友として素敵な存在
小沢君は本当に不思議な人だ。東大法学部の自治会役員として、銀杏並木の下で反戦平和を訴え、日本の独立を語りかけてきた時代から、もう四十数年を経ようとしているが、彼は今でも青春の頃と少しも変わらぬみずみずしい情熱と、美しい社会をめざしての不屈の闘志を抱き続け、その意味では少しも昔と変わっていない。
そんな彼の姿を見る時、同窓生仲間は皆驚き、自らの人生をかえりみて忸怩(じくじ)たる思いをするのである。
もちろん、この間、日本が大きく揺れ動いた歴史の中で、彼の内部も様々に変化しただろうし、人にはいえぬ苦労や、つらい思いも経験してきたに違いない。しかし、今日小沢君が、いつ逢っても明るくおだやかな表情で、姿も心も青年のように若々しく、勇気にあふれている、ということは、彼が常に闘う姿勢の中に生きてきたからだろう、と私は考える。
いつ逢っても変わらぬ人というのは、いつ見ても変わらぬ自然の風景のようにいいものだ。自然も、大変な勢いで傷つき、破壊されようとしている時代に、小沢君のような変わらぬ人は、友として味方として、本当に素敵な存在だと思う。
心の支え小沢兄
元日本航空 小倉寛太郎さん
私は戦後の学制改革による東京大学教養学部第一期生、小沢和秋兄(私が年上ですが、慕っているので兄と呼ばせていただきます)はその第二期生、そしてこの新設学部の自治会、生協などを立ちあげた仲間です。今から五十年前の話です。
当時は、ともすれば学業不熱心、大言壮語の弊風に陥りがちの仲間の中で、小沢兄は全く違いました。講義への出席と活動とを見事に両立させ、誠実に活動していました。二人とも法学部へ進学しましたが、この小沢兄の態度努力は一貫していました。
その後、私は日本航空に就職、小沢兄は当峙の八幡製鉄に就職され、仕事の分野も勤務地も分かれました。私が日航労組委員長を退任後まずカラチヘ配転された頃、小沢兄は労組の専従役員となり、さらには会社の幹部コースをなげうって共産党の県議になられたと聞き、改めて、その誠実な生き方に感銘を受けました。
私がその後テヘラン、ナイロビと海外をたらい回しされていた頃も、小沢兄が困難にもめげず、国民が主人公の政治のために活動している様子を年賀状などで知り、遠く故国を離れた身にとっては大きな心の励みとなっていました。
弱い私が不当な配転に屈しなかったのは、働く仲間たちの励まし、旧友たちのその後の誠実な生き方が心の支えだったからです。小沢兄はその中で最も強く私を支えてくれた人です。いまの自公保政権の悪政に審判へ鉄槌を下すためにも、小沢和秋兄こそ、新しい政治の担い手にふさわしい人だ、と確信しております。
プロフィール…小倉寛太郎(おぐらひろたろう)
山崎豊子著のべストセフー小説『沈まぬ太陽』の恩地元(おんちはじめ)のモデル。労組の分裂弱体化のため、海外各地を定年までたらいまわしをされたが、屈しなかった日本航空労組元委員長。
21世紀へ「国民が主人公」の主張は、国民の信頼を得つつある
元衆議院議員 大橋敏雄さん
小沢和秋さんと私との交際は、実に古く長い。今から約三十六年前(昭和三十八年の福岡県議会選挙)が縁となり、お互いに県議として身近に接する様になったのが、そもそもの始まりでした。
その後、衆議院の選挙の際にも同じ選挙区から出馬して、互いに強烈なライバル意識をいだきながら激しく火花を散らしたものでした。そして当選後は、不思議にも二人とも同じ委員会(社会労働委員会など)に所属して、常に顔を付き合わせ当然ながらひたむきに議論をたたかわせました。
やがて「庶民大衆のために」を目指しているこの点で共通するものを感じ、いつしか人間的な心と心が熱く通い合い、党派をこえて仲良しとなりました。
ところが、かつて私が所属していた公明党の立党精神は、<反自民・反権力>であり、<大衆と共に語り、大衆と共に戦い、大衆のために死んでいく>でありましたが、今やこの立党精神は借しげもなくかなぐり捨てられ、周知のように自民党・権力にすり寄り瓦解してしまいました。国民不在のこの自公政権には、腹の底からの怒りがこみ上げてくる毎日です。今にして思えば、昔から「国民が主人公」の主権在民、民主主義思想を訴え、少しも節を曲げず、たゆまず筋道をとおしつづける「日本共産党」に対して、今や多くの国民が真剣かつ誠実に見直しつつ、心からの信頼と期待を寄せつつあります。二十一世紀へ、いま、国民は大きな歴史的な変化を肌で感じ取っています。
小沢和秋さん、今度こそわが命をかけて奮闘し、国民大衆のための政治実現へ全力を尽くして下さい。長年の親友として、心がら念願してやみません。
プロフィール…大橋敏雄(おおはしとしお)
福岡県議一期、衆議院議員八期。在任中に創価学会と公明党の関係をきぴしく追及する質間主意書を政府に提出したため、公明党を除名された硬骨の政治家。
「小沢さんは元気ですネ」と皆さんからよく言われます。彼の万歩計は毎日一万歩を軽く越えます。
今年は選挙の年。連日、朝立ちが続きます。どんなに朝早くても彼は出掛ける一時間前には起床します。彼流のラジオ体操を二十分。熱い煎茶を飲みながら朝日新聞、赤旗新聞を丹念に読みます。皆さんにお会いする時には体も頭もリフレッシュしなければ矢礼だと言います。結婚して四十年になりますが、落込んだり、疲れたり、不愉快そうな顔をみたことがありません。どんなに夜おそく、風雨の中を帰って来ても、ドアーを開けた時の彼は何時も穏やかです。不器用ですが、いつも優しい人です。どなたに対してもそうだと思います。でも社会の不正に向う時は一歩もひかぬ厳しさです。理不尽な自公保の悪政と対決し、国会の場で皆様のお役に立って働けるよう、彼を支えて頑張ります。
○先ず精神面でくよくよしないこと。イヤなことはさっぱり忘れます。
○食生活は野菜を多くとるように心がけている。これは女房が十分気をつけてくれています。
○それから、朝起きたらラジオ体操を二回する。腕立て伏せ三十回。これは身体的な健康法。
○もう一つは歩くこと。歩くのは中年になってから、ずっと歩いている。日に万歩をわることは先ずありません。国会では事務所が五階ですが、エレベーターを使わず階段を歩きます。
○歩くことでは、九州の党の皆さんの間でちょっと有名になっています。例えば比例の候補者時代佐賀にいきました。それまでは駅まで車の出迎えがあったが、私がことわって事務所まで歩いていく(十五分位)ので、最近は「着くのを待っています」というようになった。こういうところが健康法ではないでしょうか。(インタビューから)
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