原子力施設周辺における防災訓練から見た危機管理

大間知 倫(『軍縮問題資料』2000年11月号掲載)

     1999年9月30日に東海村で発生したJCOの臨界事故はレベル4という、わが国始まって以来の最悪事故となった。筆者は事故の発生した4カ月前の5月末に東海村の企画総務部原子力対策課を訪問し、1997年3月に発生した旧動燃のアスファルト固化処理工場の人災爆発事故に対する当時の対応と今後の方策について、ヒアリングした直後の出来事に愕然としたものである。

     東海村の臨界事故以降、全国の原子力発電所等において市民参加の防災訓練が実施される傾向にある。従来原子力施設では事業者・政府機関・行政関係者・マスコミ等が訓練を行うだけで住民参加の訓練は少なかった。1997年6月に国の防災会議は原子力防災訓練への自主防災組織の参加や自主防災組織の災害弱者に対する援助等を、「防災基本計画」に新たに原子力災害対策編を設けて、事業者や所在地の行政の対応を促していたのだが、残含ながら施設周辺住民への対応は東海村でも殆ど見られなかった。

     JCO臨界事故当日の対応を政府機関、東海村及び周辺市町村、茨城県等の動きを時系列的に、内閣安全保障 危機管理室から取り寄せた資料と、東海村資料と日立市・常陸太田市・ひたちなか市・那珂町各防災部門から電話聴取した事項をもとに別表11-21-3に取り纏めた。

     別表と以後実施された原子力発電所2カ所の防災訓練を纏めた別表2を参考として、防災訓練が危機管理上抱えている問題点を点検してみる。

    東海村臨界事故時系列に見る問題点

  1. 事故発生報告の遅延
     事故は10時35分に発生しているが、科学技術庁・茨城県・東海村に伝えられたのは40分以上経過してからである。またJCO施設周囲の日立市・那珂町・ひたちなか市・常陸太田市に伝達されたのは県原子力対策室から、12時40分以降を最初に13時45分が最終で、2〜3時間を要している。最も早いJCO所在地の東海村でも風速2m/秒であれば、風下に障害物がなければ4.8km迄放射性物質が到着していることになる。
  2. 災害対策本部設置の遅れ
     東海村は村長の判断で12時15分に設置されたが、茨城県は科学技術庁が14時30分に設置した一時間半後の16時であり、その他は政府と同時の21時以降であり、県を含めて市町村には事故に対する対応能力が欠けていることを示している。
  3. 屋内退避・避難命令の遅れ
     東海村でも屋内退避は事故発生約2時間後、避難命令はJCO施設周囲350mが対象になったのはほぼ5時間後で、ICOに隣接している那珂町では八時間も経過してからであった。

    住民参加の防災訓練から見た危機管理

     敦賀市、伊方町、浜岡町からは原子力防災訓練実施要領・新聞掲載記事、浜岡原発を考える静岡ネットワークからは「原子力防災訓練ウォッチング報告集」を提供して頂いた。

  1. 多すぎる参加協力機関
     何れの場所においても、訓練参加住民より事業者・政府機関・地元市町村関係者が圧倒的に多く、本番を想定すれば避難・退避住民が極めて多くな
    るが、そのような状況下の動きがどうなるのか、検証されて
    いるのか不明である。
  2. 事故発生と訓練開始時間の問題
     訓練は何れも事故発生と同時に開始されており、先の東海村の例を見るまでもなく、対応がかなり後になっており、訓練開始時間に関係機関が勢揃いしていることは、訓練中に事故が発生しないかぎり有り得ない。
     また時間的にも東海村は平日の午前中に発生した事故でも、情報収集・情報分析に相当時間を要している。(原子力専門官、原子力保安検査官が果たして有効に機能するか不安もある。)
  3. 最悪事態想定の訓練が必要
     浜岡原子力発電所では「東海地震」が同時発生という状況下での想定が必要であろう。7月21日に茨城県沖で発生したM6.1の地震では震源地から100m離れた福島原発で震度4程度で、細管破断という事態も発生した。敦賀市では真夏の海水浴シーズン中に3〜4万といわれる海水浴客への対応を想定した訓練も必要ではないのか。
  4. 風速・風向無視の訓練
     浜岡では想定した風向と逆になったにもかかわらず、予め想定したシナリオ通りに訓練は進められた。本番ではそのようなことは許されない。
  5. 原子力防災重点地域は半径8〜10km
     原子力安全委員会の指針は上のとおりであるが、チェルノブイリの事故は300m先まで及んでおり、数10km 先まで含んだ訓練も考慮すべきではなかろうか。
  6. 施設から徒歩一時間圏内は居住が問題
     東海村にJCOより事故発生の連絡は約40分後、1COから500m以内にある那珂町には情報は二時間も伝わらず、災害協定もなく直接報告はなかった。緊急事態はJCO構内ではベル等により社員に伝えられたが、外部には伝えられなかった。異常が発生していることを、役場と施設で同時連絡するホットラインが必要であろう。第二次大戦中は空襲警報・警戒警報はサイレンにより住民に伝えられた。放射性物質の到着速度を考えれば、徒歩一時間圏内に居住するのは不安である。原子力発電に今後も頼るのか国民全員の論議が必要であろう。
  7. 原子力防災には国の諸機関の一元化を
     東海村の臨界事故は別表2に見るように、各機関に情報が時間差を以て到着しており、混乱が窺える。科学技術庁では事故対策本部が15時に設置されたが、消防庁に設置されたのは22時である。
    一刻も早く事故対策を取るのであれば、諸機関の一元化が必要であろう。

    最後に

     東海村ではJCO試験棟から僅か100mという距離にも民家があり、今後長い期間に百す影響の推移を見守っていく必要があり、エネルギー問題を真剣に見直し、原子力から脱却するとしても、原子力防災は原子力発電を停止したのちも継続することを忘れてはならない。

    (おおまちひとし・都市防災研究会事務局長)


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    表1
東海村 日立市 ひたち
なか市
常陸
太田市
那珂町 茨城県
科学
技術庁
事故発報告
JCOより
11.16〜
11.24
13.09
県原子力
対策室
11.29県警
ひたちなか
西署東海
地区交番※
13.45
県原子力
対策室
12.40
県原子力
対策室
11.16〜
11.24
11.16〜
11.24
災害対策
本部設置
12.15
14.00
警戒体制
本部
21.00
13.40
原子力問題
連絡会議
21.45
21.00 16.40 16.00 14.30
屋内待避広報
12.30
4回実施
屋外活動
自粛
21.47より
4回
広報車
3台巡回
22.00より
3回
22.30 22.30 22.30
県知事へ
助言
避難命令
15.30
JCOより
350m以内
  ※13.20
県原子力
対策室
  18.40
JC0近隣
   

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    表1-2
臨界事故通報
    JCOより科学技術庁宛
    臨界事故の可能性あり
11.19
気象情報提供
    水戸地方気象台は茨城県に
    気象情報提供開始
11.30
周辺線量測定
    JCO科学技術庁に最大値γ線
    0.68mSv(シーベルト)/時
11.55
事故発生連絡
    警察庁は内閣情報集約センター
    内閣安全保障危機管理室に事故発生の連絡
12.45
屋内退避
    茨城県知事半径10Km圏内住民に
    屋内退避を要請
22.30
災害派遣要請
    茨城県知事自衛隊施設学校長に
    災害派遣要請
01.18
    陸上自衛隊現地到着
O1.25

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    表1-3
災害対策本部
事故対策本部
科学技術庁
    14.30
    15.00
茨城県
    16.00
 
政府
    21.00
 
運輸省
    21.00
 
消防庁
    13.00
     災害警戒連絡室
    22.00
警察庁
    12.20
     災害準備連絡室
 
国土庁
    12.20
     情報連絡室
 
茨城県労働基準局
    13.30
 
茨城県警
    12.05
     ひたちなか西署
     現地警備本部
    12.10
     原子力事故対策

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    表2
敦賀市 伊方町 浜岡町
訓練実施年月日
2000年3月23日
1999年10月25日
2000年2月1日
実施場所主催者 福井県・敦賀市・
美浜町・河野村
愛媛県・伊方町・
保内町・瀬戸町
静岡県・浜岡町・
御前崎町・相良町・
小笠町・大東町
実施機関
日本原子力発電・
科技庁・エネルギー庁
四国電力・科技庁・
エネルギ-庁・
消防庁・自衛隊
静岡県・科技庁・
エネルギー庁
日本原研・消防庁
想定事故炉
日本原電敦賀2号機緊急停止 四国電力伊方発電
原子炉自動停止
中部電力浜岡原発
3号機緊急停止
避難地区
敦賀市立右・
浦底・
色(西浦中学校)
2.2km
伊方町八幡浜地区
浜岡町桜1区・2区・
御前崎町白羽・
相良町地頭方
コンクリート屋内退避
敦賀市・色・手・白木・
美浜町丹生保育所・
丹生小学校・
美浜中学校丹生分校・
河野村河野幼稚園・
河野小学校・河野中学校
伊方町・保内町・瀬戸町
住民・小学生・
保育園児・災害弱者
コンクリートの区別なし
浜岡町・大東町・
小笠町・相良町・
御前崎町
屋内退避
敦賀市沓・常宮・
縄間7.5km
10km圏内小中学生
保育園児・災害弱者
 
参加協力機関等
57機関/1300名
25機関/2200名
60機関/4000名
事故発生時間
5:30a.m.
8:45a.m.
7:30a.m.
訓練開始時間
5:30a.m.
8:45a.m.
7:30a.m.
放射性物質放出
11:50a.m.
8:57a.m.
8:05a.m.
災害対策本部設置 敦賀市7:30a.m.
9:03a.m.
8:35a.m.
現地事故対策本部設置
6:30a.m.
9:03a.m.
8:35a.m.
住民参加数
573名
105名
888名
避難誘導機関
15/300名
   
風向風速測定
北2m/秒
 
防護地区
風下7.5km
4km
4kml
集合場所への参集方法
徒歩
 
徒歩
住民への広報 7:10a.m. 避難 9:45a.m.
8:53a.m.避難9:10a.m.
8:15a.m.避難9:40a皿
ヨウソ剤配布訓練 7:10a.m.〜9:20
敦賀保健所よりより

OSC経由参集所3、
屋内退避所3
9:30a.m.配布決定
9.30a.m.〜11.00
役場より福祉会館
(防災講習会揚)
へ搬送
訓練終了時間 3:00p,m.
0:00p.m.
0:30p.m.

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