中国。甘粛省、寧夏回族自治区、陝西省
黄土高原の石窟を訪ねて
(2010.5.17〜5.27)
今回は甘粛省、寧夏回族自治区、陝西省にある石窟をまわった。特に天水にある麦積山石窟、永靖県の炳霊寺石窟を見たかった。それと北魏代の仏像を比較して見たかった。羽田から北京便に乗り出発。北京で国内便に乗り換え西安へ。西安からはバスで10日間かけて黄土高原を一回りすることになった。
甘粛省
麦積山石窟(天水)
大像山石窟(甘谷)
水簾洞石窟・拉梢寺石窟(武山)
炳霊寺石窟(永靖県)
寧夏回族自治区
須弥山石窟(固原)
甘粛省
王母宮石窟(徑川)
南石窟寺(徑川)
北石窟寺(慶陽)
陝西省
大仏寺(彬県)
甘粛省 平凉市徑川県 慶陽市西峰区
南石窟寺・北石窟寺
nanshikusi/beishikusi
2010.5.24
平凉市徑川県
甘粛省が寧夏回族自治区と陜西省によって噛み切られようとするような境に徑川県がある。(徑の字はぎょうにんべんでなくさんずいが正しい。以下同じ)物事の清濁、善悪の区別を表す言葉である徑渭(ケイイ=徑川、渭川)のひとつの徑川が流れ河西回廊へ続く街道筋に位置している。
慶陽市西峰区
慶陽市は徑川県の北隣の行政である西峰区は以前には西峰鎮と呼ばれていた
慶陽の肖金鎮あたりの風景

車は平地を走っていると思いきや突然地面が張り裂け道は谷底へと下っていく
ここに来て今まで走ったところは台地の上辺であったことがようやく認識できる
こんな地形が続くのが黄土高原なのだ
南石窟寺について
・徑川県市街より東7.5キロに位置する
・北魏永平3年(510年)北魏徑州刺史奚康生の創建
・北魏窟と唐窟が残る。唐代の小窟は風化したもの多し
・第1窟(北魏)、第4窟(唐)
北石窟寺について
・慶陽市西峰区西南25キロに位置する。ここで茗河と浦川が合流する
・北魏永平2年(509年)南石窟寺に同じ北魏徑州刺史渓康生が創建
・西魏、隋、唐、宋、清各代に増修
・第165窟(北魏)、第1窟(北魏)、第222窟(唐)、第240窟(北周)、第244窟(西魏)
渓康生について
・河南洛陽人
・永平2年(509年)華州より移り徑州の刺史に任じられる。(任期は3年であったとある)
南石窟寺
@入り口

A石窟の壁面(前面)

南第1窟(北魏)
・七仏窟と言い後述する北第165窟と相似する
・窟外の両側に天王像が構える
・窟は高さ11m、幅18m、奥行き13メートル
・窟内の彫像は七尊像(高さ7m)、脇持菩薩像10尊(高さ4m)、弥勒菩薩像2尊など
・窟内の浮彫は仏伝図(宮中観舞、愉城出家、樹下苦行)あり
@南第1窟内の尊像配置イメージ

A七尊像と脇持菩薩
七体の仏像は前のめりに立っていて巨大なドームとともに
ひとびとに威圧感を与える

どっしりとした仏像に対してすんなりした菩薩像が対照的である
B壁面上部にある仏伝図(浮彫り)

C如来立像

南第四窟(唐代)
・羅漢洞と言い十八羅漢を置く
・正面は三世仏と2弟子
@南第四窟内の尊像配置イメージ

A南第四窟内尊像と左右羅漢像

北石窟寺
@全景

A窟外の天王像

窟外に立つ天王像
北第165窟(北魏)
・代表的な北魏窟
・窟外の両側に天王像が構える
・窟は高さ14m、幅21m、奥行き15.7メートル
・窟内の彫像は七尊像(高さ8m)、脇持菩薩像10尊(高さ4m)、弥勒菩薩騎座像、騎象普賢菩薩像、三頭四臂阿修羅像など
・窟内の浮彫はサッタ対し捨身飼虎図、伎楽天など
@北第165窟内の配置イメージ

騎馬民族の飾りをつけている
A七尊像と脇持菩薩

南の第1窟と同じ配置
B阿修羅天王像の頭部

北第222窟(唐)
・弥勒菩薩騎座像(高さ4.5m)、弟子像(2体)、菩薩像(2体)
・両側の壁に小龕多数(龕は1尊、2弟子、2菩薩を置くものが多い)
@北第222窟内の尊像配置イメージ

A一尊ニ弟子ニ菩薩像(北壁)

B弟子、菩薩像

表情が良い
北第240窟(北周)
・正面に三世仏を置く
@北第240窟内の尊像配置イメージ

A釈迦座像

頼り甲斐のある北魏の大きくて荒っぽい仏像が私は好きだ。時間が取れれば一日中でも鑑賞できればいいなと思います。