中国/山西省
太原市古交市
天龍山石窟

Taiyuanshi Gujiaoshi
Tianlongshanshiku
(2006.5.21)
天龍山は太原市西南40キロにある。別名は方山と言い海抜1700メートルある。
北斉皇帝高洋の父高歓の避暑宮のあったところと伝えられている。
東魏(534〜550年)年代に開鑿が開始され、東西両峰の断崖腰部に東魏、北斉、隋、唐代に開鑿した合計24窟もの洞窟が残されている。
この石窟は荒らされ完全なものはほとんどない。切り取られた石仏は日本、アメリカ、スイスなどの美術館等に陳列されている。
どこの石窟寺院も断崖に彫られている。仏を刻むため岩がむき出した崖が選ばれたのであろう。
この石窟は緑が豊なことが印象的である。
第9窟漫山閣

唐代の石窟で上層部に弥勒菩薩坐像が、
下層部に文殊、普賢菩薩を従えて十一面観音が鎮座している。
木造を模した造り

窟廊は小規模である。石刻で木造を模している。
八角柱に大斗をのせ桁を渡し
柱上組物は平三斗組み、中備組物は一斗三升と人字斗きょうである。
西峰の石窟

西峰の石窟である。
八角の柱もなく桁も組物もなく窟廊中も何も残っていない。
さびしいかな洞窟だけである。
白い岩肌に黒い穴、まるで髑髏のようで不気味である。
東峰の第三窟?
如来坐像

西峰をひき返し漫山閣を通りすぎて東峰へ行く。
東峰の洞窟には完全とは言えないものの石仏が残されている。
袈裟は深い襞を畳み裾は長く左右に広がり雲崗様式と思える。
東峰第八窟?
仏坐像

第八窟であれば隋代に開鑿したものである。
石仏は手の平もなく、頭も無残に落されている。
笑顔の観光客

5月21日は日曜日であった。このため観光客でにぎわっていた。
若者達がたむろして寺院のおどり場を占拠していた。
わいわい楽しそうにカメラに収まった彼女達はどこから来たのであろうか・・・
彼女達の元気の良さに力を貰って楽しい旅を続けた。