中華人民共和国/内モンゴル自治区

内モンゴル自治区フォロンバイル草原の旅

(1)中露国境満州里

Naimenggu-hulunbeier
(2009.6.6〜6.14)


2009年6月ノモンハン事変70年を迎えるということもあってノモンハンへ行く内モンゴル自治区の旅行ツアーに興味をもった。そして参加した。内モンゴル自治区に行くのは初めてわくわくして行きました。


内モンゴル自治区
面積118.3万平方キロメートル、人口2361.7万人、人口の約半数がモンゴル族が展開している。


ホロンバイル
今回訪れた内モンゴル自治区ホロンバイル地区は自治州の最東に位置する。ホロンバイルの名は草原にある二つの湖、ホロン湖とバイル湖に由来している。ホロンはモンゴル語でカワウソを意味しホロンバイルとはオスのカワウソである。


満州里

Manzhouli

満州里
チチハルから夜行列車(4035次20時34分発)で濱州線に乗り11時間でロシアとモンゴル国境の街満州里に着いた。国境の街の黄金のように光る新市街の町並みとぬけるような群青の空が印象に残った。

市区

色鮮やかなビルが建ち並ぶ中心街(中蘇路)

ロシア風のビルが並ぶ
午後2時ごろであるが人通りが少ないのが妙である
左の高い建物は四道街との交叉点にある満州里大飯店

早朝の街角

紅軍烈士公園に立つソ連赤軍慰霊塔

モンゴルとロシア(ソ連)との友好の象徴である


駅周辺
旧町並みが残るのが駅南側である

満州里駅前広場

早朝の満州里の駅は人影も少ない。この後、駅ビルの窓ガラスは朝日をが黄金色に輝いた。

旧満鉄社宅

ロシア建造の建物でロシア式建築群とのプレートが打ち付けてある。
まだ人が住んでいる建物もあり寒さを防ぐ分厚い壁が目についた。

満州里ロシア式建築群のプレート


旧満鉄電話局

現在は中国鉄道通信が使っている。

旧日本人小学校

博物館は郊外へ移転したため現在は空きで管理人しか住んでいない

博物館の裏庭に並ぶユダヤ人や日本陸軍兵士の墓石

陸軍伍長佐藤保之墓石に手を合わせる旅仲間


中露国境

国門

ロシア側の国境の街はザバイカリスクである。中国との時差は7時間あり太陽の傾きは同じであっても
時計が7時間もずれているなんで不思議な感じである。国門の展望台に立ってロシアを眺めてみたかっ
たが、残念ながら外国人は立ち入り禁止であった。

日本製の蒸気機関車(ぼろぼろの満州里号)

近くにロシア人目当ての中露市場や朝鮮戦争当時のミグ15戦闘機を置いた広場がある。
市場で買い物をするロシア人観光客は多くなかった。

マトリョーシカ広場
世界各国の絵柄を描いたマトリョーシカが並んでいる

マトリョーシカ広場は草原の風が吹き抜け青空に雲が糸をひいて流れていた。不思議なことに公園に人影はなく、この隣の新しい満州里博物館は我々が到着するまでカギがかかっている状態であった。


草原に浮かぶ真珠のような輝きを見せる満州里市、その輝きにわりに人々のパワーが感じられなかった。朝の公園で舞踊や体操する姿はいつものように見られたが、ロシア人観光客もモンゴル族の人々もあまり見かけられず静けさで包まれていた。ひとの代わりに草原の風が吹き抜けていた。


内モンゴル自治区ホロンバイル草原の旅

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