サマルカンド
15世紀チムール朝時代のサマルカンド
SAMARKAND
紀元前8世紀〜7世紀ソグディアナという勢力が生れ中心都市はマラカンダという今のサマルカンドの北にあたるアフラシャブに置かれた。それがサマルカンドの源である。14世紀モンゴルの侵入によりアフラシャブは荒廃し都は南方へと移動しレギスタン広場を中心にして発展した。
15世紀チムール朝時代のサマルカンドの歴史的建造物として以下のものがある。
1.アムールチムールの砦
2.クック・サライ宮殿
3.レギスタン広場
4.グル・エミール廟
5.ルハバドの廟
6.ジュマモスク
7.ビビ・ハニムメドレセと廟
8.チョカルティザ墓地
レギスタン広場
3つのメドレセで囲まれた現在のレギスタン広場

左手がウルグベク・メドレセ 右手がシェルドル・メドレセ
正面がティラカリ・メドレセ
正面の建物:ティラカリ・メドレセ
・まずキャラバン・サライが最初に建てられた
・破壊されたサライの代りに1660年に完成
・金箔されたメドレセと呼ばれる
@ティラカリ・メドレセ(正面)

A金箔で飾られた内部

ウルグベク・メドレセ(左手の建物)
・最初にこの広場に建てられた
・ミルゾ・ウルグベクが1417年〜1420年にかけて建設
・最も大きく立派な神学校
・ミナレットが傾いている
@ウルグベク・メドレセ(正面)

A中庭
権威有る神学校を思わせる建物だ

Bミナレットの内部

シェルドル・メドレセ(右手の建物)
・ウルグベク・メドレセの前にまずハナカが建てられた
・その後1619年〜1636年にかけてハナカの代りにこのメドレセを建設
・鹿を襲うトラと太陽の絵が特徴の一つ
・シェルドルとは「トラが入っている」という意味
正面
特徴のあるドームの屋根

グル・エミール廟
・チムールが若くして亡くなった孫のムハマド・サルタンの為に建設
・アミル・チムールを始めチムール朝の王はここに眠る
@青い巨大なドーム

A黄金に輝くドーム内部

ルハバドの廟
・アミル・チムールの命で建設
・中国で亡くなったイスラムの教主ブルハン・アドディン・ダガルドジの廟
・ルハバドとは霊の住みかという意味

ジュマモスク
・アムール・チムールの命により建設
・建設はインド遠征後の1399年に始まり5年後に完成
@ジュマモスクの正門
20世紀末から修復が進められ現在も作業が進行中

A正面の奥に位置する本堂
復元された本堂のドームと手前側面のドーム
奥側面のドームは修復中

B本堂内のミヒラーブ
本堂内の修復はまだ進んでいない

C大理石の教卓
中庭の中心にウルグベクの時代に造られた巨大なコーランのための大理石の教卓

ビビ・ハニム・メドレセと廟
チムールの妻サライ・ムルク・ハニム(ビビ・ハニム)の資金でジュマモスクに正対して大規模なメドレセが建設された。ジュマモスクと規模・美しさを競ったことからチムールの怒りをかい再建させられた。後にメドレセは18世紀半ばイランのナディールシャフの侵攻により破壊されて廟が当時を留めている。
ビビ・ハニムの廟
サライ・ムルク・ハニムの一族はここに眠る

サマルカンドで宿泊したアフラシャブ・パレスホテルはアムール・チムールの砦の中に位置する場所にある。今は城壁がなくそのことは実感できない。レギスタン通りの向こう側にルハバド廟とグリ・アミール廟があり、通りを東に歩くとレギスタン広場があった。いずれも徒歩圏内なので早朝散歩して回ることができた。
2011年5月
uzbekistan
サマルカンド 15世紀チムール朝時代のサマルカンド