によって、何とかインフレに持ち こもうという動きがある。それが「インフレ目標策」と言われるもので、与党の一部が 主張している。日銀にお金を沢山発行させて流通に出回るようにする調整インフレ政策である。 発行したお金はどうやって流通させるかが問題であるが、国債、社債などをそのお金によって 買い取るという手段が考えられる。現在は国と地方の借金は666兆円にもなり、国債の発行なしには 予算も組めない危機的な状況である。国債を買う人がいればまだ良い。買う人がいなくなれば、 日銀に買ってもらうしかない。でもそれを行なえば猛烈なインフレになる。

それって、お金に困った人が偽札作りをしたのと何が違うと言えるのか。日銀がお墨付きを与えた ものか、そうでないかの違いだけではないのか? もっとも、国債の買い取りなどは現在の日銀法で禁じられている。それを何とか改正に持ち込もうと 考えているのが、与党の一部のインフレ論者どもである。調整インフレとは、法に触れない偽札作り と以前書いたのはそうした所以である。

また、調整インフレとは、全体主義の一種と言える。 境屋太一氏の著書には、全体主義というものを左翼共産主義と右翼民族主義の2つに分けて定義 している。左翼共産主義とは、所得の平等を目指しているのだと。そのために生産手段の国有化 を行なったと言うのだ。これに対して右翼民族主義は消費の平等を目指しているのだと。 そのために国民に一定の服装、一定の行動、一定の消費を行なうように仕向けたのだと。左翼共産主義は、 入口論、右翼民族主義は出口論という非常にわかりやすい解説である。 だが、1つ抜けがある。第三の全体主義即ち貯蓄の平等というものである。それは、入口と出口の 中間、つまり中身論である。所得から消費を差し引いた残りの部分の平等ということである。 これこそが、調整インフレ論者の主張するところである。全体主義思想に共通するのは、自由主義経済 によってもたらせる結果の不平等の是正である。日本においては、バブル経済の隆盛と崩壊により、 貯蓄の増えたものと借金の増えたものに二極分化してしまった。お金の価値を限りなくゼロに近づける ことにより、不均衡を是正しようというのだ。

この考えがどれだけ愚かであるかは、以下のように整理される。 まず第一に、常に働いていることが求められ、労働強化に繋がる。 貯蓄の価値がなくなるので、貯蓄によって食べていけなくなる。 それまでは、仕事にあぶれた人でも貯えがあれば何とか生きていけるところが、それが不可能となる。 左翼共産主義思想とは、この点で全く逆の結果が生じる。 第二に、使い捨ての発想が強まることで、ゴミが多くなり、地球環境の悪化にも繋がる。 お金を使わないとその価値がどんどん薄れてしまうので、無駄なものをいやいや買うようになるからだ。 需要が増えるので、生産者側も無駄なものを更に作り続ける。古いものは、どんどん捨てられそれが 積もりに積もってゴミの山となる。 無駄遣いを正当化することほど愚かな事はない。そりゃ、右翼民族主義思想もとんでもない思想であった。 日本の戦前戦中、国民を右へ習えで洗脳して、戦争へ駆り立てたことは許し難い。それでも、「贅沢は敵だ」 式の倹約思想は、環境問題への配慮があったことも事実だし、100%悪でもなかった。調整インフレ思想 では「贅沢は素敵だ」式で、何でもいいから消費をしろ、倹約する奴は悪だ、という発想なのでたちが悪い。 第三に、何と言っても、借りる者の責任を曖昧にしてしまうことである。 違法経営者の冤罪、歴代自民党政府のバラマキ政策をごまかすためにこのようなことを行なう のであれば、言語道断である。現在の与党のインフレ論者の本当の狙いはここにあると言っても過言でない。

調整インフレ思想とは、人類史上の最低最悪の思想であると言って過言ではない。 政府与党がこうした方向に走らぬよう、野党もマスコミも国民も厳しい監視の目を光らせることが 肝要である。


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