中華人民共和国/浙江省/紹興・寧波・普陀山・天台山
日本ゆかりの中国寺院を訪ねて
Riben fojiao yinyuan de siyuan
(2007.12.15〜20)

2007年の暮れに日本仏教ゆかりの寺院を訪ねて浙江省へ出かけました。
日本となじみの深い紹興、寧波、天台山などを見てまわりました。

天童寺

Tian tong si
(2007.12.16)


臨済宗の栄西と栄西の弟子の道元はここに学び、道元は帰国後曹洞宗を開いた。


禅宗の名刹・天童寺
寧波の東25キロの太白山の麓に天童寺はある。号を東南沸国と称し中国五大禅林の一つである。伝えによるとこの寺の創建は西晋である。義興という僧が行脚してきて山紫水明のこの地に粗末な家を建て一心不乱に修行に励んだ。当時この周辺はまったく人家がなく煮炊きにもことかく状況であったが、ある日義興のもとへ一人のわらべが現れて水と飯を施した。次ぎの日も又次ぎの日もこのわらべが現れて施しが続けられた。年月が過ぎやがてこの地を去るときが来た。別れに臨みわらべは自分は太白金星の化身で玉皇大帝の命によりあなたを護るために参ったのだと告げた。この伝えにより山名は太白、寺名は天童と称するようになったとのことである。


駐車場に車を停めて参道を登る。間口三間の田舎じみた山門がありこれをくぐると松柏が立ち並ぶ参道が続く。曲がりくねった参道の両側はちょっとした出店が並んでいてにぎやかである。やがて万工池という大きな宝池があり、天童寺の伽藍が見えてきた。

山門ではないかも 万工池

天王殿
現存する建物は民国25年(1936年)に改修されたものである。殿中で布袋様(弥勒菩薩)腹をかかえて待ち受けている。四方を四天王が守護し、背後に韋駄天をまつる。

仏殿
横幅七間、奥行六間の仏殿は明代(1635年)に建てられたものでこの寺で最大規模の建築である。殿内は黄金に耀く三世仏が坐し、左右に阿難、迦葉の両弟子を従えた釈迦牟尼仏を中心に左は東方浄瑠璃世界の薬師仏、右は西方極楽世界の阿弥陀仏である。また、両端には十八羅漢の坐像が連なり、主尊の背後には観音菩薩像が立っている。殿の中央の梁には雍正帝自筆の慈雲密布の額がかけられている。

香炉の煙りが立ち上る仏殿

法堂
説法の場である法堂は民国25年に再建されものである。この法堂の二階は蔵経楼になっている。法堂の西側に羅漢堂があり十八羅漢の石刻画像がかけられている。これは竹禅和尚の手によるもので精細な刀工はいきいきとしてまるで生きているようである。


これらの伽藍は地勢にそって低き所から高みへと厳格に配置されている。山に囲まれている環境といい、地勢にそった伽藍の配置といい、天童寺と日本の永平寺はうりふたつのように思えた。

山の地勢に沿って伽藍が並ぶ 日本道元禅師得法霊蹟碑

天童寺が最も栄えたのは北宋に入ってからからで中国では禅宗が一大ブームとなっていた。このころ(貞応2年(1223年))道元はこの寺に来て住み如浄に禅宗を学んだ。道元帰国後道元が開いた曹洞宗はわが家の宗派ということもあり、ここ天童寺の参拝がかない大変満足できた。

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