■ 最近思うこと(2000年7月7日)


 恒例の田島ゼミの同窓会の季節となりました。同窓生の皆に往復はがきでご案内を出します。すぐに返事をくれる人、残念ながら欠席なのでこまごまと近況を書いてよこしてくれる人、大変楽しみです。ところが約3割の人からは返事が来ません。とくにここ4.5年で卒業した人からの返事が来ません。どうしてなのでしょうか。
 毎年、年賀状を出します。こちらも返事をくれるのは7割です。やはり3割の人は音信不通です。この中には、大学院を卒業した人もいます。
 これらの人は、卒業したとたんに、大学のこと、ゼミのことなど全く心から消え去ってしまうのですね。年賀状も同窓会の案内も、ダイレクトメールと一緒にごみ箱行きになっているのでしょう。
 いったい、このような悲しいこと(少なくとも私には大変悲しい)はどうして起こるのでしょうか。
 結論にいたる一つの根拠は、大学の入学のやさしさと関係があるようです。昔は、大学は入るのが大変、いわば大学生活があこがれの時代でした。ですから、在学中はもちろん卒業しても大学時代の想い出は一生の思い出だったのです。でも、今はだれでも大学に入れます。また、本学の場合は、第1志望で無い例がほとんどです。来たくて来た大学でもないし、何の感激もなくただ、4年間を過ごしただけになってしまうのです。ですから卒業した途端に、忘却の彼方にいってしまうのでしょう。ちょうど、英会話学校や自動車教習所のようなものです。授業料の対価として過ごしただけで、何の感激もなかったのです。
 このことは、最近の学生さんの資格志向と一致します。大学も単なる技術を身に着ける場所になって、先生との触れ合い、仲間との触れ合いも面倒くさいだけになり、まして、卒業してからも付き合うなんて考えられないということなのでしょう。

 今まで、大学というものは、単なる知識の切り売りでなく、共に人生や社会を語る場と考えていました。そのために、ゼミでも、ただ卒論をするだけでなく、コンパや旅行なども企画しました。しかし、それも学生さんから見たら単なる余興のようなもので、想い出として心に残るものではないようです。

 今の大学は、かっての高校と思えばいい、と多くの先生がいいます。このことがやっと分かりました。私自身をとっても、高校は、大学への単なる通過点で想い出はありません。大学も、今や、単なる通過点になったしまったようです。授業のあり方、ゼミのあり方を根本的に考え直す必要がありそうです。
 大学院までも同じのようです。かっての大学院は、一つの研究目標を教員と院生が共に苦しみながらデータを出し、学会に発表して胸を共に張っていたものです。今でも、私達は、大学のどこの学科を出たかではなくどのゼミを出たかで、話が進んだものです。今の院の学生さん達も、単なる勉強の場として院を通過するだけのようです。

 社会は時代とともに変わるといいます。私が経験し、私が期待していた大学の有り方も、大昔の旧制高校の頃の大学とはきっと違うでしょう。その意味では、大学がこのように変質してくるのも仕方ないことなのでしょう。今の大学において、学生や院生さんとどう付き合っていくのが正解なのか、しばらく悩みが続きそうです。

                        とりあえず終わり(また、続くかも)



■ 最近思うこと(7月15日)

 上に続くかも、と書きましたが、案の定続きました(〜。〜)。この記事は田島さんのフラストレーションのはけ口なのかも。まあ、おひまだったらお付き合いください。

 最近の、学生さんは、相手にはっきりものを伝えるのが苦手と聞いていましたが、公式の場合でも、意志が伝えられないようで困っています。最近、2つの例がありました。
 一つは、授業奮闘記にも書きましたが、ある授業での問題点について、学生さんに事情聴取したのですが、全く要領を得ないのです。それで大した問題はないのだなと判断してしまいました。これが大した問題だったことが後で別の年長の方から聞いて分かりました。
 2つ目は、ある学生さんが、教務関係の手続きミスをしてしまい、その後処理について相談に来たのですが、やはり、何を言っているのか全く要領を得ないのです。何度か、こちらから質問しても、正確な情報を持っていないのか、あいまいな返事しか返ってきません。助手さんの助言があったので、それを併せて適当に判断してしまいました。もしかしたら誤って判断したかも知れません。
 2つの例とも、自分の言いたいことを相手に伝える日本語表現能力が欠落しているのです。
 ビジネスで大切なものは、いや、ビジネス以外でも人と人との関係で最も大切なものは、正確に物を伝えるということでしょう。どうしてこんなになってしまったのでしょうか。
 
 たぶん、その理由の第1は、大人としゃべる機会が無いのでしょう。子供の頃から、友達とは話をしても、親を含めて大人としゃべる機会が減ってしまっているのでしょう。そういえば、昔は子供部屋などありませんでした。勉強も家族のいるところでしていたし、寝るときも家族と一緒です。自然に親という大人と話をしました。今は、個室で、携帯電話で友達と話しをするばかりで、大人と話す機会が無くなったのでしょう。

 もう一つの原因は、少子化で、子供の頃から何でも周りが面倒を見てくれたので自己主張をする機会が無くなったためでしょう。「これが食べたい」と言う前に、「○○ちゃん、これが食べたいのでしょ」と与えてくれるので、自分から話をする必要が無いのです。学校でも、周りが何かしてくれるので、あまり、はっきり物を言わなくても済んでしまっていたからでしょう。

 このような、いわば幼児化した学生と付き合うには、どうしたらよいか、これも悩みです。

 大学の中に、対策委員会でも作る必要がありそうです。



■ 最近思うこと(10月9日)

 物が豊になると心が貧しくなる(?)

  最近、こんな経験をしました。
  ゼミでイベントの一環として、見学会とコンパをしました。記録係さんにお願いして写真を撮ってもらいます。撮影が終わったフィルムは受けとって現像して、プリントします。いちいち注文を取るのは面倒なので、写真に映っている人数分を焼増しします。それを各人別に別けるのは大変なので、まとめて研究室に展示しておきます。自分が映っているものを各自、自己申告で持っていってもらいます。
  以前ですと、展示するとあっという間に無くなります。ところが、最近は、持っていかない学生さんが多いのです。集合写真は、確実に人数分プリントしてありますから、余るはずは無いのです。それがたくさん余るのですね。仕方ないから、泣く泣くごみ箱行きです。
  この現象をどう考えたらいいのでしょうか。人に撮ってもらった写真なんかいらないよ、ということなのでしょう。昔は写真が貴重だったので撮ってもらった写真は大切にもらったものです。今は、物があふれているのでいらないものはいらないということなのでしょう。でもちょっと悲しいですね。わざわざ焼増しするのは、少しでも楽しんでもらおうと思って用意するもので、街頭で配るティッシュペーパーではありません。その心を思いやれば、たとえいらなくてもお義理で受けとっていって欲しいものです。物が豊になると相手を思いやる心が貧しくなるというお話でした。
  

■ 最近とてもショックを受けたことNEW(20012.7)
 
 先日、助手の狩野さんの結婚式のときにとてもショックな思いをしました。狩野さんの結婚とは全く関係ありません。式に出席していた人のスピーチにです。
 それは、去年のことです。同窓生の院生さんが結婚するという噂を聞きました。本人からは何の連絡もないので、別の用件(同窓会の出欠の問い合わせ)で、電話しました。「結婚するんだって、どうして知らせてくれなかったの。式には呼んでくれないの」と私。それに対する彼女の答えは「すいません。身内だけで挙式するのでだれも呼ばないのです」。そうかそれなら仕方ないなと納得して、お祝いだけ贈りました。
 ところが、今回、その本人が、スピーチに立って、「昨年の私の式に狩野さんに来てもらいました」と話たのです。思わず私は「エーッ」ですよね。あの特、身内だけでやるといったのは真っ赤な嘘だったのです。何のために嘘をついたのでしょうか。多分、それは私を呼ばなかったのが気まずかったたのでとっさに嘘をついたのでしょう。でも嘘をつかれた方はとってもいやな気分になりますよね。もっともそれはそれでしょうがないとして、もっとショックなのは、嘘の原因です。そう、何で助手さんは呼んで、先生は呼ばなかったのでしょうか。全く、無視されてしまったのです。卒論を含めて3年間、心血を注いで、指導したのが全く、彼女には、何も残らなかったのです。無視することが、どんなに相手を傷つけるかを全く理解しなかったのです。まだ、助手さんも呼ばないのっだったらまだあきらめもつきます。恩を仇で返すということわざがありますが、まさにこのことでしょう。
 人の道とは、相手を思いやり、傷つけないことでしはないでしょうか。このような人が同窓生にいるということで本当に悲しくなりました。