しげぼうの言いたい放題

 


・ワークシェアリングの導入は大歓迎だ(2001年12月24日)

三洋電機では、来年4月から、1日の労働時間を短縮してその分給料も引き下げる ワークシェアリングを導入することを決定した。日本の大手企業では、初の試みで あると言う。 まさに、これは今後の日本の企業が目指す道だと思う。何故どの企業もそれをもっと 早くからやらなかったのか疑問に思う。諸外国では当たり前のことである。

そもそも、給料なんてものは相対的なものである。誰も彼もが給料が上がったところ で物価も上がってしまっては何の意味もない。逆に、給料が下がったところで物価が 安くなれば別に困ることはない。それが、労働時間の短縮に繋がるのなら労働者にとって これほど歓迎できることはない。労働時間が減れば、ゆとりが生まれ、消費も上向く し、過労で健康を害する人も減る。そして何より失業者が減るのが大きい。 企業側では、コスト削減により商品の原価が下がり利益が増える。 これほどまでに、歓迎すべきことを何故日本では出来なかったのか。

1つには、借りる者優先の日本人の価値観であろう。 バブルの絶頂期には、誰も彼もがマンション、新車の購入、グルメ、ゴルフ等に金を費やした。 それでも、本当にお金を持っていてそうするならまだしも、世間の手前無理して借金をして そういうことを行なって首が回らなくなってしまった者もかなりいる。 そういった個人の他、企業、国家というレベルでも同じだ。高い経済成長率を前提に、国家予算 を組み、莫大な財政赤字を作り上げた。全ては、物を高い値段で沢山売られ、お金の回転がよく、 税収が沢山入るという前提のもとだった。 そのような個人や組織にとっては、ワークシェアリングはデフレを加速し、デフレになれば、 借金が返せなくなるから困ると言うのだろうが、私に言わせれば先を見通せず、無計画な 借金をこしらえた者が悪いのだ。 あまりにも日本という国は貸す者は強者、借りる者は弱者というスピーカー的価値観が 強すぎるのではないか。

もう1つは、日本人は働き者が多く、意欲ある者の価値観が優先されていることであろう。 やるきまんまんの能力に自信があるサラリーマンにとってはワークシェアリングなど、共産主義だ、 バカな社員を助けて俺達の給料が下がるなんて許せないと怒る方もあるだろう。 でも、そうした仕事好きな方には悪いが、所詮仕事とは、将来仕事をしないで済ませるために 行なうものではないのか。例えば、医者が患者の病気を直すのは、病人のいない豊かで健康的 な社会を築くのが目的あって、病気を直すという仕事自体は目的でない。現実的ではないが、医者 がきちんと仕事をすれば、病気を直すという仕事をしないで済ませる社会を築くことも可能なのだ。 少なくとも、病人が救急車で多数運び込まれる事態が発生し、やったやった仕事だ仕事だ、何て 喜んでいる医者はろくな医者でないことは誰でもわかるであろう。 車やマンション、新幹線、道路なども同じである。 需要もないのにモノを作ろうとし、売れないと消費者が金をけちっているなどと思い込ん だり、インフレを無理に起こして無理矢理モノを買わせろなどとヒステリックなことを 言うばかものがこの世にいるから困りものである。

作家境屋太一氏の著書にもあるが、低成長(マイナス成長)時代に最も重宝すべき人材は、 「能力があって意欲のない人物」であると書いている。「能力がなくて意欲のある人物」 を重宝すると国を滅ぼす。日本の太平洋戦争などがその例であるとも書いている。 全くその通りである。 大切なのは、需要がないと怒るよりも、現在作ろうとしているモノの代わりに何を作れば 良いのか、何が消費者に求められているのかを冷静に考えることなのではないか。 狭い国土の日本の自然を破壊し、ゴミを大量に出すために、やるきまんまんの仕事人間を重宝 する必要はないのだ。

ワークシェアリングは時代の流れであり、これは、国として総力を上げて推進すべき課題で あると思う。あらゆる企業に1日の標準労働時間を何時間以内(筆者としては6.5くらい にはすべきと思う)と決め、短縮時間当たりの給与は引き下げることを認める(但し1時間当 たりの単価は下げないようにする)明確な数値を決定し、法制化することである。 もう、がむしゃらに働くのはやめよう。少しは休もうよ日本の労働者諸君。


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