あなたが旅行にでかければあちらこちらで人類史苦難の痕跡を見つめることになるだろう
11.昭和戦役の痕跡 内モンゴル自治区ハイラル平和公園の「望郷」の像
昭和20年8月7日関東軍がハイラル市内の伊敏川に架かる橋を爆破して撤退して80年が経過する。2009年6月私が訪れた日にハイラル平和公園の一郭に日本人親子と思わせる「望郷」と銘打った銅像が立っていた。
果してこの親子は無事日本へ帰ることができたのであろうか?いやそうではあるまい。今に思えばこれは異国の地で帰国できなかった人々の魂の象徴ではないかと私は確信した。あれから80年が経過している。本土に帰れずかの地に埋もれた魂の願い祈りを忘れてはなるまい。
2009年6月12日(金)撮影
10.国連総会一般討論演説討論におけるグテーレス事務総長の演説
NHK NEWSWEB
国連総会の一般討論演説が24日始まり、冒頭、国連のグテーレス事務総長が演説しました。
グテーレス事務総長は、ウクライナやガザ地区などで激しい戦闘が続くなか、ことしの一般討論演説を迎えたことについて、「戦争は終結の見通しが立たないまま激化し、核兵器による威嚇や新たな兵器が暗い影を落としている。私たちは想像を絶する事態へと近づきつつあり、世界を巻き込む火薬庫のような危険性をはらんでいる」と強い危機感を示しました。
そしてこの危機の原因の一つとして、国際法違反や国連憲章の根幹を脅かす行為が「処罰されない世界」になっていることが問題だと指摘しました。
グテーレス事務総長は「いまやますます多くの政府や組織が処罰されないカードを手にしていると感じている。彼らは国際法を踏みにじり、国連憲章を侵害し、国際法廷の判決に目をつぶり、国際人道法を平然と無視することもできる。他国を侵略し、社会全体を荒廃させ、自国民の福祉を完全に無視することもできる。でも何も起こらない」と述べ、具体的な国名はあげませんでしたが国際法を無視する国々を批判しました。
そして「ますます多くの国々が地政学的な分裂を利用して説明責任を問われることなく、やりたい放題にしているときだからこそ、国連憲章を再確認し、国際法を尊重し、国際法廷の決定を実施し、人権を強化することがあらゆる場所でこれまで以上に重要だ」と訴えました。
またグテーレス事務総長はガザ地区について「地域全体を巻き込むおそれがある悪夢が続いている。それはレバノンを見れば明らかだ」とした上で、「われわれは事態の悪化を警戒しなければならない。レバノンはいま瀬戸際に立たされている。世界の人々はレバノンがもう一つのガザ地区になるのを許すわけにはいかない」と強調し、緊張の緩和を呼びかけました。
9.マバラカット神風平和祈念公園
N.B
The Mabalacat Tourism Office(MTO)supports
the establishment of Kamikaze Peace Memorial
not for the glorification of Kamikaze
but rather for the promotion of good will,
peace and friendship amang the nations,
This Memorial sorres as reminder that the
kamikaze phenomenon should never happen
again. (以下略)
(注記)
マバラカット観光局(MTO)が神風平和祈念公園の建立を推進した理由は、神風特別攻撃隊
の栄光を称賛する為ではなく、その歴史的事実を通じて世界の人々に平和と友好の尊さを
訴えるためであります。神風平和祈念廟が神風特別攻撃隊のような不幸な出来事を二度と繰り
返さないと誓う場所となることを祈念するものです。 (以下略)
マバラカット観光局長
ガイ・”インドラ”・ヒルベロ
昭和19年10月25日、最初の海軍神風特別攻撃隊は着陸用飛行場であった東飛行場(East Airfield)から出撃した。

日の本の乙女の肌を知らざりき
我は愛機と共に散りに行く

2019年3月9日撮影
8.中国人殉難烈士慰霊塔
2022年11月15日 私は足尾銅山の奥にあるかじか荘に入湯に出かけました。その折りに森の中に偶然この慰霊塔に出会いました。
日中戦争の末期中国から強制連行されて来た257名が足尾銅山に労働に従事し1944年10月から1年足らずで病気や事故で109名が命を落とした。
この殉難烈士慰霊塔は1973年7月栃木県により建立された。

塔の裏面には命をおとした109名の名前が刻まれているという。

碑文に
「痛ましい事実を忘れず後の戒めとするため悠久の日中友好の願いをこめて、県外各界各層全県民の協力により、ゆかりのこの地に慰霊塔を建立した。」
と刻まれている。
今はこの塔を訪れる人の気配もなくその存在すれ忘れられて行くような不安感を感じた。80年を経ても隣国の人々の心から憎しみを忘れ去せることはできない。このことを心して留め置いて今後に慎重さを忘れてはなるまい。
7.MEMORARE MANILA−1945
マニラのイントラムロスのなかにあるマニラ市街戦(1945年2月3日〜3月3日)に犠牲となった民間人を追悼する慰霊碑である。

2019年3月7日撮影
MEMORARE MANILA−1945
この記念碑はすべての無実の戦争犠牲者に捧げられています。
彼らの多くは名前も知られず共通の墓に埋葬されたか、あるいは墓の存在さえも知らない。
彼らの遺体は火に焼かれたか、瓦礫の下敷きになって押しつぶされたからである。
この記念碑を1945年2月3日から3月3日までの解放戦争中にマニラで殺された
10万人以上の男性、女性、子供、幼児の一人一人の墓石にしましよう。
私たちは彼らを忘れてはいませんし決して忘れることはありません。
彼らがこの街の聖地の一部として安らかに眠れますように
THE MANILA OF OUR AFFECTIONS
FEBRUARY 18,1995
6.戦争の子供達
戦場で多数の子どもたちが罪も無く虐殺されている日々の報道
このガザの罪を誰が償うのか
戦争っ子は
子供ではない
彼らは戦火と血にまみれた地を
知った
悪夢を見ては
歯をきしらせた
そして墓場が
この子どもたちの遊び場
戦争っ子は
子どもではない
彼らは怒りに
自分たちの歌声が消されるのを見
おし黙ることを覚え
うそつきの法律が
彼らの運命を強いるとき拳を握りしめることを覚えた
拳を握りしめることを覚えた
戦争っ子は
子どもではない
誇らし気な顔つきと
大きすぎる眼をして
彼らは見て来た
悲惨さに情熱の火も消され
見知らぬ手に
自分たち20代の日々が虐殺されるのを
子ども時代を知らぬ
青春も喜びも知らぬこの子たち
飢えと寒さに身を守るものもなく
ふるえていたこの子たち
苦しみに立ち向かって行き
恐れを口にせず
希望によって生きて来たこの子どもたちは
君とぼくのようなものだ
悲惨な恋人たち
不幸な恋人たち
奇妙な恋を抱き
変わりやすい夢を見て
光りを求めながら
それを恐れているのだ
なぜなら、戦争の恋人たちは
子どものままでいるからだ
CHARLES AZNAVOUR LIVE IN JAPAN 1971年9月27〜28日
5.日本 群馬県 吾妻郡パラオ諸島戦歿者慰霊碑
吾妻郡よりパラオ諸島に従軍した205名のうち昭和19年9月からの戦闘で実に144名が故郷の土を踏むことがかなわなかった。
この石碑は生還した人たちが戦歿者慰霊のため平成元年4月に建碑したものである。
碑文には「現在の日本の発展は戦歿者の犠牲のうえに実現したことを肝に銘じ慰霊の誠を捧げると共に戦争の悲惨な事実を世に訴えここに永遠の平和を祈念して碑文とする」と記されている。

中之条町上之町大国魂神社境内に建つ
平成24年10月14日関係者が石碑の前に集まり戦歿者慰霊祭が執り行なわれました。。
4.ロシアハバロフスク フィリピンルソン島 戦没者慰霊之碑
(1)ハバロフスク 栄光広場の慰霊碑
アムール河沿いの栄光広場にあるハバロフスク出身の戦没者を追悼する記念碑
三つの塔はドイツ、アフガン、チェチェンの戦役を現わしているそうだ。
(2,015年7月20日撮影)

(2)Manila American Cemetary and Memorial
フィリピンで戦没した米国人1万7058人がこの共同墓地に眠る。
ほかに戦闘中行方不明となった3万6287人の名前を刻んだ巨大な大理石の碑がある。
(2019年3月11日撮影)

(3)比島戦没者之碑
ルソン島カリラヤの日本庭園に建つフィリピンで戦没した約50万人の日本人を追悼する慰霊碑
(2019年3月8日撮影)

3.アメリカ合衆国 NEWYORK NATIONAL SEPTEMBER 11 MEMORIAL
2001年9月11日、2棟の世界貿易センタービルは同時多発テロにより瓦解、多数の人々が犠牲となった。


邦人の犠牲者の名前も刻まれている
2003年3月アメリカ軍はイラクへ侵攻
2015年9月25日撮影
2.ドイツ ベルリン 虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑
ブランデングルグ門の南方に2005年に完成したモニュメントがある。
広大な敷地に縦2.38メートル横0.95メートル高さ0〜4.5メートルと高さがまちまちのコンクリートブロックが2711個並べられている。

足元は時代の悲惨なうねりを現わすように波打っている
地面の傾斜を無視して垂直に建てられたコンクリートブロックは地面や壁に人々の魂の影を落としている

虐殺のされたユダヤ人のための記念碑に慰霊碑ということばを加えたい
2014年8月25日撮影
写真を撮影したドイツ(壁崩壊25周年)の旅行記はこちらにあります。
1.ポーランド ワルシャワ蜂起記念碑

2018年5月19日撮影
写真を撮影したポーランド旅行記はこちらにあります。