中華人民共和国/河南省
登封市
                     
少 林 寺

拳法の修行者にとってまさに神話的な場所である。

shaolinsi
(2006.5.27)


安陽から京珠高速で河南省嵩山の麓にある古刹少林寺へ向う。高速道路の両側にはポプラ?の並木が立ち並び西から吹く風を遮って柳枝をなびかせていた。畑は麦秋の黄色に染まり延々とつづいている。車は軽快に疾走し黄河を渡り鄭洛高速へ進路を変えて西へ向う。鄭州を過ぎて南へ向いさらに西に転じて登封へ近づく。

しばらく行くと嵩山の峻険な山なみが見えてくる。峻極峰、大室山、小室山を主峰として東西60キロメートルに山塊が連なり岩壁は険しく天を突いている。ここは中国五岳名山の一つに組している。


少林寺に行くには小室山風景区に入場する必要がある。広々としたバスターミナルの駐車場から土産物屋やレストランが並んでいる広場を歩いて入り口に向う。正面に高い牌坊が立ち、その先に花園があり、山並みがなだらかに平伏し、のどかでまるで極楽浄土を思わせる風景である。

山門までの坂道を電気カートに便乗していく。突然どーんという音がしてのどかな浄土の雰囲気に水を浴びせた。それは空のカートが何かにぶつかった音であった。カートはかなりのスピードがでて人と接触したら大変危険である。事故を起こしたら地元の人は補償もないだろうし大変だ。


少林寺の山号は嵩山、北魏の孝文帝が大和20年(496年)跋陀禅師のために創建した。その後、孝昌3年(527年)インド僧普提達磨が禅宗をここで開いた。建物は天王殿、大雄宝殿、千仏殿など伽藍が並んでいたが、1928年に大雄宝殿と天王殿は焼失している。


山門

松柏の中に朱の壁と丸窓が記憶にのこる山門が我々を立ち止まらせる。予想より小さい山門であると感じた。門口の上に金文字で書かれた少林寺という文字が目をひく。石段を踏みあげて山門をくぐる。正面に布袋様みたいな阿弥陀様がどっしりと腰をおろし微笑んで我々を迎えた。


入るとすぐ達磨大師の石碑がたつ。境内は鐘楼や四重の塔を配置し樹齢1500年の銀杏の大樹が聳えている。

空を見上げると山腹に達磨が面壁9年の修行を行ったとされる達磨洞の祠が見える。達磨洞まで登るとすると2時間かかるそうである。

大雄宝殿

大雄宝殿に七尊像が安置されている。主尊の釈迦仏を中心に、左に迦葉、文殊菩薩、達磨が立ち並び、右に阿難、普賢菩薩が立つ。軒に吊るされた風鐸の音が風に靡いて高く響き渡っていた。

白衣殿

インドのクシャトリヤであった僧侶の普提達磨が6世紀に嵩山の少林寺に滞在して心身の鍛練法を伝授したという伝説がある。少林拳により唐の太祖李世民の天下統一を助け名を天下に知らしめた。白衣殿内に隋の軍隊をやっつけた十三和尚救唐王の壁画がある。

千仏殿

最奥にある千仏殿のせんを敷き詰めた床はどんぶりの底のような窪みがたくさんできている。長年絶えることなく続けられた鍛錬のすさまじさを感じさせられる。


塔 林

山門を出て左に折れて歩くと寺の西に歴代の高僧の墓地がある。そこは石やレンガなどを積み上げた3〜7層の墓塔が林立している。塔は高僧ほど高く建てられているようだ。古いもので791年、最近のもので1996年で全部で220基を数える。パソコンやビデオ、車、飛行機などの彫りを入れた禅宗とはあい入れないような派手な墓塔もありびっくりさせられる。


少林寺武術館

風景区内に少林寺武術館がある。満員の見物者の前で僧徒が少林寺拳法をの演武した。剣や棒などの獲物を使った格闘技など実際に目の前で見るのは初めてで興味深かった。それ以上に登封に2000校もの武術学校があり3万人もの生徒が武術を学んでいると聞き驚いた。実際、校庭で若い生徒たちが懸命に稽古をしている姿も見ることができた。肉体と精神を鍛えた彼らの大半は警察官や軍隊、ガードマンになるそうである。中国のガードマンは日本のそれより強いのだろうなあと想像した。


拳法という人の営みも深く感ずるものがあったが、麦秋に色づいたいちめんの麦畑の先に聳える嵩山の山並み、や少林寺付近のおだやかな風景がそれ以上に心にしみた。

中国は行くところ行く所で新たな発見があります。それが楽しみです。
次回もお楽しみに!!

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