クワ
(現地語でtutというらしい)


外国で桑の木を見たのは中国新疆ウイグル自治区のトルファンが最初であった。私が高校時代までは田舎では養蚕が盛んで桑畑は近場に多く見られた。だから桑の木自体はめずらしいと感じないが、トルファンのそれはは大木で圧倒された。しかし、今回ウズベキスタン会見した桑の古さといい大きさといい、数の多さといいトルファンをはるかに上回るものであった。


桑との最初の出会い

ウズベキスタンに入国して最初に桑を見たのはタシケントの国内線ターミナルの広場であった。ウルゲンチへ飛ぶ朝便のチェックインまで時間があったので広場へ出た。歩いていたら足元に何の実だか定かでなかったが指先ほどの白い実がいっぱい落ちていた。見上げると枝に実が鈴なりになっていた。手に取って何だろうかと見ていると男が近寄って来て口に入れろとジェスチャーで話し掛けてきた。ちょっと心配ではあったが思い切って口に入れると甘い味がした。これがウズベキスタンにおける桑との最初の出会いとウズベキスタン人との最初の会話となった。


メモの中の桑

ウルゲンチからヒヴァまでトロリーバスが走っている。料金は700スムだそうだ。そんな街道をヒヴァに向けて走るバスのなか、ガイドからポフラ、ニレ、桑、柳と現地の木の種類について説明があった。その中に桑があったのは鉛筆で書き取ったメモの中でしか存在しなかった。


桑の再認識

旅の時が過ぎ、ブハラのカーラン・モスクに来て桑をより意識的に認識するようになった。


モスクのご神木として
(ブハラ カーラン・モスク)

ブハラのカーラン・モスクのサハン(中庭)に神木のように桑が立っていた。今が実りの時期とみえて白と紫の実が足元に落ちて散らばっていた。白い実を手に取るとタシケント空港の状景が蘇り男のジェスチャーを思い浮かべ思わず拾ったア実を口へと運んだ。

モスクの桑

(1)幹は太く立派だ



(2)泉亭の前に立つ桑は神木のようだ。しかし枝振りはあまり格好良くない。


(3)地元のご婦人方は枝から実を摘んで食べた


広場の桑
(ブハラ:池の岸辺リャビ・ハウズ)

広場の桑は巨木が多い。リャビ・ハウズは池の岸辺という意味でここには古い人工の池がある。ブハラのひとびとが水をくめるよう石段が設けられている。ひとびとが憩おっている広場を通りぬけて睫毛が長く目玉が黒い女の子が白い桑の実を拾い集めた籠を両手で抱えて家路を急いで帰っていった。

広場の桑

(1)巨大な桑は年輪を重ねた古木である


(2)紫の実は拾うひとがないようだ


廟の桑
(ブハラ:イスマイル・サマニ廟)


イスラム建築の原型をとどめるイスマイル・サマニ廟に正対する古木


サライの桑
(ヒヴァ:宿の屋上)


土で固めた屋根に顔をだした桑


木陰を作る
(ブハラ:ターキ付近)

桑の木陰で憩う縁台の老夫婦
(実はターキ近くの公衆トイレ受付所)


街路樹としての桑
(サマルカンドレギスタン通り)


桑の歩道を中心街へ向けて歩く通勤者たち


養蚕の営み
(サマルカンド〜シャフリサブス間街道沿い)


刈られた桑や刈り取った桑を運ぶロバ車は養蚕の営みだ


白い桑の実
(サマルカンド市内)


白は幸せを呼ぶ色なのかも


ガイドにウズベキスタンの産業は綿花、天然ガス、鉱物資源とあったが、養蚕という記述はなかった。
日本では歴史となった養蚕がシルクロードのオアシスで今なお続けられていることに感銘を受けた。


2011年5月
uzbekistan