チムール
TEMUR


チムール朝(1370年〜1507年)

14世紀サマルカンドを都としたチムール王朝が興こる
・チムール(在位1370年〜1405年)
・シャー・ルフ(在位1409年〜1447年)
・ウルグ・ベク(在位1447年〜1449年)
・フサイン・バイカラ(在位1470年〜1506年)
ウズベク・ハン国アラル周辺より南下、ウズベク人によりチムール王朝滅亡


ウズベキスタンの人々はチムール朝のアミル・チムールを英雄としている。その表れとしてサマルカンド、フャフリサブス、タシケントにチムールの像が建てられている。


チムールの門
ウズベキスタンの大半は砂漠、半砂漠地帯である。山並が見えるのはサマルカンドから東部や南部にあたる方向で、新彊〜タジキスタンを経てこの地で消える天山の山塊である。サマルカンドからタシケントへ行くにはこのなだらかな支脈を越えることになる。

チムールの門
サマルカンドから鉄道も国道もこの門を貫けてタシケントへ続く


サマルカンドのチムール
チムールはチャガタイ・ハン国に仕えるバルラス部族の出身であるという。1340年代、チムールはチンギス朝カザン・ハン(1343〜1346年)の娘のサライ・ムルクハニムと結婚したことによってグラガン(ハンの婿)という尊敬される地位を獲得した。


チムール座像
(アムール・チムール砦の城門跡近辺に座る)


生誕地シャフリサブス(サマルカンドの南方80キロ)のチムール

チムール立像(その1)
(アク・サライから見下ろしたもの)


チムール立像(その2)
(右後の建物がアク・サライ(白い壮大な宮殿))


タシケントのチムール
ウズベキスタンの人々はチムールがモンゴルの血を引く者でないと考えているようである。モンゴルの者でないのでハンの娘ハニムと結婚する必要があったという理由であったが果たしてそうか??モンゴル族の一部族の出の者がハンの地位を獲得する為にはこのような血縁を築く必要があったと十分考えられると思う。


チムール騎馬像
(アミール・チムール広場)


チムールの廟

シャフリサブスの地下納骨堂
20世紀になって発掘されたチムールの納骨堂。形は十字架型をしている。明遠征の時に没したチムールの遺体はこの堂に納められることはなかった。だから納骨堂には石棺床が横たわっているだけである。この上には廟と追善モスクが建てられていた。


シャフリサブスの納骨堂
(石段を下り昜堂道をくぐると玄室があり石棺床が置いてあtる)

サマルカンドのグル・アミール廟
チムールの遺体はグル・アミール廟に納められている。この廟はチムールの孫のムハマッド・サルタンの為に建築されもので、チムールのほかチムールの師サイッド・バラカ、チムールの息子のミロンシャーフ、シャフルフ、孫のミルゾ・ウルグベクなどが葬られている。


サマルカンドのグル・アミール廟
(廟はアミル・チムールの砦に正対している)


廟の主堂


眠るチムール朝の王
(大理石の黒棺がアミル・チムールのもの)


後に王族の一人パーブルはインドに入り19世紀まで続くムガル帝国を打ち立てることになる



アミル・チムールの顔
(サマルカンド)


2011年5月
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