中華人民共和国/甘粛省
嘉峪関市
嘉峪関

東の城門、光化門
Jiayuguanshi
Jiayuguanchangchen
(2007.9.18)
西の城門、柔遠門を出るとそこは荒涼とした大地が口をあけている。

観光の駱駝が客を待っている。
蘭州より夜行列車で嘉峪関へ向う。
列車の旅は西安から蘭州に来て炳霊寺を訪れた後に、さらに西へ蘭州から嘉峪関に向う。蘭州発22時20分T927列車は嘉峪関へ向けて定時に出発した。途中目が覚めて4時10分張掖駅通過を確認、やがて6時39分に第二の目的地である嘉峪関駅に到着した。今晩宿泊する嘉峪関賓館で朝食を食べてから即刻嘉峪関へ出かけた。空は青く澄み渡り空気はひんやりとみずみずしかった。
祁連山と河西回廊
午前の光線を斜めに受けて祁連山の峰峰は神々しく耀いて見える。この気高い峰峰がなければこの池に水がたたえられることもなく、このオアシスの町の存在すらないのだ。

嘉峪関に立つ
現在見られる長城は明代に築かれたものであるという。東端の山海関からここ西端の嘉峪関まで河北、北京、山西、内モンゴル、寧夏、陜西、甘粛と7つの省、市、自治区に横たわり、長さは5660キロに達している。関所は通常急所に置かれ軍事的要地である。天下第一の雄関と呼ばれる嘉峪関は明代の最西端の要地であった。この丘の上に内外二重の城壁をめぐらせた嘉峪関がある。

嘉峪関
外城の門をくぐり丘を登っていくと、左公楊の古木が青空に枝を広げていた。道端に碑林が設けられ石碑がにぎにぎしく立ち並んでいた。内城は高さ11メートルの城壁で囲まれ東と西に城門が開けられている。その上に三層の楼閣が立ち辺境の風を受けている。東門である光化門の入り口の広場には中華文化の果てを思わせるがごとく文昌閣、関帝廟、劇台などの建物が並んでいる。また内城を通り西門である柔遠門を出るとその外に荒涼とした大地がつづている。

| 長城はここから7キロ先の断崖で終わる 内城のなかに軍隊が駐留した遊撃将軍府の建物や井戸にかぶせた井亭などが再現され当時の右往左往するひとびとの姿が偲ばれる。また城壁に目をやると城壁の四隅には角楼が設けられ四方に睨みをきかせている。馬に乗ったまま登れるという急勾配の坂道を登り城壁に立つ。ここから眺める祁連山は実に見事で感動する。また荒地に続く一筋の長城は映画のセットのように見え、この先の嘉峪関長城第一土敦と呼ばれる断崖で終わっている。 |
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シルク古道の旅、今回は河西回廊の喉仏とも呼ばれる嘉峪関をまとめました。残されり再建された城壁や楼閣はここで暮したひとびとのことを何も語りませんが、古くは漢の時代をはじめ西の辺境に送りこまれた人たちは数えきれません。その多くは望郷の念に駆られるも帰ることなく辺境で果てていった。ここ嘉峪関もその舞台のひとつであったろうかと思います。嘉峪関より西北20キロの荒地に魏晋時代(西暦220〜419年代)の墓が発掘されています。木棺の蓋には飛天が描かれ、墓の内部の壁の煉瓦には庶民の暮らしが描かれております。木棺や壁の煉瓦に描かれた絵は辺境で果てたひとの心を慰めることができたでしょうか。
魏晋壁画墓の煉瓦絵

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