フグの提灯
「ついにアン三郎とラン吉は、怖い顔をした人間に見つかってしまいました。人間は二匹の悪戯にたいそう怒っています。さあ、二匹はうまく逃げだして、無事に狐の村に戻れるのでしょうか。」 狐の子供たちは、さっきから目を丸くしたままです。 「さてさてそれでは、この続きはまた明日のお楽しみ。」 そう言って狐のおじさんは話を終えると、笹の葉で作った影絵をしまい始めました。他の子狐たちと一緒に影絵を見ていたカン太の胸は、まだドキドキと鳴っていて苦しいくらいです。それぐらい今日の影絵の芝居はおもしろかったのです。 昔々、影絵の芝居は、子狐たちの一番の夜の楽しみだったのです。昼間は友達と野を跳ね回ったり、ウサギを追いかけてみたり、小さな花の匂いをかいでみたりと、子狐たちの楽しみはつきません。けれど、夜になると迷子になることもありますし、遠くまでは出かけられません。それで暇を持てあます子狐たちには、影絵の芝居が一番の楽しみだったのです。 芝居のおじさんは、空にお月様の見える晴れた夜には必ず、野原の大きな丸い岩のそばで、子供たちにお話を聞かせてくれます。おじさんは、笹の葉で作った影絵をたくさん使いながら、芝居を演じます。おじさんが尻尾や腕を使って動かす影絵は、まるでほんとの生き物の様です。それにおじさんは、いろいろな声で話をするので、子供たちは耳をピンと立てながら、話に熱中するのです。 そんな物語を話すおじさんの側には、いつでもフグの提灯がぶら下げてあります。お月様の青い明かりだけでは、影絵がはっきりとしないからです。ふくらんだフグの中にはたくさんの蛍が入っていて、ピカリ、ピカリと光ります。それで、あたりが明るくなり、影絵もはっきりと見えるのです。 カン太は、かかさずに影絵の芝居を見に来ていました。カン太は、芝居のおじさんのいろいろな話が大好きでした。森の中の力持ちの大きな生き物の話や、たぬきの村の物語。魚の上手な取り方や、お化けに会わないための魔法の呪文。 「将来は、影絵の芝居のおじさんになるんだ」 カン太は心の中で決めていたのです。ですからおじさんの話を一つも聞き漏らさないようにと一生懸命だったのです。 なかでもおとといから始まった、アン三郎とラン吉の二匹の子狐の冒険に、カン太はほんとうにワクワクしていました。 夜こっそりと狐の村を抜け出した二匹は、熊や狼のいる森を抜けて人間たちの村に冒険に出るのです。子狐たちが一度は食べてみたいと思っている油揚げを、お腹一杯食べてみたり、お化けに化けて人間たちを驚かせては、川に落としてみたりと、それはそれは大活躍です。けれどそんな二匹の悪戯がばれて、ついには人間に見つかってしまったのです。やんちゃな二匹は一体どうなるのでしょう。 カン太はとても明日まで待てそうにありません。すぐにでも話の続きが聞きたいのです。そうでなければ、とても今晩は眠れそうにありません。それで、カン太は、満足そうな顔で道具をしまい、家へ帰ろうとする芝居のおじさんの後をこっそりと追いかけたのです。誰もいなくなった所で、おじさんに話の続きをこっそりと教えてもらおうと思ったのです。 芝居のおじさんは、フグの提灯を手に暗い道をゆっくりと歩いていきます。うしろからこっそりと追いかけているカン太には全然気づいていないようです。 それから十分は歩いたでしょうか。おじさんは、草むらまで来ると急に立ち止まりました。何をしているのだろうと、カン太が岩影に隠れながらのぞき込むと、おじさんが手に持っていたフグの提灯から蛍たちが飛び出して空に帰って行きます。 「今日もどうもありがとうよ。可愛い子狐たちがまた喜んでくれたよ。」 蛍たちはピカピカと光りながらその声に応えています。それから、おじさんは、目をつむり、呪文を唱え始めました。 「小さくなれハラデブ、小さくなれハラデブ、太っちょ山姥目グルグール。」 するとどうでしょう。芝居のおじさんの手の中にあったフグの提灯のお腹が、みるみる内に小さくなったかと思うと、草むらの中へ帰っていくではありませんか。そうです。おじさんの手に持たれていたフグは生きていたのです。フグは昔、草むらの中に住んでいたのです。 「長い時間悪かったね。今度、みんなにおいしい林檎を持ってきてあげるからね。またかわいい子狐たちのために頑張っておくれ。」 フグは小さな尻尾をふりながら、芝居のおじさんの声に応えます。草むらからは、フグの仲間が芝居のおじさんのことを見ています。なかには小さなヒレを動かしながら、おじさんに挨拶しているものもいます。どうやら、フグたちは、交代交代で提灯の役目を務めているようです。 これには、カン太も驚きました。カン太はフグの提灯が生きているなんて思ったこともなかったからです。 フグの提灯は、狐たちの生活にかかせないものです。夏の暑い夜の狐祭りのときや、初雪の日のお祝いのときなどに、フグの提灯がたくさん飾られます。それで明るくなる野原で、みんなが楽しく歌を歌ったり、踊ったりするのです。 大人の狐たちは、きっとみんなフグを膨らませる呪文を知っているのでしょう。カン太は、また目を丸くしました。 それから、芝居のおじさんはゆっくりと家へ帰っていきました。けれどカン太はもうその後を追いかけはしませんでした。カン太の頭は、今度はフグのことで一杯になっていたからです。 「自分もあんなふうにフグの提灯を作りたいな。そうすればすぐにでも、影絵の芝居の練習ができるのに。」カン太はそう思ったのです。 暗くて静かな道をカン太は一人で家に帰っていきました。けれど、カン太は少しもこわいとは思いませんでした。フグのことばかり考えていたので、怖い気持ちが入ってこなかったのです。 次の日のことです。カン太は太陽が空から降りるだいぶ前から、フグのいた草むらの近くの木陰に隠れて、芝居のおじさんが来るのを待っていました。おじさんが唱えるフグをふくらませる呪文を、覚えようと思ったからです。 空が紫色に輝き始めるころ、おじさんは草むらの前にやってきました。おじさんの腰には釣鐘草で作った袋がぶら下げられていました。その中には蛍が入っているようです。袋はピカピカときれいに光っています。 おじさんは、昨日のようにまた何か呪文を唱えました。それを聞き逃さないようにと、カン太は耳を澄ませました。 「大きくなれハラデブ、大きくなれハラデブ、太っちょ山姥目グルグール。」 おじさんがその呪文を唱えると、草の中から一匹のフグが雲のようにプカプカと現れました。そうしてみるみるうちにそのお腹がプックラと膨らんだのです。 「大きくなれハラデブ、大きくなれハラデブ、太っちょ山姥目グルグール。」 もう一度おじさんが呪文を唱えると、フグのお腹が一層膨らんで、いつもの見慣れた提灯の姿になりました。それからおじさんは、先ほどの腰の袋から蛍を取り出して、フグの口の中に放り込みました。ピカピカと光り始めたフグの提灯は、草でしばられて、棒につるされます。 どうやら、すべての準備は整ったようです。芝居のおじさんはフグの提灯を片手に、子狐たちの待っている野原へと歩き出しました。カン太は、こっそりとそのうしろをついていきました。やはり昨日の話の続きは聞きたかったのです。 「目出たし、目出たし。アン三郎とラン吉はこうして無事に自分たちの村に戻ることができたのです。」 話が終わると子狐の間から一せいに拍手がわきました。もちろんカン太も手が痛くなるほど一生懸命に拍手をしました。今日も二匹の子狐の話はとてもおもしろかったのです。 けれどカン太は、昨日ほどはドキドキとしていませんでした。話の合間にフグの提灯を横目でチラリ、チラリとながめていたので、話にあまり集中できなかったのです。一回か二回フグと目が合ってしまい、あわてて下をむいたりもしました。 その帰り道です。他の子狐たちは、二匹の子狐の冒険の話で盛り上がっていました。けれど、カン太は他のことを考えていたので、あまり話には加わりませんでした。他の子狐たちと尻尾を振って別れた後、カン太は一人でニコニコと、ときにはクスリクスリと笑いながら家へ帰りました。 「ああ、早く明日にならないかな。明日がほんとうに楽しみだな。」 次の日のお昼頃にカン太は一人、フグのいる草むらのところへ走って行きました。そうして、芝居のおじさんが唱えていた呪文を真似てみました。 「大きくなれハラデブ、大きくなれハラデブ、太っちょ山姥目グルグール。」 すると昨日のように草むらからは一匹のフグが、フワフワと風船のように浮かび上がってきました。 「やあ、不思議だ。君が呪文を唱えたのかい。君みたいな子狐に呼ばれたのは初めてだよ。」 「そうだよ。僕が呼んだんだ。将来僕も影絵の芝居のおじさんになるんだ。」 「そうかい。そうかい。それは頑張っておくれ。」 フグのお腹を眺めていたカン太は、フグのお腹がまだ小さいような気がしました。それでもう一度呪文を唱えてみたのです。 「大きくなれハラデブ、大きくなれハラデブ、太っちょ山姥目グルグール。」 すると、フグのお腹はみるみるうちに大きくなりました。フグはニコニコとしながら、カン太を見ています。 「おかしいな。」 けれどそのフグのお腹は、まだ昨日のフグのお腹より小さいような気がします。それでもう一度、首を傾げるカン太は、呪文を唱え始めたのです。 「大きくなれハラデブ、大きくなれハラデブ、」 するとあわてたフグがカン太に言いました。 「おいおい、もう止めてくれよ。僕はこれ以上膨れることはできないよ。これ以上膨れたらお団子のようにまん丸になってしまうよ。」 けれどカン太はそんなフグの言葉を聞かずに最後まで呪文を唱えました。 「太っちょ山姥目グルグール。」 フグはずんずんと膨れました。そして、ほんとうにお月見の団子のようにまん丸になってしまったのです。膨らみすぎて、お腹のあたりは透明になっています。 カン太はすっかりと大きくなったフグに満足しました。 「よしよし。これで蛍がたくさん入るぞ。」 それからフグをつかまえようとお腹を触ったのです。するとそのとたん、あまりにも膨らみ過ぎたフグは、空へ勢いよく飛んで行ってしまったのです。それは、空気を吐く風船のようでした。 そのあまりの勢いに、尻餅をついてしまったカン太は、しばらく大きな目をパチパチとさせていましたが、やがてお腹を抱えて笑い出しました。フグが空へ飛んで行く様子がおもしろかったのです。カン太はしばらく笑いころげていました。 「ああ、何ておもしろいんだろう。」 カン太はおかしさのあまり涙を流しています。 「ほんとうに、どんな遊びよりもおもしろいや。」 次の日からです。カン太は毎日草原に行き呪文を唱えてフグを膨らませては空に飛ばしたのです。そうしてケラケラと笑いながら家に帰るのです。 そんなことが一週間も続いたでしょうか。フグたちもカン太の悪戯に気がつきました。 年に何匹かのフグは狐の唱えるへたな呪文でまん丸になります。けれど狐たちに悪気はありませんし、フグたちもしかたないことと思っています。けれどカン太は、始めからフグを空に飛ばそうと呪文を唱えているのです。悪戯好きの子狐のことですが、それでもやってはいけないことなのです。空に飛ばされたフグたちは、一週間は寝ていなければいけません。 狐の大人たちはそんなこともあろうかと、子狐たちに呪文を教えていないのです。 さて、怒ったフグたちは、カン太をこらしめてやろうと、草むらのなかで相談をしました。 そんなことを知らないカン太はいつものように、草むらにフサフサとした尻尾を振りながら近づいてきます。それでいつものように呪文を唱えました。 「大きくなれハラデブ・・・・・。」 するとどうでしょう。今日は何匹ものフグが草むらから上がってくるではありませんか。 「アレレレレ。」 カン太が不思議がっていると、フグたちは一せいに膨れて、プーッと口から勢いよくカン太に木の実を吹きかけました。フグたちは、カン太をこらしめようと口の中に実をためて待っていたのです。これではカン太もたまりません。 「ごめんよ、ごめんよ。悪かったよ。もう二度としないから許してよ。」 カン太は泣きながらフグたちにあやまりました。 「もうぜったいにこんなことはしないと約束できるかい。」 一匹のフグが聞きました。 「うん。もう絶対にしないよ。許してよ。」 気持ちの優しいフグたちはカン太のことを許してあげました。けれど、他の子狐たちにまた悪戯されたりしたらたいへんです。それでフグたちのなかには、草むらをはなれて、海の中に移り住むものもでてきたのです。 もちろんカン太はみんからこってりと怒られました。特にお母さんからは、尻尾をたくさん叩かれました。それでしばらくの間は、早く走ることができなかったのです。尻尾がひりひりとするからです。 それから、カン太はどうしたのでしょうか。大人になったカン太は一生懸命に勉強をして、芝居のおじさんになったのです。けれどカン太が大人になる頃には、フグもすっかりと少なくなっていました。もちろんカン太の悪戯のせいだけではないのですが、海に住むフグたちの方が多くなってしまったからです。それで、お話は昼間にするのです。 「昔、昔、たくさんのフグが草むらで生活をしていたんだよ。」 カン太は子供たちにフグのお話もしてあげます。そうして木の実を吹きかけれている自分のこともです。みんなを悲しくさせる悪戯をしてはいけないことを、子供たちに教えてあげたかったのです 村から村を渡ってお話を続けるカン太が来る日を、子狐たちは楽しみに待っています。それでカン太は一生懸命に物語を考えるのです。昔見たフグの提灯の優しい明かりのような気持ちを、子狐たちの胸にたくさん灯してあげたいからです。それでいつかは、またたくさんのフグたちが草むらに戻って来てくれたらなと、月夜の晩などには思うのです。
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