2002/8(脳味噌沸騰、しない?)
たび(2002/08/07〜)
出国前:何年振りだろう。国外に出るのは。てなわけでオーストラリア・パースに行ってまいる。
帰国後:パース。めちゃよかった。オーストラリアのその他地域から、また世界中からの移住者が多いというのもうなずける。また行きたいなあ。
2002/5(・・一年以上更新してなかった・・)
父の3回忌(2002/05/12)
2001/4(うーんほぼ半年ぶり)
おじいなくなる(2001/03/14)
80才とは思えぬ元気な母方のおじが2日間の入院でなくなった。
あまりのあっけなさ。
入院そのものも突然だった。非常に不謹慎な言い方をすると
極めてデジタル的な人生。自分の父の数箇月分がおじの場合2日。
残されたものがそれを実感するのは難しいだろう。
おじの49日のすぐ後、父の一周忌がくる。時が経つのが早すぎる。
地獄の正月(2001/01/07)
年末に羽島でバンドのコンサートがあり、
夜12時位まで屋内から屋外へ器材の搬出をしたのがたたったのか、
元日の朝、大変な寒気が襲って来た。
これが地獄の正月の始まり。風邪かこれは?
3日には女房に感染し、5日からの帰省の予定もキャンセル。
週開けまで二人して病人になっていた。
それぞれ抗生物質の投与をうけた。たぶん気管支炎とか肺炎になりかけだったんだと
思う。父のいない初めての年はこんな具合に始まった。
2000/9(うーんほぼ半年ぶり、でもいろいろありすぎた)
妹宅水害(2000/09/11)
名古屋市天白区で暮らす妹の自宅(2世帯)の1階部分が床上浸水。
というよりも天井下まで達したという。
妹は子供を連れて実家に避難している。
旦那のお母さんの受けたショックが大きいのが心配とのこと。
我々夫婦はそのとき遊びにいった横浜からの帰路で新幹線缶詰の具になっていたのだが、
入って来る情報が少なくそれを知ったのは翌日だった。
WEBコンテンツの見られる携帯電話を持つ人との情報格差を痛感した。
父いなくなる(2000/05/16)
昨年末に父方のおじ(仲人をしてもらった)が亡くなったのに続いて、
わが父も逝ってしまった。
自分が父っ子だったことに今更気付いている。孝行したいときになんとやら。
それを実践してしまうことになろうとは。
真新しい仏壇を前に俺は何をしていたんだろうと思う。
2000/2(うーんほぼ半年ぶり)
昨日は入試で東京だった(自宅)
久しぶりに秋葉原の空気をすうことができた。なんでも前日に秋葉原の店では
春物に入れ替えを行っていたらしいが、私があしを運ぶ店にはN*CとかS*NYの
完成品なんか売ってないから関係ないもんね。それにしても、東京駅で人ごみをかわしながら
爆走する(歩いてるんだけど)のは気持ちがいいなあ。
1999/7(うーんほぼ半年ぶり)
今は梅雨(自宅)
つばめ。マンションの1階部分に巣を作る作る。第一陣の種(なにつばめかはしらない)
が巣立ったあとにやってきた種、6羽のひなが育っていたが、一羽だけ発育の遅いのがいるのが
気がかりだったが、昨日のあさ、コンクリートの床の上で冷たくなっていた。
以前、三半規管が壊れたようなハトが7階フロアから飛び落ちて絶命したときは夏だったので、
近くを流れる津保川の河原に埋めに行ったのだが、今回はそんな時間もない。とりあえず、
だれかに見つけてもらおうと思って遺骸の下にティッシュをしいて目立つようにしておいたら、
帰宅時にはティッシュごとなくなっていたからだれかが葬ってくれたのだろう。
1999/2(うーん半年ぶり)
今は冬(職場)
この時期私の職場では入試関係で日々暗くなっています。子供の数が減っていて、
人気のある教育機関への入学が楽になりつつあるなかで、私の職場に入学しようと志すひとが減っても不
それは不思議でもなんでもありません。でも志願者が減ったのを見て、いまいきなり年度内に3度目の入学試験を
行うというのはどうなんでしょうか。ちょっと短絡的すぎるのではないでしょうか。入学試験の回数をふやせば
志願者が増えてばら色なんでしょうか。人を集めるために集める作業をたくさんするよりも、
集まるような状態にあることの方が大切なのではないでしょうか。スクールバス、学生は何年も前から
望んでますよね。って、できごとじゃないなこりゃ。あかん、ストレスぶつける場になってしもうた。
1998/8
今は夏休み(職場)
この時期(7月25日から9月25日まで)、私の職場では不連続で17日間の夏休みをとることに
なっています。前半は学内LANの工事が立て込んでいてほとんどとれなかったけど、今週からはなんと
月水金と休み。てことは、月水金土日と、なんと週休5日ではないか。継続の必要な仕事はできんな。
で、この学内LAN。後学期から全学で稼動するのです。使わ(え)ない人には歩調を合わせずに
いったほうが、学生の習得は早いんですよね。みなさんはどう思われますか。
1998/6
コンピュータ教室その後(職場)
- 2つあるコンピュータ教室のうちどこかのパソコンスクールにありそうな、MS-Wordと
MS-Excelをインストールしただけのクライアントに誰かが無断でソフトをインストール
しているようだ。一台一台手で消すのもなんなので、ログオンスクリプトに細工をすることにした。
でも、特定の教室のどのクライアントにもすべて同じようにインストールしてあるところを見ると、たぶんこれは
教員のしわざだろう。犯人の目星はついているが、引き続き監視することとする。
それにしても、その教員の授業で受講生の半分が授業中にペイントでお絵描きをしているようだ。
うわさによると、その教員は指定された教科書の内容をほとんど理解できないらしい。
それって給料泥棒っていわないかあ?
1998/4
いきなりの人事異動。あれあれ引継ぎは?(職場)
- それまでの学生課から庶務課にうつることになった。ふつう内示は3月はじめだと思うのだが、
なんと上司から話があったのは3月25日。5日間で引継ぎのできる範囲だけで良いのか?
でもうわさによると、以前は4月1日の辞令交付の10分前に内示があったとか。改善されたの。
インターネットサーバ稼動(職場)
- とうとう専用線をひいて、インターネットへの接続がなされた。インターネットサーバについては、
納入実績のある業者では(こちらの予算内では)NTベースのものしか提案できないみたいなので、
いれちゃいました、LINUX。しかも「フリーなのでサポートがないから
個人向きのおもちゃだ」などと日本ではいわれていたのも今は昔。もちろん保守料金ははらっているけど。
ほかの同規模の学校法人で、同レベルのシステムのおよそ半分の投資でできてしまった。
コンピュータ教室稼動(職場)
- やっとの思いで、情報教育用のコンピュータ教室が立ち上がった。やはりNOSについては、
(こちらの予算内では)NTしか提案できないみたい。まあ、インターネット上に直にさらすわけじゃないから
いいか、というのりで、とうとう教室にはNT×2+W95×65という構成としてしまった。マルチクライアント&
マルチユーザーのこの環境は、構築・運営するのにクライアントとサーバーの親和性が高い方がいい、
なんて思ったのだが、実際の設定はスクリプト一発でいく部分ばかりでなく、腱鞘炎覚悟のGUI操作で
おこなうしかないとのこと。見た目のとっつきやすさからNTって日本ではベンダの一押しみたいだけど、
なんだかなあ。こと運用管理という面では、ほかのNOSの方がトータルで勝っているようだ。
今まではうわさだけの世界だったが、現実を見てそう思った。
1997/12
ホームページ公開。(職場)
- やっと職場のホームページができあがった。
JPNICからドメイン名の登録完了通知がきた。
でも、ドメイン名は独自だが、サーバーは国内でなかったりする。でも.comではない。 - 内部用のWEBサーバーを運用しているが、それを知るのは私のみである。
- 過去の遺物、I社製のホストコンピュータが物理的に撤去さる。すでに電源を切られて数年たっていた
汎用機はついに敷地内からその姿を消した。その部屋にはネットワークサーバを置くつもりである。
さようなら川崎ナンバー
とうとう車を買い替える。黒のカペラc2(マニュアル)なんてもうだれものっていないのに乗っていたのだが、
そして私はこれを大変満足して乗っていたのだが、女房でものれる車を、ということで、泣く泣くオートマ車に
かえることになった。車は赤いフォレスター。納期は未定である。交差点でライトオフしない東海地区のの車社会に
迎合しないために、停止時に自動的に減光する装置をつけることにした。
で、さきほどその黒のカペラはスバル屋さんにもっていかれた。かわりに緑のフォレスターが代車できた。
全国学生相談研修会に参加
12月9日から11日まで、国立教育会館で開催された上記研修会に参加。大変ためになった。
現在レポートを作成中。上司にせっつかれはじめた。とほほ。
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