北京・洛陽・西安の旅

(1996.12.1〜12.7)



故宮博物院の龍門壁
龍と紫色は皇帝の象徴するものです

天壇公園
12月1日、13時40分北京空港に到着、バスはアカシアの街路樹が続くハイウエィを右走行で勢いよく走った。天気は良好ながら空気埃ぽくて色彩の乏しい風景が続いた。
天壇は「皇帝の祭壇」のことで、明・清代の皇帝がここで毎年五穀豊穣を祈願した場所である。壮大な三層の大理石からなるえん丘は冬至の日に皇帝が天上の皇帝と会見する場所である。また、回音壁と呼ばれる円形の壁などおもしろいものもあった。ガイドのリューさんが反対側から「こんにちわ」と壁に向かって話すと、反対側の僕達に「こんにちわ」と聞こえるから不思議だ。

ペキンダック
一泊目のホテルはあの北京大飯店である。部屋も広くて、また、衛星放送で「秀吉」が見られたもので大満足であった。
夕食は、市内の北京ダックの店へ繰り出した。いろいろ出てきたが、あひるの丸焼きを切り身にしたものを小麦粉の薄い皮に味噌と葱を一緒に包んで食べるガオヤーなるものが旨かった。
近畿日本ツーリストのツアーコンダクターの左「篠原」さんと右「佐々木」さんです。二人とも美人で可愛くてとても楽しい旅行となりました。・・・(^^)

故宮博物院
12月2日、城壁沿いの市場はにぎやかである。街頭で椅子を置き散髪業を営むものもいる。雑踏を抜けて午門から故宮に入った。
門には3つの入り口があり、真ん中が皇帝専用のものである。ここから皇帝専用大理石の道がまっすぐ続き、階段には雲龍が彫られている。
午門内側の広場は役に立たなかった将軍らを処刑した場所でもあり血生臭い場所である。橋を渡り太和門をくぐると紫禁城の正殿の太和殿、中和殿、保和殿へと続き、さらに内廷である乾清殿などへ続いていく。
要所に数えきれないほどの大きな金箔を施した鉄の瓶がおいてあった。これは防火用の水を蓄えたもので冬期は下から火を焚いて凍結を防いだそうである。金箔はナイフで削がれている瓶がほとんどであるが、これは今世紀初頭、列強の兵士により削り盗られたものだそうである。
とても2時間あまりでは全部見学することは不可能である。神武門から出て、その裏にある景山公園に登り故宮を一望した。不思議な世界に踏み込んだような気分にさせられた。

天安門広場
人民大会堂のレストランで昼食後、天安門広場へ出かけた。10万人が集まれる大広場である。天安門から北は紫禁城が、南には毛主席記念堂が配置されている。中国の子供は凧あげが好きだ。何本もの凧が大空を舞っていた。


中国の乗り物
中国では列車のことを火車(ホウオツォー)と言い、汽車は自動車を意味する。例えばタクシーは出租汽車(チューツーチーツォー)市内バスは公共汽車(コンコンチーツォー)である。また、人力三輪車は力車(リーツォー)、飛行機は飛机(フェヂー)である。北京でも西安でも道路は汽車や力者や歩行者がごった返している。人が横断しようとしても汽車は停まることはない。日本の交通ルールはまったく通用しないので十分注意する必要がある。
中国の火車は駅に停車すると車掌さんがトイレのドアーをロックしてしまう。走り出してもロックを解除するのを忘れていると客はまだ誰か使用しているのではないかと勘違いして待たされてしまうので注意が必要である。

北京〜洛陽・夜行寝台火車の旅
昨年オープンした東洋一の北京西駅から夜行列車で洛陽へ向かう。ナンウオと呼ばれる一等寝台車である。
僕達の部屋は「コスモポリタンバー」と銘々され、現地添乗員のサイさんぺィさんを交え10時過ぎまで中国の話しを中心に談笑し賑わった。
列車は暗闇の中を石家荘・鄭州と進み、12月3日午前6時、まだ明けやらない洛陽駅に着いた。

龍門石窟
牡丹大酒店で朝食をとり龍門石窟に出かけた。雲南、敦こうとともに中国三大石窟の一つ。伊河の岸の岩肌に1352の洞窟が掘られ、約10万体の仏像などが残されている。先の大戦の戦禍などにより仏像の多くは無残にも頭のないものがあり非常に残念に思えた。
奉先寺堂のるしゃな像 は日本の奈良の大仏の手本となったものだそうである


関羽公の墓(関林)
中国では皇帝の墓を陵、偉人の墓を林と言うそうである。関林は三国志で名高い関羽公の墓である。関羽の墓は国内に4つあるそうであるが、洛陽は首塚であり、もっともすばらしいそうである。
堂には関羽公の壮大な像が祭られていた。文化大革命により破壊されその後復元されたものだそうである。門に関羽公の首切りの刀があった。


白馬寺
東漢時代の西暦68年に建てられた中国最初の仏教寺院である。インドから経典を白馬に乗せて帰ったことから、白馬寺と名付けられたものであるそうだ。元代に彫られた十八羅漢像が目にとまった。


黄河
黄河を見るのは初めてであった。大河に一本の橋が懸かり対岸が見えない。トラックやバスが警笛をけたたましく鳴らし橋を渡っていく。堤防を歩いていくと突端に船がつながれていた。護岸工事の船である。この大河の水は太古より黄土色に濁り澄んだためしはない。雄大である。


牡丹大酒店のカラオケバー
牡丹大酒店での夜は、ロビーにあるカラオケバーに出かけた。ホステスなし(ホステスはつきません)で、水割り2杯、カラオケ4曲で約千円でした。日本の曲は少なく選定に困りました。
星影のワルツを唄ったら、現地のカップルが3〜4組みダンスをしてくれました。現地の方々はどうもダンスが目的で来ているようです。

洛陽博物館
12月4日、午後の電車で西安に向かう予定になっており、それまで時間があるのでコースには組み入れていない洛陽博物館に行った。

洛陽〜西安・二階建て旅遊特快の旅
12時25分、二階建ての車両を牽引した火車は洛陽駅を西安に向けて出発した。約6時間の火車の旅である。
黄土の高原に点在する村々を貫けて谷を越え火車はゆっくりと進む。二階からの眺めは格別である。レンガ作りの家並み、緑の乏しい麦畑や果樹園、侵食された黄土の谷、横穴の粗末な住まい。まるで西部劇の汽車に乗ったような雰囲気である。どのような農村生活が展開されているのか、思っても有り余るものが込み上げてきた。19時に真っ暗な西安駅に到着した。今晩のホテルは皇城賓店、日系のホテルである。

古都西安
12月5日、西安はかっての唐の都「長安」で、ローマと並ぶ世界的な大都市であった。紀元前11世紀の西周時代から秦、西漢、隋、唐の11王朝がおかれ約千年にわたり中国の中心地であった。現在の城壁は、明代に再建されたもので唐代の6分の1にすぎない。日本の平城京、平安京が長安を手本としたことは言うに及ばない。写真は南門である。


華清池
日本人は温泉が大好きですが、中国で温泉が好きだというと、体臭を隠すなど何か体にあるのではないかととられるようであまり好きではないようである。
写真はツアーディレクターの篠原さんと撮りました。・・・・(^^)


兵馬よう坑博物館
これを見物する目的でこのツアーに参加した人も多い。
秦の始皇帝の陵墓を守ため作られたもので1974年に井戸堀作業中に偶然発見された。1号坑から3号坑まであり、未だ発掘中である。兵馬ようは背丈約180センチの等身大の大きさであり各々の表情は大変豊かであった。4号坑も計画があったようであるが、政情の変化により作られなかったようである。これも臨機であり中国らしいと思った。
近くには秦の始皇帝の陵がそびえていた。

西安碑林
秦代から清代にわたる石刻の碑が集められている。顔真卿など唐代の名だたる能書家の石碑は見ものである。現代のメモリーとしてハードディスクというメモリーがあるが、まさにこれが古代のハードディスクだぁ・・・


大雁塔
三蔵法師が持ち帰った経典を漢訳に励んだところである。翻訳した仏典の保存のため塔を建てたのが大雁塔の起源である。7層まで248段の階段を一気に登った。


皇城賓店でカラオケバー
西安最後の晩にツアーディレクターの篠原さん佐々木さん、サイさんペイさんチョウフーさん達とカラオケバーで軽く一杯飲んで懇親をはかりました。中国の添乗員さん達は気を使ってか日本の歌を唄ってくれた。みなさんとても唄が上手でした。とても楽しいい西安最後の晩でした。

中国西北航空公司
12月6日、中国西北航空公司の朝一番の便で空路北京へ向かった。機内で機内サービスに関するアンケート調査があった。これにはさすが中国も変わったなぁ・・・と思った。これに対して鉄道の車掌は日本人をきらいなのか知れないが、勤務態度がまだまだである。

明の十三陵
さてここは、明代の皇帝と皇后の墓場である。13あるから13陵と言うようだ。その中で地下殿で有名な定陵を見学した。地下27メートルに5室からなる宮殿があり、皇帝と二つの皇后の棺や玉座などが置かれていた。これを作るのに2年分の国家予算を費やしたということから莫大である。皇帝が死ぬと后も一緒に葬られちゃったのはかわいそうではあるなぁ・・・・


万里の長城(八達嶺)
やぁ・・一度行ってみたいと思った長城へようやくやってきた。しかも、風が吹きすさぶなかよく来たものだと思われただろう。
中国の一里は500メートルである。山海関から約5000キロに及ぶことから1萬里ということで万里の長城と言われているようである。
時は15時、日も傾いているということで、日陰の男坂を登って日のあたる女坂方面の写真をとった。数百メートルおきに監視塔があり、山々を縫うように連なる城壁はまるで巨大な龍が舞っているようで、その壮大さには胸を打たれた。


北京飯店最後の晩
いよいよ最後の晩となった。留守中世話になった職場と女房にホテルの売店でお土産を買った。部屋でゆっくり旅行の行程を思い起こしながらビールを飲んだ。

中国旅行のポイント
・トイレは有料トイレを使えば清潔であり問題ない。料金は2から5角
・食事のときおしぼりはほとんどでない。濡れティシュを持って行こう。
・禁煙の場所が多い。愛煙家はポケット灰皿を用意が必要。
・街頭販売が煩わしい場合は毅然たる態度で断る(プヨー)。

お世話になりました。
・近畿日本ツーリスト・・・篠原さん佐々木さん
・河南省旅遊公司日本部・・・・ペイさんサイさん
・現地ガイド・・・・(北京)リュウさん(洛陽)リーさん(西安)チョウフーさん
・弊社職場のみなさん

日本では体験できないものとして
中国を旅すると大きさ広さと時空の流れのおだやかさを肌で感じることができる。
これがこの旅の僕の宝である。


今回は入社30年を記念してぶらり一人旅に出かけました。なにも拘束されるものもなくすばらしい旅行でした。
あまり気をぬいたせいか風邪まで背負込んでしまいました・・・(^^;
次回の中国は重慶から三峡下りでもと考えています。

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