中華人民共和国/遼寧省・山東省

大連・旅順・蓬莱・青島の旅

DALIAN/LUSHUN/QUIGDAO
(2000.1.15〜1.18)
大連香格里拉大飯店

大連市内人民路の夜景(香格里拉大飯店7階より)

大連の街並みは概して美しい。街路樹はプラタナスやアカシヤである。車道は広くデコボコのない歩道は
歩きやすい。建物の壁はクリーム色や黄色や薄紫など明るい色で統一されており窓枠は白く塗られている
のも綺麗で街全体を清潔な感じにしている。



2000年1月15日JL797便大連行きは約15分ほど遅れて成田を飛び立った。窓から雪をまとっ
た浅間山や佐久平が遠望でた。また眼下には諏訪湖が小さく見えた。日本の景色を眺めていると国内旅行
をするようなリラックスした気分になった。機内で出されたワインを飲み食事をすると途端に眠気が襲い
眠りこけてしまった。

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大連(Dalian)


大連周水子空港はあかしあの大連というロマンチックさを感じさせない地方都市の空港であった。ロビー
も狭く混雑していた。現地ガイドのIさんとCさんが待ち受けてくれた。Iさんはこのツアー全体を仕切
る男性のガイドさんでCさんは大連・旅順を担当する女性のガイドさんである。ドライバーのSさんが運
転するD観光の大型バスに乗り込み大連市内へ向かった。ツアーのメンバーは17名である。

大連港

港に続く道路は広くさみしすぎるぐらい往来する車が少なかった。バスが停まったのは大連港の前に建つ
古いビルの前であった。エレベータで屋上へ昇るとそこが港を見渡す展望台になっていた。冷たく乾いた
風の吹きさらしのなかあの桟橋を眺めた。どんな時が流れたということなのか通り過ぎた人々にどんな思
いがあると言うのかぼくにはただのあの桟橋であった。写真集と絵葉書を売る少女が一人いた。港をバッ
クに記念写真を撮った。
大連港

中山広場

大連の街並みは概して美しい。街路樹はプラタナスやアカシヤである。車道は広くデコボコのない歩道は
歩きやすい。建物の壁はクリーム色や黄色や薄紫など明るい色で統一されており窓枠は白く塗られている
のも綺麗で街全体を清潔な感じにしている。5月になれば街路樹も芽吹き葉をたくわえいっそう美しい街
になるだろう。街の中心に円形の中山広場があり、ここから人民路、延安路、魯迅路、上海路、中山路な
どの大路が放射状に延びている。夜になると広場を円く囲む大連賓館(旧ヤマトホテル)や中国銀行など
の建物がライトアップされて美しい。                                                                
中国銀行建物

旧日本橋

ホテルは人民路にある大連香格里拉大飯店であった。部屋も広く設備も問題なかった。中山広場へは徒歩
で15分もあれば行ける。
街角には何々路とか何々街と標識があり初めての人でも地図さえあれば道に迷うことはない。中山広場か
ら上海路を真っ直ぐ進むと旧日本橋がある。橋はだいぶ老朽化しているがまだ使われている。橋の向こう
はロシア街があり芸術展覧館をはじめ当時のロシア建物が多く残っていた。橋の下は幾本もの鉄路が走り
その向こうに大連駅のホームが霞んで見えた。

天津街・勝利広場

旧日本橋から上海路を戻ると一番の繁華街である天津街がある。午前9時のデパートの開店を待つ人々や
露店に商品を並べる店員たちで通りはごった返していた。所々に即製の赤い即製アーチが架けられ道行く
人々の購買意欲を誘っているようだ。天津街を貫けると勝利広場に出る。ここから大連駅が眺められる。
上野駅をモデルとして建てられたこの駅舎も建替計画があり間もなく取り壊されるとのことである。勝利
広場の地下はショッピング街の迷路となっていて買い物客がつめかけていた。

老虎灘公園・星海公園・北大橋

郊外の見所として老虎灘公園や星海公園や北大橋などがある。老虎灘公園は虎群の石像があり海岸には虎
毛皮模様の断崖がそそり立っている。海水浴場の星海公園はシーズンオフで人影がまばらである。イルカ
に乗った女神像の眼差しははるか黄海を眺めていた。北大橋は1987年北九州市との友好都市を記念し
て建設された230メートルの大橋でここからの眺めはすばらしい。

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旅順(Lushun)


旅順は軍港で観光客に開放されていない。観光できるのはロシアの保塁のある東鶏冠山、乃木将軍とステ
ッセル将軍の会見場所である水師営会見所、日本で有名な二百三高地だけである。

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東鶏冠山(北保塁)

大連から旅順へ向かう。トンネルを抜けて間もなくバスは右に折れ田舎道を辿り丘陵地帯を進むと小高い
丘の上に大砲が見えた。東鶏冠山は松林で覆われていた。北保塁の場所は公園となっていた。記念館があ
り旅順の地形模型や年代順に並べられた当時を示す写真などが展示されていた。100年も経た弾頭や銃
弾などは途方もなく古びて見えた。北保塁は砂利をセメントで固めたもので壕内部の設備は跡形もなくた
だの空洞である。記念塔からの眺めは美しいが幾千もの人間の血が流されたと思うと黙祷せずには居られ
なかった。美しい小鳥が林の梢をわたって飛んで行った。
北保塁

水師営会見所

大連はリンゴの産地でもある。郊外の旅順の山々も無造作にリンゴ畑が広がっていた。農家の集落が見え
裸の立ち木にはカササギの巣が見えた。また雀が群れをなして餌を捜して畑を飛び交っていた。野菜の栽
培だろうか集落に近い里の畑には幾条ものビニールハウスがあり夕刻ともなるとむしろをかける農民の姿
が見られた。
水師営は町の名前である。街の中心から少し外れたところに会見所があった。入り口の左側が会見所で右
側は控え室であった。当時のものはテーブルだけで建物は復元されたものであるようだ。
水師営会見所

二百三高地

二百三高地は山頂への途中に駐車場がある。そこには売店があり老人と娘娘が店番をしていた。ここでバ
スを降りて凍てついた急な坂道を山頂へ向けて10分ぐらい登る。途中鳥の鳴き声がしたので声がする方
向に注目すると黒と白の模様のカササギが二羽飛んできて枝に停まった。この鳥を見ると中国では縁起が
良いということであった。山頂には爾霊山と記した弾丸型の記念碑がありここから遠くに旅順港が見えた。
記念碑の前で寒い中緑色のオーバーコートを着た店番の老人が日本語で日露会戦の解説をしてくれた。売
店で缶コーヒーを飲み凍えた体を温めた。
旅順遠望

旅順口を見下ろすようなホテルに泊まることはできない。旅順港より離れた新港に近い寂しいところにあ
る胎康大酒店に宿泊した。裏庭に高い煙突のある石炭小屋があり部屋に暖房と温水を供給していた。

午後5時過ぎに旅順市内へ食事に出かけた。辺りは真暗で軍港は見えない。旧日本橋を渡ると市街地へ入
る。ひっそりとした旅順駅が車窓から見えた。夕食場所は旅順賓館の1階のレストランである。旅順旅遊
局長のW氏の歓迎と中日友好の挨拶並びに乾杯の音頭で歓迎宴会が始まった。W局長からツアーメンバー
に対して一人一人赤い参加記念証書が手渡された。証書には熱誠歓迎閣下来旅順観光旅遊、為感謝悠的光
臨、特発此証書、以作紀念と記されていた。W局長はカラオケで北京語の北国の春を披露してくれた。


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旅順〜蓬莱の船旅


旧やえしほ丸

翌朝午前9時旅順新港発の蓬莱行きの船に乗った。旅順までのガイドCさんとはここで別れた。中国国旗
を掲げた船は旧淡路フェリーボート会社のやえしほ丸であった。尖端の特別室に案内された。天皇皇后陛
下が皇太子時代に乗船されたという記念の写真が飾られていた。

旧やえしお丸

渤海海峡

出航したのが9時30分過ぎである。これでも日本人の旅行客がいるからとガイドのIさんが掛け合った
ため出港したのであって、乗船予定の未着のトラックを待っていたらいつまで待たされたか分らなかった。
現地の乗客がいる船室を抜けて甲板にでた。甲板は凍っていた。船は楕円形の湾を出て遼東半島の先端に
沿って航行した。老鉄山の山並みが遮り旅順口は見えなかった。昨晩の闇といい今日の老鉄山の山並みと
といいうまく遮られついにあの旅順港を見ることはできなかった。
遼東半島の先端は老鉄山岬である。老鉄山岬から船は南に遠ざかり遼東半島はやがて霞みのなかに姿を消
していった。
売店サービスのカウンターがあり一人の中国人の船員が世話をやいてくれた。10元で青島ビールを買い
旅仲間とテーブルを囲んで飲んだ。昼食の弁当を食べてからソファーに横になり眠りこけた。

蓬莱港

9羽のカモメを従えて船は渤海海峡を進んだ。水平線は靄で霞み見えない。時おり雲間から日差しが射し
こめ波頭がきらめいた。5時間半ばかり過ぎてやがて靄のなかから陸地が見えてきた。蓬莱閣の建つ断崖
を左手に見ながら船は蓬莱港の桟橋に着岸し約6時間の黄海クルージングの幕が下りた。
蓬莱港

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蓬莱閣と蓬莱水城


蓬莱は中国でも有名な観光地である。しかし今の時期はシーズンオフで訪れる人も少なく参道に並ぶ土産
店も扉を閉ざしていてる。

蓬莱閣

断崖の上に建つ蓬莱閣は宋代の創建である。呂祖殿、三清殿、蓬莱閣、天后殿、龍王殿、弥陀寺の建物が
建ち並んでいる。天后殿は魔除けの天后宮が祭られている。蓬莱閣には極楽でくつろぐ仙人達の像が祭ら
れていた。ここはどうも道教の信仰の地であるようだ。人間蓬莱、丹崖仙境、仙神徳道、碧海丹心など意
味不明のまま掲げられた書をメモした。ここは蜃気楼が見えることがあるそうである。
蓬莱閣と断崖

蓬莱水城

蓬莱閣の麓に石で築いた水城があり倭寇に備えたことから別名備倭城とも言う。夕方になり街では石炭を
焚き始めたのであろうか煙を吸い込み胸が痛くなった。
蓬莱水城

山東半島横断

5時過ぎに蓬莱から山東半島を横断して青島へ向かう。むきだしの半島をバスは90キロのスピードで走
る。公路を南下すると右手に名も知らない高い山が見えた。主要公路に入りバスは益々スピードを上げて
暗闇を走る。中国ではよほど暗くならないとライトを点灯しない。道路端にはわずかな現金収入を得んが
ためか梨売りの露店泊小屋が並んでいた。トイレ休憩をしたガソリン店にも梨売りが軒を構えていた。梨
は洋梨のようで品質は悪かった。主要公路から高等級公路へと道路のあんばいは青島に近くなるほど良く
なる。青島に着いたのは午後9時を回っていた。


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青島(Qingdao)


マッサージ店:良子健身

食事を取ってからガイドのIさんとマッサージに出かけた。店は良子健身という。小学校の教室のような
大部屋に通された。ソファーに腰掛けまず湯を張った桶に足をつける。しばらくすると熱湯を注ぎ足す。
かなり熱い。これを3回ほど繰り返すと全身がぽかぽかしてくる。足の爪を切った後に足の裏からマッサ
ージに入る。痛いときイタイと言うとどこどこが悪いとIさんから回答が伝達される。ところでマッサー
ジ師であるが男客には女性が、女客には男性がつくので心配ない。。マッサージ師はみな専門学校卒であ
ると聞く。女性のマッサージ師はそろって若くて明るい。彼女らの願いによりみんなで北国の春を合唱す
る羽目になった。指、足首、足と引っ張ったり、揉んだり、叩いたりして足のマッサージが終わる。気分
爽快である。次に別の部屋に行き背中のマッサージを受ける。叩くのが主体のマッサージであった。中国
では健康を気遣う人は週に何度かマッサージを受けて健康を維持・改良するそうである。

小魚山公園

青島は約百年前にドイツが租借地として港を開いたことから発展した町である。また、青島と言えばビー
ルである。この旅行中毎日青島ビールを飲んだが地元で飲んだものが一番うまいように感じた。
旧市街にある小魚山公園に登った。朝日にきらめく弓状の海岸線と赤屋根のヨーロッパ風建物の町並みは
海浜リゾート気分をかもし出している。公園には覧湖閣、碧波亭、用翠亭が並び一閣二亭の景色は青島の
風景の一つである。

小魚山公園

桟橋

青島湾に440メートルほど突き出した桟橋がある。桟橋の南端には瑠璃瓦の八角亭がある。土産物屋もあ
りにぎやかである。

桟橋

小青島

青島のシンボルである小青島へは海軍博物館横の桟橋を渡って行ける。高台には八角形の純白の灯台があ
り手前の花壇には琴を弾く乙女(仙女)像がある。島を囲む岩石は一様に紅いがこれは黄河の黄土がによ
るものでなく塩分を含んでいるためであるとのことであった。
小青島

もう一泊して市街地を歩いて町の息吹を肌で感じてみたいと思った。また山労山(ろうざん)にも行って
見たかった。ちょっと残念であったが午後2時15分発のJL784便で帰国の途に付いた。成田までは
2時間とちょっとである。あっという間に成田に着陸した。



今回の旅は外国人が係わる比較的歴史の浅い街へ旅行した。大連は明るい色彩で統一された街並みが美し
く、また青島はドイツ風の建物が異国情緒を醸していた。それぞれ郊外の新市街は高層ビルが立ち並び目
覚しく発展・変化している。
アメリカ映画や恋愛物のテレビ放映やマクドナルド、ケッタッキーなどの店、女性の服装などを見ると人
々の生活文化もアメリカ化が進められているように思える。中国はアメリカと同様に大陸国家であり多民
族国家である。アメリカが多様な文化のなかから百年で繁栄を築いたように、中国も自由と多様性が結び
ついたところに発展を占う鍵があるのではないかと思われた。

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