中国/河北省
邯鄲市

響堂山石窟

                     

Handanshi
Xiangtangshanshiku
(2006.5.25)


太行山脈が山西省と河北省の境となっている。峠を越えると河北省邯鄲市である。この地域は鉄鋼業が発達しておりそれを思わせる煙突が聳える工場と煙りが目にとまる。
邯鄲は邯鄲の夢で有名な町である。邯鄲のまとめは次回にすることとしてまずは石窟遺跡の響堂山石窟をまとめることとしました。


北斉時代に開鑿された響堂山石窟は河北省の最南端に位置し、邯鄲市の市街から車で約1時間のところにある。
石窟は源流がインドにあり、パキスタン、アフガニスタン、中央アジアを経て甘粛省に伝わった。敦煌莫高窟、炳霊寺石窟、麦積山石窟、そして東漸して雲崗、龍門、竟県、響堂山、天龍山などの石窟が造営された。
そもそも石窟は禅観道場として修行僧が開鑿を推進したものであったが、国家が密接に関わるようになると宮廷若しくは貴族、あるいは貴族化した僧侶が造営の主たる担い手になっていった。
北斉のとき鼓山の麓に南北に築かれた響堂山石窟は北が北斉宮廷が造営し南は貴族達が造営したものである。


北響堂山は山の中腹に造営されおり、1250段もの石段を登った。


北響堂山石窟からの眺望

北響堂山の石窟からの眺めは大変すばらしかった。ここではなかなかこのように見えることはないそうである。
眼下に見える塔と塀の囲いは金宋時代の寺の跡である。


北響山石窟第九窟正壁座仏


北響堂山石窟第九窟南通道塔形龕

大きい火焔宝珠の浮き彫りが目立った。


南響堂山は崖に2段になって掘られている。下段が華厳洞と般若洞の1〜2窟、上段が空洞、阿弥陀洞、釈迦洞、力士洞、千仏洞の3〜7窟である。


南響堂山第一窟(華厳洞)中心柱正龕主像釈迦仏

洞の中に柱を立てた中心窟は仏塔の荘厳さに倣って


南響堂山如来半か像


南響堂山第五窟(釈迦洞)涅槃仏


南響堂山第七窟(千仏洞)窟頂の飛天