風のささやき

北風のささやいた話

 夕日も落ちて暗くなった街角を一人、僕は家路へと急いでいました。吐き出す息がすっかりと白くなる冷たさに、手袋をしていない手はかじかみます。たくさんの服を着た体は、どこか重たくさえ感じられて、家までの道のりが随分と遠く感じられました。そんな寒さのせいでしょうか、誰もかれもが無口になって、うつむき真面目な面持ちで歩いています。そんな人々の背中を、明るいイルミネーションや車のライトが冷たい明かりで照らだします。
 クリスマスがもうすぐです。ショーウインドーの中には、小さな子供の人形が靴下を手にプレゼントを待っています。街路樹には小さな電燈がたくさん飾られて、冬の大切な一日を迎えようとしています。
 そんなにぎわう街の楽しさにも、少し顔をこわばらせたままの僕は、交差点を渡ろうと、赤信号が青にかわる瞬間を待っていました。冷たい手をポケットに暖めながら「冬は寒くて嫌だな」そんなことを考えていました。
 やがて信号が青になり、目の前を我が物顔に走り抜けていた車が、手なずけられたように整列します。横断歩道を渡ろうと、歩き始めたその時です。僕の耳に冷たい北風が話しかけてきました。
「ほんとうは冬が、一番心の優しい季節なんだ。だから嫌いにならないで」
 僕は北風の言葉に一瞬足を止めました。それから自分が交差点にいることに気がついて足早に歩道に渡ると、息をついて、北風の突然の言葉にもう一度耳を傾けました。
 これは十二月の北風が教えてくれたお話なのです。

 冬になると、寒い地方では、厚い雲に覆われて不機嫌そうな空から、あきることなく雪が舞い降りてきます。まるで地上に住んでいる生き物たちには無関心のように。時には吹雪で、人の住むところを奪おうとさえするかのように。真っ白になる野山は幾重もの雪の下に身動きもとれずに眠ります。すっかりと葉を落とし尽くした木々は、身をかたく雪の重さに耐えています。その姿はまるで、地面からはえたサボテンの刺のように、冷たく尖っています。厚い毛皮に着替える動物達。中にはそんな寒さを嫌がって、ずっと眠って過ごすものもいます。

 一面真っ白な色の無い世界。冬はそんな寂しい景色を見ていることが、ほんとうは好きではないのです。北の方から冷たい空気を引き連れてやって来る冬を、たくさんの人が嫌がります。木立が葉を燃やし尽くして、初雪が届く頃には、人間の大人達は少ししかめっ面をして、家の中に閉じこもり、あまり外へは出ないようになります。
 あまりにも寂しい地上の様子に、冬は時々心配になって、窓に顔をそっとつけて家の中をのぞき込みます。すると家の中では暖かなストーブを点して、家族の人たちが楽しく話をしている様子が見えたりします。そんな時に冬はほっとしてうれしくなり、その後には寂しくなる複雑な気分を味わうのです。


 大人と違って子供たちは元気です。雪の中でも子供たちは、林檎のようにほっぺたを赤く、機関車のような白い息を吐きながら走ります。そうして、真っ白な雪一面の世界を広い遊び場にして、橇で滑ってみたり、雪合戦をしたりと遊ぶのです。みんなで力を合わせて作る大きな雪だるまは、春まで凍って解けません。固められた丸い雪に描かれる顔は面白いものも多くて、その顔を見て冬は、楽しさにクスクスと笑います。そんな子供たちが、だから冬は大好きなのです。可愛さのあまり、悪戯をして、子供の足をとり雪の上に転がすこともあります。もちろん、怪我などしないよう軽くです。

 雪に埋もれた田畑は、白一色の雪の平原です。その上を駆けて行くことができれば、どこまでも遠くまで行けそうです。時折、厚い雲に隠されていた太陽が、雲の切れ目を見計らって、そんな雪原に光りを投げいれることがあります。冬はその様子を見るのが大好きです。灰色だった雪原が一瞬のうちに目を開けていられないほどに光りだすのです。それは地の上にできた大きな鏡のようです。一瞬のうちに真っ暗な世界が明るく輝きだす、不思議な手品を見ているようで、冬は太陽が顔を出す時を心待ちにしているのです。そうしてその鏡に映る姿をのぞきに、おしゃれな狐でも来ないかなと、目をそらさないように注意するのです。
 雪が降るときの静かさ、景色の暗さ。それはどこか寂しくて、冬は好きではないのです。けれど空を楽しそうに踊る雪の舞は、とても楽しそうで、見ていて飽きません。だからできるだけ楽しい時間を邪魔しないように、そっと冬はその様子を見守るのです。

 たくさんの動物達が土の中に眠りにつく冬の山は、物音も少ない静かな世界です。けれど、そんな山にも、生き物の姿を見つけることができます。たとえばそれは、冬が見つけた小鳥の家族です。寒そうに体を膨らませる小鳥達は、冬が息を吹きかけてしまえば、すぐに凍えてしまいそうです。小鳥達の大切な羽を冷たくしないようにと、冬は遠くからその家族を見ているのです。
 小鳥の家族は食料を探しながら、雪の花の咲いた小枝を飛んで移動します。少しお腹が空いているせいでしょう。三羽の子供の鳥たちは、あまり元気がなくて、小さな声でしか鳴けません。その子供たちをなぐさめるために、親鳥は自慢の喉で歌を聞かせるのです。それは暖かい春を呼ぶ歌なのです。冬はそんな歌声に胸を痛めます。

 木の枝に、木の実が残っていることもあります。それは小鳥達の大事な大事な食料です。冬はそれが一粒も落っこちないようにと、北風に頼みます。他の大きな鳥が見つける前に、小鳥達にその実を食べさせようと、冬は物音を立てて小鳥達をさそいます。やがて、小鳥達が雪の間からその実を見つけました。そうして子供たちがおいしそうに実を食べて、お腹を膨らませる様子を、冬はうれしく思って見ていました。


  冬のもたらす雪は、空気をきれいにして、そうして少し疲れ気味の大地を休ませてくれます。無理に力を出そうとする大地を、冬は雪の子守唄でいさめるのです。静かに雪の下で眠ることで、大地は力を蓄えます。そうして暖かい季節になると、その蓄えた力を一斉に植物や動物たちのために使うのです。春になると木々の梢には新緑が面白いように広がりますが、それも養われた大地の鋭気の表れです。大地を休ませること。それは嫌がられる、けれどとても大切な冬の仕事なのです。

 そんなある朝のことでした。あの雪のついた枝の合間を飛び回っていた、親鳥の悲しげな鳴き声が聞こえてきたのです。冬が少し胸を高ぶらせながら、その親鳥のいる方をのぞきこむと、白い地上に、子供の鳥が一匹、小さな体を真っ直ぐにして横たわっていました。食べるものも少なくて、自分の体を温めるだけの栄養が足りなかったのでしょう。空を羽ばたく力をなくして、夜のうちに地面に落ちてしまったのです。すっかりと、その体は冷たく固くなっていました。親鳥はそんな子供の側からしばらく離れずに、悲しげに首を傾げながら鳴いていたのです。
 その様子を見た冬は、胸が張り裂けるように悲しくなりました。自分の仕事がとても大切なものであることは、分かっているのです。けれど、こんな場面に出会うと、自分が嫌で嫌で仕方なく、やり切れなくなるのです。そんな冬の気持ちを知らない親鳥は、冬の寒さを恨むかのように歌い、それが冬を一層悲しい気持ちにさせるのです。
冬は誰にも見られないように、その鳥の子供の姿を雪の下に埋めて守ります。小さな亡骸も雪の下でしばらく眠ることで、その身をきれいにして大地に帰っていきます。そうして親鳥にとっても、その姿が見えなくなることで、悲しみが少しずつ和らいでいくのです。けれど、そんな冬の優しい心持は、誰にも知られることがないのです。

 やがて、気の早い雪割草やふきのとうが、雪の間から顔を覗かせるようになると、雪が光をたくさん含んだ雨にかわり、冬のはりつめたような冷気も緩んでいきます。木立は身をよじり、重いコートを脱ぎ捨てるように、枝の上の雪を下ろしはじめます。すべてが、新しい季節に向けて、それぞれの準備を始めるのです。
 ほんとうはそんな楽しげに動き出す大地を、冬は見ていたいのですが、冬の仕事はもう終わったのです。いつまでもここにはいられません。遠くへ立ち去るときが近いのです。川は薄い氷を破り、さらさらと金色に流れていきます。霜に盛り上がっていた大地は、ぬかるみ、緑の草が顔を出します。子供たちは冬の間に一回り大きくなったように見えます。
 あの小鳥の家族はどうしたでしょうか。春の兆しが近づくにつれ、食べるものも増えて、今はすっかりと元気を取り戻したようです。

 冬があるから大地は力を蓄えて、新しい息吹を呼吸するのです。冬の冷たさに肌をさらしていたから、みんな春の暖かさに誘われるのです。冬は一番優しいのです。だから、一番に嫌われる役目を自分で選んだのです。

「冬の仕事は、一番優しい気持ちの冬だからできる仕事なんだよ。だから寒い季節を嫌いにならないで。冬の思いやりを分かってあげて欲しいんだ」
 そう北風はささやいて、僕の耳元から離れていきました。

 昨日、季節はずれの名残雪が降り、春めいた陽射しのなかに、すぐに消えていきました。僕は一人で思っていました。あれはきっと、冬の最後のあいさつだったのだと。「暖かくなる季節を楽しむように」と、一人一人の耳元を、元気付けてくれるように。