しげぼうの言いたい放題

 


・これからの日本は軍事より警察だ(2001年06月12日)

大阪池田市で起こった、小学校の無差別殺傷事件は非常に惨いショッキングな事件であった。 犯人は、精神病で犯罪責任を問えるかどうかなどということが言われているが、犯人自身が 明確な殺意があって、自分は精神病だから何をしても罰せられないなどと周囲に漏らして いたことなどから明らかに計算ずくの犯行である。 これで、彼を無罪などということにしては、日本の司法制度は死んだも同じだ。

それにしても、今回に限らずこうした殺人事件でのマスコミの報道は、いつもいつも疑念を感じる。 第一に、犯人や被害者に対する異常なまでのプライバシーの追求である。 被害者の誰々ちゃんは、頭がよく性格も明るくクラスの人気者で将来は何々を目指して.... などと言った言い方である。単なるプライバシーの侵害というだけに留まらない。 これは、「将来、お国のために役に立つ人物を殺したから悪い。それが、凡人なら構わない」と いう意味になる。我々は、言うまでもなく殺人という行為自体を、犯人とは全く関係のない通り すがりの人間が殺されたという事実を憎むのである。被害者がどんな人物であるかなどは関係ない のである。ひょっとして私のような凡人は誰かに殺されたらマスコミに何と言われるか、いささか 不安であるが・・・。殺された山口さんはウダツの上がらない中年サラリーマンだったとかね。 加害者に対しても同様である。犯人はどういう生い立ちで、どんな趣味で、・・・・ということを 根掘り葉掘り追求し、挙げ句の果てに、「一見大人しくまじめそうな人間ほどハメをはずす」とか とんでもない結論へ持っていくのである。勿論、報道する側にそんな悪気はないだろう。だが、 不必要なプライバシー侵害によって、全く違った解釈になってしまう。 第二に、こうした犯罪に対して対策なり意見なりを提起することが日本のマスコミには本当に 少ない。上記のように散々人のプライベートを暴いたあげく、「日本の戦後の政治、経済、 教育等社会全体が病んでいる、そうした社会の中での悲惨な事件なので日本人一人一人がそうした ものを改めるような努力が必要」などと、一億総懺悔的な何ともまどろっこしい曖昧な決着しかつ けられない。そんなことよりも、どうすれば、犯罪が減るのか、具体的に何をすべきかを提起し、 訴えていくことが大切なのではないか。

例えば、私なら、第一に刑法を改正して、刑罰の強化を行なうことを考える。 今回の殺人犯は、何回か、逮捕、保釈を繰り返していた人物だが、更正が全く出来ていなかった。 精神病だからといって、あまりにも安易な保釈を行なったのではないか。もう少し、厳しい罰を 与えるべきではないのか?そもそも精神病患者を特別扱いして罪を問わないようにすることは、 逆に、人を殺した人間が精神病をわざと装う風潮につながる。(今回がまさにそれだった。) その結果、精神病患者は、とんでもないことをやるであろうという偏見を却って植え付けて しまう。精神病だから人を殺すのではなく、人を殺した奴が精神を患っている振りをしているのに 、第三者は逆の見方をしてしまう。これほど恐ろしいことはない。 また、これからは、警察官を学校、鉄道などあらゆる場所に配備させ庶民の不安を取り除いて いくことも必要と思う。鉄道には、1車両1警官くらいにして、常に目を光らせる。 街のあらゆる場所に交番を配備したい。そうしたら、警官の頭数が足らなくなるかも知れない。 そのためには、現在の自衛隊の隊員を減らし、警察官として再教育することくらいの ことをやってみたらどうだ。今の内閣では、自衛隊を国軍化などと、強化する方針のようである。 また、保守勢力の一部には国連平和維持軍参加のため自衛隊を海外へ派兵しようという動きも ある。だが考えてもごらんなさい。自分の国の治安も守れないでどうして、海外へ出て貢献 出来るというのか。 今の日本はどう考えても、外国からミサイルを撃ち込まれる危険性より、国内での突発的な 殺傷事件、悪辣組織のテロなどといった危険の方がずっと大きい。大体日本が歴史の上で国外 からの侵略を受けたと言えるのは、現在のNHK大河ドラマ「北条時宗」の時代の蒙古襲来の ときくらいではないか。

極論を言えば、今の日本に必要なのは、軍事より警察である。 下手に犯罪が起こるまでのプロセスや社会的背景を検証するより、直接的な力で犯罪を押さえ 込むことを考えていくべきだ。人権がどうだこうだという問題も出てくるかも知れないが、 社会秩序を守ための手段にタブーがあってはならない。


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