中華人民共和国雲南省の旅
昆明・麗江・大理
(2000.4.19〜4.23)
広大な山地と点在する少数民族の村々
温暖な気候に恵まれ作物も豊富にとれる。
そんな雲南(Yunnan)を訪れた。
昆明へは水曜日と日曜日の週二回の往復便がある。 羽田よりJD513便で関西空港まで行きJD233便に乗り継ぎ昆明へ向かった。 天気は曇り。ずっと雲海の上を飛行した。龍が舞うような羽衣のような帯状の白雲。 そう言えば龍は水の神様だ。それは稲作文化の神様として創造された。 赤ワインがジャズに合う。I Hear A Rapsodyを聞きながらふと思った。 上海を越えても雲海は消えない。もう武漢を越えただろうか・・・・ こんなに長い時間雲であっていいのか・・・・地球が水の惑星である所以で ある現象であると言えばこれが当たり前と思えるのであるが・・・・・ 昆明に近づいてようやく雲が切れて陸が見えてきた。雲の影が陸に映りジャガー模様を見せた。 山脈も谷も単なる皺のように見え、道は地形に逆らわずくねっている。 高度が下がると陸は赤い花が咲く果樹園と間違えるくらい赤みを帯びた。 赤い大陸だ。 標高が高く空気が薄いためか飛行機は右左にあえぎながら無事昆明空港へ着陸した。
昆明(Kun Ming)
昆明市街
雲南省の省都昆明は雲貴高原のシ真池(Dain Chi)盆地にあり標高1890メートルの高原都市である。 年間平均気温が14度と冬暖夏涼の四季如春で花卉の絶えることを知らず。 開発が遅れているであろうか高層ビルはそう多くはない。芝生の緑と花壇の赤が一際目立った。 絶えず風が吹き抜けているためであろうか埃っぽくない清潔な街であるように感じた。 町の一角にある自由市場には果物、野菜、肉などが並べられ自然の恵みの豊かさを感じさせられる。 昆明では奥さんの方が偉いのか男が買い物をする姿が目立った。どうも夫のほうが料理をするようである。
大観公園
まず訪れたのが大観河がシ真湖(DainChi)にそそぐ河口にある大観公園である。 赤や黄色のコウモリ傘を使った飾りが珍しいと言えばそのようであった。 代表的な建物は三階建ての大観楼で清朝時代(1696年)に造られたもので中国四大名楼の一つである。 入り口の両側には180文字の長詩文が掲げられている。 三階まで登り窓から眺めると眼下に三Tan印月(SanTanYunYue)があり遠方に西山が望めた。 シ真湖(DainChi)は埋め立てによりここからは見えなくなっていた。
雲南民族村
雲南省は少数民族の多い省であり25の民族が住んでいると言われている。 民族村では少数民族の村を一堂に集めて生活文化にふれることができる。 少数民族に興味ある人は必見の場所であると言える。 イ秦族村、回族村、蒙古族村、布依族村、苗族村、白族村、納西族村などなど。 イ秦族村ではちょうど4月中旬は正月と重なりみずかけ祭りを見ることができた。 これはお互いに水をかけあって祝福する祭りである。 イ族は昔から太陽暦(1ヶ月が36日で10ヵ月で360日。これに正月の5日間を 加え365日)が使われていた。1万年の歴史があるというから5000年どころの 話ではない。また、寅が神様として崇められ十二支も寅から始まるのもおもしろい。
翌朝6時にホテルを出て空路麗江へ向かった。 石林へ行ったのは麗江・大理を見てから再び昆明に戻った二日後のことである。 午前中は大理から昆明行きの直通便がなく西双版納(シーサンパンナ)経由であった。 機内から降りることはなかったが思いがけず西双版納にふれることができた。
石林
昆明市街から車で2時間余り居眠りをしながら車で揺られて行くと 石灰岩の奇岩が地面から突き出ている一帯に着く。 ここいらはイ族が多く居住する地域である。 石林湖の辺にあるレストランでテーブルを囲み昼食を食べた後見物に出かけた。 石林と言うが如くさすが石の林中を散歩するような気分にもなる。 中国国内の旅行客も多く賑わっていた。
西山森林公園
最後の日に西山森林公園へ足を運んだ。 西山へリフトで登るとシ眞池から切り立った断崖の上に着く。 72年かけて掘り刻んで造ったという細い道を下ると
龍門
があり観光客でごった返していた。 眼下にシ眞池が開け午前の陽光を受け霞んで見える。昆明民族村も見える。 龍門の突起に触ると願いが叶とか岩に掘られた穴に手を突っ込むとお金が千倍にもなるとか 言われて言われるまま試しながら混雑する石道を下った。 また、この一帯はお寺も多く
華亭禅寺
に立ち寄った。 イ駄天、四天王、釈迦牟尼佛、500体の羅漢像や黄緑色の花をつける緑梅など見て回った。 森から境内に風が吹き風鐸が静かに鳴りとても気持ち良かった。
雲南省はお茶の産地として有名である。多種多様なお茶が売っているのでどのお茶を買えば いいのか下調べがいる。25年ねかせた普シ耳茶(プーアルチャ)を買った。
麗江(Li Jang)
麗江市街
二日目、昆明から飛行機で約1時間余りで麗江へ着く。 麗江空港は標高約3000メートルの高原である。 さっぱりと空気が澄んでいて真っ青な空と目の前に連なる山並みが気に入った。 空港から麗江の街にバスで向かう。左右の麦畑は土地の傾斜に合わせて段々畑になっている。 日本の山間地に行けばどこでもある風景である。このような技術も稲の伝導とともに 日本に伝わったのであろうか?? 途中から一級道路に入りまっすぐ進む。所々に菜の花畑があり麗江の街並みが見えてきた。 その後方に標高5596メートルの雪をいただいた玉龍雪山がくっきりと見えた。 麗江の街を抜けシャングリラ大通りを進み突き当たりを右に折れて行くと納西族の村がある。 1996年の地震で壊滅的な被害を受けたが、香港の人々の援助で復興したそうだ。
玉龍雪山
納西族の村を過ぎると原野となり真っ直ぐな道路が続く。 路面がでこぼこしているようでバスが小刻みに揺れて不快であった。が暫くすると途端に眠気に襲われた。 海抜が高いと空気が薄くこのような現象になるようだ。 尾根に沿って真っ直ぐな道が曲がりくねった上り坂になり登って行くと 玉龍雪山からの雪解け水が流れる清流があり橋が架かっていた。 このあたりにはイ族がたむろして馬に乗るお客を待っていた。 登り詰めると納西風景区と看板の出た駐車場に着く。 ここでバスを降り高山病の予防のため空気袋を20元で借りた。 袋には空気を運ぶゴムホースが取り付けてあり、 ゴムホースの栓を抜き鼻穴に突っ込むと心地よい空気が袋から送られる。 ここからリフトに乗り標高3200メートルの雲彩坪へ登る。 リフトを待つ乗客が列をなし粗末な待合小屋ははちきれんばかりであった。 小一時間列の中でねばり強く順番を待ちリフトに乗った。 リフトを降り坂道を辿ると
イ族の衣装をつけた少女達
にあった。 写真を一緒に撮るとお金を請求されるしくみである。 日本であれば3000メートルもの高地には木立はないが、緯度が10度ほど下がると標高3200メートルの 雲彩坪は杉木立が茂り草原には馬が放たれていた。 小店が並びイ族の衣装をつけた女達がたむろして客を待っていた。 牧場の向うでは3200メートルの高度を何者ともせず
イ族の女達
がかん高い声で歌いながら元気よく踊っていた。
白沙村
帰りに納西族の村である白沙村へ立ち寄った。ここには大寶積宮という古い寺?があり、 明〜清の時代に書かれた壁画が有名であると案内された。 諸民族が崇める神様の中央に釈迦牟尼佛が描かれ諸民族の融和と安寧を願った壁画である。 文化大革命の爪痕が残り壁画はかなり傷んでいた。 瑠璃寶宮を出ると納西族の女たちが歌いながら民族舞踊を踊っていた。 お金を入れる箱が用意されていたので写真を撮って寸志を入れた。 ところで納西族は女の方が男より位が上であるそうだ。家族で一番偉いのはおばあさんである。 女は気のあった男を呼び子供を産む(結婚しない??)。そして働いて子供を育てるそうだ。 男はぷらぷらしているだけで働かないで女に食わせてもらうようである。 ちょっと信じられないがあまり働いている男の姿は見えなかった。
納西族の住まい
は紅土を藁などと一緒に練った団子を積み重ねた壁が特徴である。 一見もろそうに見えるが叩いて見ると固く意外と頑丈である。ここの気候に合った造りなのであろう。
束河村
小川が流れ柳の木のある小道を麦畑やトウモロコシのハウスを見ながら行くと束河村に入る。 石畳の道沿いの民家は紅土の饅頭を積み上げた高い塀で被われていて中庭や母屋は見えない。 対聯(チーレン)と言う旧正月の赤い飾り紙が両側に張られた門扉が厳重に閉ざされていて それぞれの家がなにかを隠してでもいるように感じられた。 村の広場ではジャガイモなどを物物交換するトラックや小川で洗い物をする女達がいた。 顔は黒く健康的であり我々に余り好奇心を持っているようには感じなかった。
玉泉公園
玉泉公園はこの地方の王である木氏が築いたものであるそうだ。玉龍雪山の伏流水が湧き出す 澄んだ黒龍池があり得月楼が湖面に姿を映していた。 池の辺の柳の緑と花壇の花々の色鮮やかさ、流れる風の心地良さと心和ませる公園である。 また、公園の一角にチベット族のラマ教の煌びやかな寺、福国寺五鳳楼があった。 納西族で説明をしなければならないものとして象形文字である東巴文字である。 最近まで東巴文字を使っていたという。公園の一角に東巴文字研究所もある。
四方街(老街)
玉泉公園で湧き出した泉は川となって街の中を流れ下る。その下ったところに老街がある。 老街の街並みは宋の時代からの古い建物であるが、 1996年の大地震でも被害がなく生き延びている。 以前は納西族が生活していた街であったが、世界遺産に指定されてからは開発が進み 今は売店が軒を連ねて人々の生活の匂いは無くなっている。
大理(Da Li)
麗江から大理へバスで5時間かけて移動した。大理石が飛び出した原野を進と馬の背のような 尾根になり、急な坂道を下ると谷間に梯田(段々畑)が開け淡い花をつけた木立に囲まれた村がある。 こんなことを繰り返しながら大高原を下って行った。
大理(南城楼)
大理は白族自治区の州都であり標高1976メートルの山岳地帯にある。 唐の時代に南召国が出来て下って大理国になり1253年に蒙古により滅ぼされるまで 大理が雲南の中心地であった。その後開けた昆明よりは歴史の古い街であると言える。 南城楼には観光客が大勢詰め掛け
城門をくぐると
人々がごった返していた。 夜ホテルを抜け出して古城の繁華街へ出かけた。繁華街と言ってもそうにぎやかでなく ろうけつ染の店や喫茶店、お茶屋など小さな店が軒を連ねた静かな街であった。 美術館に立ち寄り東巴文字の辞典を買った。
大理の名物は三道茶である。 文献楼で白族の民族舞踊を見ながら味わうことが出来た。 一番目は緑茶で苦味を。二番目は蜂蜜、胡桃、チーズなどで甘みを。 三番目は胡椒、生姜、山椒などで辛みを。というものであった。三番目は味が後まで引いて印象に残った。 白族の男女各々5名が舞う民族舞踊は素朴な男女の気持ちが率直に表現されていて楽しかった。 女の持つバウディという棒に幾つもの小さなシンバルをつけたものや男の持つ三尺琴は珍しかった。
三塔寺
大理三塔は南召国の時代に立てられたレンガ造りの仏塔である。 もともと崇聖寺という寺の寺院に建てられたが寺院の建物は全て無くなり三塔を残すのみであるそうだ。 主塔は69メートル、両側の小塔は42メートルの高さがありレンガを髪の毛ともち米で接着して 建てたものであるとのことである。 いづれにしても白族の信仰の塔であることにはこれからも変わりがない。
周城の藍染
麗江からバスで山岳地帯を5時間ほどかけて下ってくるとシ耳海(アルファイ)が見えてきた。 ここまで下ると稲作地帯になり麦畑のほか苗床が目に付いた。 もうしばらくすると麦を刈り取り田を畝って田植えが始まるのであろう。 周城という白族の村の藍染の製造直売場に案内された。 白族の老婆は布を紐で縛ったり、染め上げた布の紐を解いたりする作業を見せて、 民族衣装を纏つた若い娘は染め上げた藍染の製品を売る係りである。 蝶の模様のある藍染を買ってしまった。
胡蝶泉
周城からほど遠くないところに胡蝶泉という公園がある。 白族の愛し合った若い男女が愛を貫くため入水自殺をしたところ蝶が舞いたったという伝説のある澄んだ泉がある。 また公園内には珍しい蝶の標本が展示されている胡蝶館がある。 この公園でも蝶の舞うのを見たし昆明の西山森林公園でも見ることができた。 雲南は動物にも豊かな地方でもある。
米のルーツを訪ねて雲南省の三都を旅した。
山岳高原地帯とはいえ田畑が開け作物も豊富に栽培されていて意外と豊かな地方だと感じた。
米作は雲南から揚子江を下り江南に広がり日本へ渡ったというのは本当に思えた。
すばらしい自然と民族の営みに少しではあるがふれることができて楽しい旅であった。
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