中華人民共和国/河南省
鞏県
北宋の陵墓群は鞏県の変哲のない畑の中にある。
宋 陵

北宋朝廷の墓群
Songling
(2006.5.29)
洛陽から鄭州へ向う。途中、鞏県にある宋陵を見物した。街路樹が並ぶ道路の端に車を停める。なんの変哲のない畑の真中にいきなり石刻が立ち並び雑草の小道を辿るとその先に小高い丘にぶち当たる。近くに博物館があるわけでなく唯の畑が続くだけである。ここはまだ詳しい発掘調査が行われていないようである。
陵の分布
宋陵は河南省鞏県の西村、芝田、孝義和、回郭鎮の四地区に分布している。北宗九帝のうち徽宗と欽宗を除く七帝と太祖父趙弘殷の七帝八陵がここにある。西村には太宗永熙陵、太祖永昌陵、太祖父永安陵が、芝田には真宗永定陵が、考義には英宗厚陵、仁宗永昭陵が回郭鎮に哲宗永泰陵、神宗永裕陵がそれぞれに分布している。
見物した陵は芝田にある永定陵である。今は石刻像や小高い丘でしかないが、当時の形は次ぎのようであったようだ。
陵の構成
永定陵は上宮、宮城、地宮、下宮で構成されている。ほかの陵もこれと同じであるようだ。

上宮
上宮は鵲台、乳門、神道、石刻群で構成される。鵲台は第一道門で闕台とも言い台上に楼観が建てられていた。次ぎの乳門にもまた楼観があった。乳門をくぐると宮城へ続く神道が通る。南から北へ続く神道の両側に対照的に配列された石刻造像が並んでいる。
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神道の石刻群 神道の石刻群は、望柱、象と像使い、瑞禽、角端、馬輿控馬官、虎、羊、客使、武将、文官などが整然と並ぶ。左は像と像使いである。 |
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宮城・地宮
石刻群を抜けると両側に石獅子と鎮陵将軍、宮人が置かれる宮城の南神門に至る。宮城は四隅に楼閣を備えた城郭に囲まれている。城壁は東西南北に神門が開いていて、それぞれ門外に一対の石獅子が置いてある。宮城内の主要な建物は献殿と霊台である。宮城の中心にある霊台は墓塚であり底辺が約60メートルの台形である。献殿は霊台の前にあり祭祀を行う殿堂である。地宮は地下宮殿であり、霊台の下にある。地下の発掘調査はまだ行われていない。
后陵・下宮
北神門を出ると后陵と下宮に続く。后陵は皇后の墓陵である。その奥に正殿、影殿、斉殿が並ぶ下宮がある。正殿は一時的に皇帝の遺体を安置する霊柩所である。その北の影殿は皇帝の肖像が掛けてある。最も後の建物が斉殿で祭祀を行う殿堂である。また、そのほか陵を守る官人、衛兵、宮人などが住む建物があった。
この宋陵の地宮の正式な発掘はまだ行われていない。。1996年12月に訪れた明の13陵の定陵は地下27メートルに5室からなる豪華な地下宮殿があった。この宋陵も地宮から新なた興味深い発見や驚きがあるかも知れない。
中国は行くところ行く所で新たなおもしろさが発見できます。
次回もお楽しみに!!
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