中華人民共和国/浙江省/紹興・寧波・普陀山・天台山
日本ゆかりの中国寺院を訪ねて
Riben fojiao yinyuan de siyuan
(2007.12.15〜20)

2007年の暮れに日本仏教ゆかりの寺院を訪ねて浙江省へ出かけました。
日本となじみの深い紹興、寧波、天台山などを見てまわりました。

蘭 亭


動乱の傷を受けた石碑

shaoxing-lanting
(2007.12.15)


蘭亭
蘭亭は紹興市街の西南蘭渚山の麓に位置する。訪ねると蘭亭は公園として整備されたいた。もともとは天章寺という寺の庭園にあったということであるが、明代にここへ遷されたそうだ。竹林のなかに書家として有名な王義之にちなむ鵝池、鵝池亭、流觴亭、曲水、御碑亭、右軍祠などが復元されている。曲水の宴のたしなみは韓国、日本へも伝播し今でも貴族文化の象徴となる痕跡としてとどめている。


鵞池
竹林をぬって歩いて行くと鵞鳥が泳ぐ鵞池がある。池の端に鵞碑亭がたち鵞池二字の石碑がある。鵞池のニ字が刻まれており、王義之の書いた鵞の字は痩せてみえ、つづけて息子の王献之が書いた池の字は肥えて見える。碑の前に立ち二字を見つめると一痩一肥の二字のバランスは絶妙な趣きをつたえる。この碑は親子で二字を完成したため父子碑とも呼ばれている。

鵞池 鵞碑亭

流觴亭
流觴曲水の舞台となった流觴亭は蘭亭のほぼ中心にある。亭の全面に曲水がありここで王義之ほか40名ほどの朋友が曲水の宴を挙行したのだ。通常曲水は無水の状態であるが、宴が開かれるときは渓流が引き込まれたという。水面に觴と称する杯を浮かべると、杯は曲がりくねった流れを漂流し、ある時は進みある時は停まり両岸に座した王義之と朋友たちの興を誘う。遊びのきまりは流れ来た觴が自分の面前で停まったらただちに詩を吟じ、吟じ得なければ罰酒をあおるというものであった。この嗜みも朝鮮、日本へと伝わったのである。

曲水の流れ
この曲水は無論近年再建されたもので当時のものではない。しかしながらここまで来たのであるから何か浮かべて見たくなった。ささの葉を拾い指先でささ舟に折って水面に放った。流れは早さは当時を再現するものなのか、水面に浮かんだささ舟の動きは非常にゆっくりであった。
曲水の流れは日本国内でもいくつか見たがその源をきわめたとの気持ちがいっぱいになった。

御碑亭
流觴亭の背面に八角の碑亭がある。一枚の巨大な石盤がたち石面に蘭亭序が刻まれている。清の皇帝の直筆であり「蘭亭集序」をたたえることで異民族統治皇帝としての意思がうかがえる。

蘭亭集序碑

右軍祠
王義之の祠は右軍祠と呼ばれている。祠は周囲を蓮池で囲こまれた水上建堂となっている。堂内には墨池と呼ぶ池があり、橋を渡して池の中心に墨華亭がある。いかにも書家の殿堂を思わせる造りである。墨池両側にある回廊の壁に歴代書家の書が掲げられている。その多くは蘭亭集序である。今日でもここは書道家や道愛好家の交流の場所となっているようである。

蘭亭楽池の夕日

はじめての紹興
杭州の空港から車で紹興の街へ着く。紹興酒で知られる街である。現在は紡績業や軽工業の盛んで、日本との経済的な関係が深いと聞く。紹興酒の工場を見学したところ日本に出回っているものは台湾製ばかりで紹興産のものはないとの説明があった。だからお土産に買ってくれということなのだろう。・・・・一本買ってしまった。もともと私は煙草よりは酒が好きだ。それも蒸留酒よりは醸造酒が・・・だから紹興酒は好きな酒の部類に入る。大分昔の話であるが、かって大手町時代大手町ビル地下の中華レストランで暖めた紹興酒をグラスに注ぎ氷砂糖を入れて上司を気にしながら飲んだ思い出が頭に浮かんでくるのを抑えることができない。

城市広場に残る善宝塔 運河を往来する烏蓬船と船公

紹興は運河の街で知られている。真っ黒に塗られた観光客めあての小船は烏篷船と言いベニスのゴンドラよりはるかに小さいが、この船で夜の運河をまわったらすばらしいだろうなぁ・・・。


紹興の町風景
周恩来記念館と秋瑾の像を見に朝早く町に出た。ホテルのある大通りから一歩横道に入ると街路樹が低く垂れこめ低い建物が軒を連ねていた。道は生活を積み重ねたような曲りがあり、交差点もわずかに対照的ではない。私はこんな街並の景色がとても好きである。

周恩来記念館へ行く途中の街並

紹興市内にはもっと見るところがあるようです。もうすこし長く滞在して見物したいです。

蘭亭おしまい   中華人民共和国へ戻る