セシリア
―イブ外伝―
藤下真潮
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眼前に広がる山々は、僅かにへばりつく緑と、頂きに掛かり出した雪の白さに彩られていた。遥か向こうに見える山は雲に隠れていたが、天の頂きは抜けるような蒼い空が広がっていた。
老人は石に腰を降ろし、緩斜面の牧畑に放したわずかなアルパカの群れを眼の端に収めながら、遠く、雲間に覗く二つの尖った山頂の狭間にある深い峡谷を眺めていた。
アルパカ達は、わずかな牧草と収穫が終わって一角に積み上げたジャガイモの茎をおとなしく食んでいた。
「じっちゃまー」子供達が駈け寄りながら、老人を呼んだ。
子供達は、粗末な服装ながら普段より少しだけ華やかな服を着ていた。収穫の終わったトウモロコシの小さな茎をかじっている子供もいた。トウモロコシの茎は、かじっているとかすかな甘味がする。それは子供達にとって大事なお菓子だった。
「どうしたんじゃ、みんな。今日はずいぶん、おめかしをして」老人は子供達の顔を見廻した。
「リュマの町で市が立つの。お昼を食べたら、みんなで行くの」一番年少の少女が楽しそうに話した。
「じっちゃまは、行かんのか?」年長の少年が聞いた。
「ワシは、アルパカの番をせねばならんからの」少し興奮したような面持ちの子供達を見廻しながら老人は答えた。
「じっちゃまが昔住んでいた町にも市はあったの?」真っ赤な毛糸編みの帽子をかぶった少女が聞いた。
「ああ、リュマの市よりも、もっと大きな市が立ったぞ。小さな市は、満月の日に何度も行われるが、4年に一度祭りと一緒に行われる大市というものがあったからのう。それは大勢の人があつまった」
「祭りって、どんなことをするの?」一番年少の少女が老人の腕にしがみ付きながら尋ねた。
「神に、一年の収穫と健康を感謝するんじゃよ」
「食前のお祈りみたいなもの?」
「もっと、もっと、大きなものじゃよ。人も」
「そんなに大きかったら、神様もちゃんと来るかしら?」
「どうじゃろうな。しかし、ワシも神様には会ったことはないが、神に近い者には会ったことがあるぞ」
「本当!?」「ねえねえ、お話聞かせてよ」子供達は黒いひとみをキラキラと輝かせながら老人を促した。
「そうじゃな・・・それはまだワシが子供の頃。ミュジール。お前よりは二つは年上くらいの頃かな・・・」老人は一番年長の少年を見やった。
名を呼ばれたミュジールもトウモロコシの茎をかじるのを止め、老人の話に耳を傾けた。
「ジャガイモもトウモロコシも、豊作の年じゃった。父親を亡くして働き手が少なくなったワシ等にも少々の余裕が出来た、そんな年だった・・・」
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4年前の大市の時のことは、おぼろげな記憶しかなかった。あの時はまだ父が居た。難しい顔をして種芋を選んでいる父の背中を覚えていた。
少年は立ち並ぶ露店の数の多さに戸惑いながらも、母親に指示されたものを探して歩き回った。客人が来たり特別なお祝いの際に使うチックピーと呼ばれる豆とジャミードという岩のように硬いチーズを探していた。
様々な色とりどりのジャガイモを並べる露店の片隅に、遊牧の民が出している露店が在った。黒い頭まで隠す布をまとった女が、大人の頭ほどもある白い石のようなチーズを積み上げていた。
少年は店先にしゃがむ込むと、ひとしきりジャミードの具合を眺め、片手を広げ数を示した。女は少年には分からない異国の言葉をつぶやきながら、手の指で値段を示した。
少年は首を横に振った。何度か指を使っての値段の交渉が交わされた。女は少年にチーズの欠片を差し出した。味を確認してみろと云うことのようだった。
少年はその欠片を更に小さく手で割り、口の中に入れた。かなりの塩辛さだったが、豊かな羊の乳の匂いが口中に広がった。少年は、以前祝いの席で食べたスープの懐かしい味を思い出した。
ふと、横を見ると一人の少女がしゃがんで二人のやり取りとジャミードの山を興味深げに眺めていた。7,8歳くらいの少女は、遊牧民がチャドルと呼ぶ頭まで覆う布のようなものをまとっていた。ただ、まとっている布は遊牧民が普通に着る黒ではなく、珍しい真っ白い布だった。少女のまとった大きめの服は、実際の年よりも幼い印象を与えていた。
少年は、ものめずらしそうに眺める少女にジャミードの欠片を差し出した。少女は少し嬉しそうな表情を浮かべ差し出された欠片を受け取ると黙って口に含んだ。一瞬、少女が顔をしかめた。予想外に塩辛かった為だろう。
「ありがと・・・」顔をほころばせ、土地の言葉とはかなり異なったアクセントで少女が礼を述べた。
まとった布から少女の髪の毛が覗いた。それは、亜麻糸やトウモロコシのふさにも似た黄金色をしていた。そんな髪の色を見るのは初めてだった。透き通るような美しい髪の色に、少年は何か見てはいけない物を見るような思いを感じあわてて少女から目を逸らした。
再び交渉を再開した。指でのやり取りを何度か繰り返し、ようやく三つの塊と半分に割れたジャミードで折り合いをつけた。母親に指示された値段で半個分を余分に買うことが出来た。初めてにしては、うまく交渉できたのではないかと少年は考えた。銀貨を女に渡し、少年はジャミードを自分の雑嚢に詰めこんだ。
少年は雑嚢を肩に担ぎ直し立ちあがった。少女のことが心に残り、横を見遣った。少女は少し不安そうな面持ちで少年をじっと見詰めていた。
「迷子になったのかい?」少年は少女に尋ねた。
少女は問いかけの言葉の意味が判らなかったのか、不安そうな表情のまま黙っていた。
「お父さんやお母さんは?」なるべくゆっくりと、発音が分かりやすいように喋ってみた。
少女の表情が一瞬動いたが、すぐに判らないという風に首を横に振った。
「どこから来たの?」
少女は遠くの山の頂きを指差した。
「・・・アイ・・ミッド・・・谷・・・」
少年には聞き取れない単語が並んだ。
「アミッド?・・・アイミッド?」
どちらの発音が正しかったのかは良く分からなかったが、少女はそうだと言うように肯いた。
その言葉は、少年にはまるで聞き覚えの無い言葉だった。しかし少女の指し示した白い山は、かつて村の長老に白き神の眷属が住む峡谷があると教えられた山だった。遥か外つ国の、ただ一つの神にまつろう白い肌に黄金色をした髪の女だけの種族が住むと聞いた。そして、その種族は稀に里に下りてきては、人々の病を癒すと云う奇跡を見せるとも聞いた。
少年には、その少女が神の眷属という風には見えなかった。整った美しい顔立ちではあったが、幼さばかりが目立ち、神の眷属と云うよりは、髪の色と皮膚の色が違う単なる少女にしか見えなかった。
少女は心細そうに、少年をすがるような目で見詰めた。
「一緒に探そう・・・」少年はそう呼びかけた。「名前は?」
「ルツィア・・・」
「僕は、ロッソ」
少女に向かって手を差し伸べた。
少女は、顔をほころばせ少年の差し出した手をつかんだ。農作業とは縁遠そうな柔らかな手のひらの感触に、少年は戸惑いと共に微かなとときめきを覚えた。
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チックピーを探し露店を巡りながら、少年は通りを歩く群衆に注意を傾けた。少女のほうは、少年のポンチョの端を握り締めながらも、立ち並ぶ露店の商品を珍しそうに眺めていた。
表通りを、ひと通り歩いてみたが目指す相手は見つからなかった。少年は、チックピーを置く露店を見かけ足を停めた。陽気そうな中年男が店番をしていた。男は、自分の畑で取れた作物がいかに優秀かを冗談を交えながら力説した。豆は粒がずいぶん不揃いだったが、そのぶん安めだった。少年は、内心ここで買うことを決め値段の交渉を始めた。
チックピーの横にはチューニョと呼ばれる乾燥芋が積み上げてあった。少女はその乾燥芋に興味を覚えたのか、興味深そうに眺めていた。チューニョは、ここら辺の土地ではごくありふれた食べ物で、少年の村のどの家でも寒期になれば作っていた。水分の多く含んだ小さ目の芋を足で踏み潰し、夜間と昼間の気温差を利用して一週間かけて乾燥させたものだ。
少女の様子を横目で見ていた露店の男は、芋を幾つか少女へと手渡した。おまけのつもりか懐柔のつもりなのだろう。少女は両手のひらで大事そうに受け取った。
「オイし・イ・?・」少女が首を傾げて片言の言葉でそう訊ねた。
「スープにいれるんだよ。とろみが付いて美味しくなるんだよ」
値段の交渉を終え、少年は男に金を払いチックピーを麻袋へと詰め込んだ。
少年とともに少女も立ちあがる。少女の小さな手のひらから芋がこぼれ落ちた。少女が慌てて拾おうとすると、さらにいくつかの芋が土の上に落ち、その拍子に服の袂から銀色の丸い塊がこぼれ落ちた。
その丸い塊は、少年の足元近くまでころがった。拾い上げると、少年の手の中で凛と鳴った。それは重めの金属で出来ていた。少年が見たことが無い形ではあったが、鈴のようなものだろうなと考えた。少年はそれを目の前にかざし振ってみた。手でつかんでいるのに涼しげな音色がした。金属の球の中に更に音がする別な球が閉じ込められているようだった。
少女が不安そうな面持ちで少年を見詰めていた。この鈴は少女にとって余程大事なものらしかった。
鈴の付け根に付けた環状の紐が切れていた。少年は麻袋の中から真新しい亜麻糸の紐を探し出すと鈴の付け根に結びなおしてやり、それを少女へと手渡した。
少女は、紐を巻き付け右の手のひらに鈴を留めると、少年の頭(こうべ)に向かって鈴を掲げた。一つの鈴から二つの音が流れた。まるで少年を祝福するかのように少女は鈴を揺らした。二つの鈴の音は、高く低く不思議な共鳴りを起こしながら少年を包みこんだ。
「ルツィア様!!」
少年の背後で女の鋭い叫び声がした。振りかえると四、五人女性の集団が居た。少女と同じような白い布をまとい、少女と同じような白い肌をしていた。布をまぶかに纏っているため髪の色はよく分からなかった。
少女は、女たちの集団に駈け寄ると一人の女に抱き付き、そして忙しそうに会話をし始めた。注意深く女たちの会話を聞いていると、彼女達の言葉は、語形変化こそ違いはあるが、基本的にはこの土地の言葉に近いもので在った。幾つかの固有名詞らしきものに混じって”姫長(ひめおさ)”という単語が聞こえた。
少女は、少年を指差しながら何かを説明している様子だった。やがて女の一群の中からひとりの老婆が杖をつきながら歩み寄ってきた。
「姫長が世話になったようじゃのう・・・一族を代表して、わしからも礼を言う」
老婆は土地の言葉になれているのか、殆ど違和感の無い言葉を喋った。
「ルツィアは、姫長と呼ばれているんですか?」唐突とは思いながらも少年は疑問を口にした。
「まあ、次の長を継ぐものと言う意味じゃがの・・・。余所人にも慣れさせた方が良いと思って初めて下界に連れてきたのじゃが、見るものみな珍しいらしくて、わし等がちと目を離した隙にはぐれた様じゃ。迷惑を掛けてあいすまんことじゃ」
「あの山から来たのですか?」少年は、少女が指差していた山を指し示した。
「うむ、そうじゃが・・・」老婆はうなずいた。
「おれ・・・あの山には、神が住んでいると聞いたけど」
「そういうふうに、わし等を呼ぶものもいるがのう。わし等は、わし等のことをハガツッサと呼んでいるがな」
「ハガツッサですか? アイミッドではなくて」
「ルツィアがいろいろと喋ったようじゃのう。アイミッドと云うのは、わし等がまつろう神の名。ハガツッサとは、垣根に居る者の意味じゃよ。わし等は、おぬし等の言う神とは違うよ。もっとも、おぬし等ともまた違うものでは在るがな・・・少年よ、名は?」
「ロッソ」少年は簡単に答えた。
老婆は深くうなずいた。
「わしの名は、今は無いようなものじゃが、みなは大長(おおおさ)と呼ぶ。単に婆様とでも呼んでくれれば良い。ところでロッソよ、今夜の祭りは来るかえ?」
「今夜はここで野宿して、明日の朝に帰るつもりだから母さんさえ良いと言えば、祭りは見たい・・・」
「ならば、あの東の峰から月が昇りきった頃、広場に来るがよい。面白いものが観れるぞえ」
老婆は、少年の目をじっと覗き込んだ。
「お主は、なかなか興味深い相をしておるわい」
老婆はそう言い放つと、こもった笑い声とともに踵を返した。
女の一群に紛れ、ルツィアが小さな手を振るのが見えた。
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東の峰から凍るような満月が登る頃、中央の広場には、丸太が矢倉に組まれ巨大な焚き火が耿々(こうこう)と燃え盛っていた。
少年が広場についた頃には、あれほど賑やかだった歌声もケーナの音も止んでいた。ずいぶん多くの人が焚き火を取り囲むように座り込んでいた。みな奇妙に黙り込み聞こえるものは、薪の松の油が燃えはじける音だけだった。
焚き火を背に、昼間の女達が居た。その中にルツィアの姿も見ることができた。少女は、少年の姿をみとめると、老婆と二言三言言葉を交わした後、少年に向かって駈け寄った。
「ロッソ、昼間は・・・ありがと・う」少女はぺこっと頭をさげる仕草をした。
「どういたしまして。ところで、これから何が始まるの?」
「えーとね。魂・・振り・・」
「魂振り(たまふり)?」
「儀式・・・病気のひと・・・元気づけるの・・・」
少女は、少年の手を引っ張ると人の座る列を掻き分け、焚き火の近くへと座を取った。
「ルツィアは、参加しないの?」少年は尋ねた。
「わたし・・・ダメ・・・力が強い・・・無理やり連れ帰る・・・だから・・・扉をひらく・・・」
少女の言葉はきれぎれで意味が掴みかねた。
「扉をひらく?」
「扉の鍵・・・あけるの・・・わたしの仕事」
「扉ってなんの扉?」
「えぇとね・・・向こう・・・大地」
少女は一生懸命言葉を捜しながら、地面を指差した。さらに少年が質問を重ねようとしたそのとき、鈴の音が聞こえた。
焚き火の前の女達に向かって一人の男が杖を突きながら歩み寄った。かなりひどい関節炎で膝の曲がり具合がおかしく、杖を突きながら歩くのがやっとのようだった。
男は、女達の前に座り込むと曲がらない膝を地に投げ出した。女達は、男をとり囲むように立ち並んだ。
老婆が鈴の付いた錫杖を月に向かってかざした。不思議な共鳴りの音が聞こえた。男の体がビクンと震えた。鈴の音が消えかける頃、今度は二人の女が錫杖を掲げた。鈴の音は、三つになり四つになり、やがて重なり合い一つに融け合った。
少年は、自分の頭の中で鈴の音が鳴り響いているように感じた。鈴の音に気持ちを集中させ出すと、急速に頭が重くなり、眩暈を感じた。
歌のようなものが耳に届いた。歌詞の意味は、上手く聞き取れなかったが、それは奇妙な唸りを伴って少年の頭の中を渦巻いた。
思わず閉じた瞼の裏に、光を感じた。それは揺れ動きながら、何かの像を結びかけた。
「ロッソ!! ダメ!」
少女が少年の手を取り、強く握り締めた。その瞬間もうろうとした意識が消し飛んだ。
「ロッソ・・特別・・歌に集中・・ダメ」
何が特別だと言うのかはよく分からなかったが、少女に手を取られると、奇妙な光は急速に遠のいて行った。
「手を離さないで・・・ロッソ・・・特別・・・とても・・・危険」
「危険? なぜ?」少年は少女の瞳を見つめた。碧い瞳には、ほのかに赤い炎が映り込んでいた。
「受ける力・・・とても強い・・・共鳴りする・・・ 」
少年には、少女が何を言いたいのか良く分からなかった。
先程の男が、うめくように声をあげた。それを合図に鈴の音が止んだ。男が立ち上がった。少年には、男の膝の具合は大分良くなったように見受けられた。
「彼は、治ったの?」
少女は首を振った。「治す、違う・・・癒す・・・段々良くなる・・・生きる力与えた・・・」
それが病を治す事とどう違うのか、そして歌うことにより何故癒されるのかはよく分からなかった。
病人は、次々と女達の前に運ばれた。その度に歌は流れ、そして、その度に病人は少しだけ良くなった様に戻って行った。
やがて、一人の老人が板に載せられて運ばれてきた。少年の目にもその老人はひどく具合が悪そうだった。ほとんど死にかけていると言ってもよかった。
老婆が、横たわる老人をかがみこむ様に覗き込み、そして何か話し掛けた。
「・・・ダメ・・・」少女がつぶやいた。
何がダメなのかと問いかけようとしたとき、少年は、少女が緊張しているのに気がついた。
「ルツィア!」老婆が少女の名を呼んだ。
少女の体が一瞬震えた。
少女の顔は、何かにおびえた様に曇った。
ためらいがちに、のろのろと少女は立ち上がった。少年にすがるかの様に、握った手のひらに力がこもった。
「大長・・・」何かを訴えかける様に少女がつぶやいた。
老婆は、駄目だという様にゆっくりと首を振った。
「ロッソ・・・手を離さないで・・・」少女の表情は、悲痛な面持ちに変わっていた。
老婆が錫杖を振った。鈴の音が流れる。
それに付き従い、少女から透き通るような美しい響きが流れた。
この世のものとは思えないような美しい調べは、秋草を渡る風の様に少年の心を波立たせた。そしてその調べに乗る奇妙な言葉に、少年はまるで不吉な禍言を聞くかのように肌を粟立たせた。
奇妙な言葉は、少年の頭の中に直接語り掛けるように響いた。何かのイメージが少年の中で結びかけていた。
穏やかな風の様な調べは、しばらく続いたが、うねる様に強くなり、やがて嵐のような激しさに変わった。
少年は、その激しい風の渦に巻き込まれた。息が詰まった。あまりの息苦しさに少年は思わず少女の手を振りほどいた。
その瞬間、少年の視界が完全な闇に包まれた。完全な闇と完全な静寂、そして四肢の感覚さえが失われた。
慌てて周囲を探った。だが何も触れるものはなく、自分の体が、果たして動いているかもよく分からなかった。
戸惑いはしたが、恐怖感は感じなかった。落ち着こうとして、ゆっくりと呼吸を繰り返した。しかし奇妙なことに自分の呼吸すら上手く感じることが出来なかった。
やがて、闇の奥底にかすかな光を感じた。それはゆっくりと近付いてくるようだった。何かの形を成してはいたが、何の形かは分からなかった。
やがて光が近付くと共にかすかな音も聞こえた。それは馬の蹄の音だった。
―― 子馬?
子馬に、輝く人影のようなものが横座りに乗っていた。
鈴の音が聞こえた。
馬上の人影が手を掲げた。掲げた手には、鍵のようなものが握られていた。
錠の開く音に続き、扉が重い軋みをあげながら開く音がした。
少年は、思わず音の方向を凝視した。
扉の向こうから光が溢れ出した。洪水のような光の噴流に少年は呑み込まれ、そして完全に意識を失った。
柔らかな少女のひざを感じた。『ごめんなさい』とつぶやく少女の声を聞いたような気がした。
目を覚ますと、それが母親のひざだと気づいた。
大丈夫かい? 少年の額を撫でながら母親が訊ねた。
少年は起き上がった。
母親は、少年が異国の女達に運ばれて来た事を説明した。妹くらいの少女が泣きながら、ごめんなさいと繰り返していたことを少年に語った。
何があったのかい? 心配そうに母親が少年に訊ねた。
少年は首を振った。隠すつもりは無かったが、昨夜のことを上手く説明することは出来なかった。
母親も、それ以上は少年に訊ねることをしなかった。