ヒヴァ
イチャン・カラ
KHIVA
この地は古代ホレズムの中心のひとつであった。8世紀にアラブ人に征服されイスラムの世界に組み入れられた。9〜13世紀ホレズム王国が繁栄した。13世紀モンゴルにより破壊され、14〜15世紀はチムール王国の一部となった。16世紀チムール王国から分離しチンギス系のハンの管轄に属された。17世紀アムダリア川の流れが変わってヒヴァがヒヴァハン国の首都になった。その後1870年ロシアの保護国に1920年ハンを王座からひきずりおろして、ヒヴァ共和国が設立、1925年ソ連に加盟、ヒヴァはウズベキスタンの一部となった。
イチャン・カラ
イチャン・カラとは内部の城という意味で高さ7〜8メートル城壁で囲まれている。この城郭に宮殿、廟、モスク、メドレセ、ミナレットなどが建ち並んでいる。
城壁
周囲2200メートルのイチャンからは高さ7〜8メートルの城壁で囲まれている。壁は防御機能を高めるため間隔をおいてせり出しがあり、表面はでこぼこで粘土細工のように素朴である。上端は尖塔形の盾が並んでいてその隙間が銃眼の役目を果たしている。
城壁
土で固めた城壁は日の光が反射して眩しい
門(ダルヴァザ)
城には四つの門がある。西門のアタ・ダルバザ、北門のバフチャ・ダルヴァザはウルゲンチへ行く方面、東門のバルヴァン・ダルヴァザはハザラスプとアムダリヤ川に行く方面、南門のトシュ・アルヴァザはカルクム砂漠へ行く方面にあたる。
アタ・ダルヴァザ(西門)
西門は1920年に破壊され1970年代に再建された
過ってこの門の外に奴隷市場が開かれていたそうである
メドレセ(1)
ムハマッド・アミン・ハン・メドレセとカルタ・ミナール
西門を入り右っ手にあるムハマド・アミン・ハン・メドレセ(神学校)と正面の発電所の煙突のようなカルタ・ミナール(低いミナレット)はムハマド・アミン・ハン(在位1845年〜1855年)によって建てられた。
(1)ムハマッド・アミン・ハン・メドレセ
125のフジュラ(宿坊)があって260人の生徒を受けることができた。
現在はホテルとして利用している。
門の文様をどう文章で表現したらいいのか言葉が浮かばない。
(2)カルタ・ミナール
1855年ムハマド・アミン・ハンが死んだことにより26メートルの高さで建設が中断された。
早朝は掃除婦の姿だけのメドレセの前も昼は観光客で賑わったている
宮殿
ハンが住んだ宮殿は西門のクフナ・アリク(古い宮殿)と東門の新しい宮殿トシュ・ハウリがある。
クフナ・アルク
クフナアルクは17世紀ムハマッド・エレンクハン(1687〜1688)によって建設された。その中にはモスク、謁見所、公邸、ハレム、裁判所、造幣局などの建物がある。
(1)クフナ・アルク
(2)アク・シェイフ・ババの高台から見たクリニシュ・ホナ(謁見所)
二本のコラム(柱)で支えられた建物の中に王座とアイヴァンがある
トシュ・ハウリ宮殿
アッラクリ・ハン(1825〜1842)時代に宮殿は東部に移転された。城壁はクフナ・アルクより高く頑丈で城砦のようである。
(3)トシュ・ハウリ宮殿
正面はアッラクリ・ハンのキャラバン・サライである
歩道のレンガ模様が気に入った
モスク
モスクはたくさんある。代表的なものは金曜モスクとよばれるジュマ・モスクである。212本あるコラム(柱)が平坦な天井を支える典型的な古風なモスクである。コラムは寄進されたものでそれぞれ柱も礎石も形状を異にしている。古いものでは碑文が彫り込まれているものもある。
ジュマ・モスク
泉亭やミヒラーブは白色で模様もないすっきりしていて良い
メドレセ(2)
イスラム・ホジャのメドレセとミナレット
ムハマッド・ラヒムハン2世(1863〜1910)と息子のアスファンディヤル・ハン時代のヒヴァハン国の第一大臣を勤めたイスラム・ホジャが1908〜1910に建てたメドレセとミナレットである。
イスラム・ホジャのメドレセ
フジュラの数が46室とヒヴァで最も小さなメドレセである。現在は民族博物館となっている。
(1)イスラム・ホジャのメドレセ
正門の天井の模様は植物をモチーフとした文様であろうか美しいさと不思議さを感じる模様であった
イスラム・ホジャのミナレット
11世紀のミナレットを写したイチャン・カラで最も高いミナレットである。
(2)イスラム・ホジャのミナレット
高さ45メートルの最も高いミナレットはヒヴァのシンボルのひとつ
濃紺、白、青、緑の帯模様が気持ちをすっきりさせてくれる
広場
パフラヴァーン・マフムード廟前の通りとシールガーズイ・ハーンのマドラサ正門の広場
通りや広場はひとがいないと誰もいない劇場の舞台のようです。だがひとが集まるといきいきした舞台に変身します。
絵になる広場
建物のみではすっきりしませんが、ひとが入ると絵全体が生きます
街とはひとが主役なんですねと改めて感じます
廟
特徴のあるドームに詩人・哲学者・力士であったパフラヴァン・マフムード(1247〜1326)が埋葬されている。回りは共同墓地になっている。ウズベキスタンの墓は土葬であるが地面に埋めない。遺体は地上に横たえてその上を土やレンガで覆うそうである。やがて土の墓は風化し崩れその上に次の墓が作られる。時が過ぎると墓場は遺骨が積み重なっていくのだそうだ。
パフラヴァーン・マフムード廟
ここでは死せるものも生きるものと同様に内城で守られている
モスクやメドレセ、ミナレットや廟などイスラム建築についてまとまって見ることができた。
模様を始めとして様々が不可解に思われこの世界の入り口に立ち呆然としている自分を感じる。
2011年5月
uzbekistan
khiva