中華人民共和国/福建省

厦門(アモイ)

XIAMEN

(2006.1.6〜1.8)

アモイ市の主要部は面積128平方キロのアモイ島である。
白鷺が多く生息していたことから鷺島とも呼ばれていた。
厦門は共通語でシアメンと発音するが、現地の発音はアームンで
これが西洋人によりアモイと解釈された理由の一つである。
明の時代にはポルトガル、スペイン、オランダと茶葉の交易で栄え、
最近では1980年経済特区となり外資が進出し発展するなど
古くから海外との結びつきで栄える土地柄になっているようだ。
                              


成田からアモイ(厦門)へはJAL直通便がある。この便の機内は北京や上海への便と違った雰囲気がある。日本とのつきあいがどうも土足で出入りできるつきあいのような感じがして他の省とは違うような気がする。東京の飲み屋で働く林さんやめし屋で働く陳さんはいずれも福建省出身で、彼らと同じテーブルについているような親密感や警戒感などが機内に充満していた。
直通便は日本列島上空から上海を過ぎるまで真っ直ぐ西へ飛び太湖の辺で左旋回してアモイへ向かう。福建省上空に入ると水路の家々が点在する平坦な風景から峰峰が重なる山岳地帯へと変化する。
白龍のように流れる大河が見えたと思いきや峰峰が全てを覆い尽くす。江南文化の流れが峰峰により塞き止められ海へと開けた独自の文化をはげくんだ福建省上空を直通便は飛ぶ。
彼らの意識のなかに公より自由闊達な福建人が前に出ていると思えるのもその風土に培われているようだ。


鷺江を渡りコロンス島へ

アモイ島から鷺江をフェリーで渡るとコロンス島へ行ける。
コロンス島は観光地とあってどのフェリーも乗客で満員である。
コロンス島からアモイ島を眺めると高層ビルが建ち鷺江賓館の建物が眼に焼きついた。
コロンス島(鼓浪島)の由来は岩に砕ける波音が太鼓の響きようであることから
鼓浪石と呼ばれるようになったことにあるとのことである。


英雄鄭成功と日光岩

コロンス島の最高峰が92メートルの日光岩である。別名は晃岩と言われている。
明末清初の英雄鄭成功が頂上から眺める景色が日本の日光山にまさると、
晃の字を二つに分けたと伝えられている。
島内の足は電動車である。
これで波止場から曲がりくねったアップダウンのある細い石路を勢い良く走り回り気分は爽快である。
鄭成功記念館を見物して鷺江第一との刻石を見上げ日光寺から300段登ると頂上に至る。


日光岩からの眺め

日光岩に登ると360度のパノラマが楽しめる。
植民地統治が100年以上続いた。コロンス島は欧風の建物が似合う。
また、島内で見かけた真っ黒に日焼けした作業員達のなりふりは
遠く明の時代へと想像をかき立てた。


南普陀寺

アモイ島の五老峰に建つ古刹である。
浙江省の名山である普陀寺の南に位置することから南普陀寺と言う。
唐代創建で1000年以上の歴史がある。


胡里山砲台

清の末期1891年から5年の歳月をかけて完成した砲台で
全長13.9メートル、口径28センチ、射程距離6400メートルの大砲はドイツ製である。
望帰台から金門領島を見渡すことができる。
鉄砲、刀剣、槍、奇石などを陳列した博物館があり種類が豊富でおもしろい。


永定県の客家土楼

アモイから永定県までは280キロほどの距離がある。
アモイ島と大陸にかかる大吊橋を渡る。
飛行機で来るとアモイは島であることが実感できい。しかし、ここでようやく島でることが実感できた。
造成中の工業団地をぬけて龍岩市へ続く高速道路に入る。
バナナ、さとうきび、パイナップル?などの畑が続きここは南国であることを改めて感じ、
点在するアヒルの養殖場の景色に童話っぽい気分にさせられた。
金山SAで休憩してから和渓で高速を下り一般道を進む。
一般道は凸凹がありバスが揺れ乗り心地が悪いが、人々の生活を身近で見ることができるのが良い。
玄関先に積んだ石炭の粉に型棒を立てて練炭を作っている人の姿が目に付いた。、
山に進むにつれ斜面に穴を掘りテントを張っただけのあやしげな炭坑があった。
ここから石炭を積み出す汚れたトラックとすれ違いながら
険しい曲がりくねった博平嶺の峠道を越すとようやく永定県へ到着した。

客家は少数民族ということであるが、もともとは中原から南下した漢族である。
移住途中で先住民の人々に迫害されたため福建、広東、江西にまたがる危険な山岳地域に住みざるを得なかった。
盗賊や野獣を防ぐため一族が集団で住めるように考えられた建物が土楼である。
現地に着いて見ると円形のほか方形のものが多く見受けられた。円形は方形に比べ風による風化を少なくできるとのことである。


林氏一族が住む振成楼

林氏一族が生活する土楼は永定県洪坑村にある。
タバコを刈る刀を売りだし財を成した林氏は1909年建設を着手し3年後の1912年に完成しのがこの振成楼である。
山を背景に広々とした敷地にドーナツ型の円形土楼が建ち、玄関には振成楼と大きな額が掲げられていた。
衛星写真で見る円形土楼はミサイルの発射基地のように見え間違えられたことがあるとのことである。


二重円の円楼の中心に儀式を行う祖堂が建つ

振成楼は二重円の円楼である。
外側は主楼と呼ばれ高さ16メートルの4階建ての構造である。
1階は厨房と食堂、2階は倉庫、3〜4階は寝室である。
また、内側の円楼は2階建てで客室や儀式を行う祖堂がある。
門から中に入ると左右にみやげ物の店があり、また、内楼にも軒を区切ってみやげ物やが開かれていた。


4階建ての主楼は8等分されている

柱や梁、廊下や階段は木造であり、屋根は板を張らないで貝瓦を乗せただけである。
軒先には赤提灯がかけてあり彩りを添えている。
ドーナツは八卦思想に基づき8等分されていて1区画に6つの部屋が配置されている。


承啓楼の子供達

高北村にある承啓楼は1709年に江氏によって建てられたもので4重の円楼造りになっている。
また、直径72メートルで永定県最大の円楼でる。
外で子供達が元気良く遊んでいた。


中国は行くところ行く所で新たなおもしろさが発見できます。
今回の旅は期間が短かいわりに見るところがありなかなかおもしろい旅でした。
福建省の風土に直にふれることが出来て満足しています。
再見!!


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