welcome to GREECE
− アテネ旅行記−

ギリシャの美しいエーゲ海の風を
写真・水彩画・旅行記でお楽しみください。
エーゲ海の風をお尋ねいただき有難うございます。


What's new *** NEW!2004年3月13日最新更進日 ***

[6]アテネ-プラカ地区とパルテノン神殿

9月23日。(旅2日目)

 アテネでは、パルテノン神殿と国立考古学博物館にいければよかった。ここの滞在予定は2泊3日だ。 荷物を布のバックに移動させ、最低限の荷物だけリュックに詰め、鍵のついたタンスに布のバックに入れた残りの荷物をいれた。カメラは2台、ネガとリバーサル。やはり世界遺産はリバーサルに残したい。さあ出発。荷物がかなり軽くなり、わくわくする。私はプラカ地区を通って、アクロポリスへ行くことにした。
   プラカ地区は歩いているだけで、楽しい。土産屋、カフェ、タベルナ(レストラン)、のんびりと歩く猫、空き地に忘れられたようにある遺跡、ピンク色のブーゲンビリアの花が本当に美しい。
 パルテノン神殿は長い間修復を続けている。私の訪れたときも、修復が行なわれていた。パルテノン神殿の向かい側には、エレクティオン神殿がある。南面にある6体の少女像の柱は複製だが、私はこの神殿がとても気にいった。少し、歩き疲れたので石の上に腰掛休んでいると、目の前にイオニア式の柱がごろりと無造作においてある。
 遠くからチャーミングな黒髪の女の子(日本人)がこっちに向かって歩いてくる。少し人恋しくなって(日本人に)話しかけてみた。彼女も一人旅で、トルコのイスタンブールから島を渡ってアテネに着いたそうだ。私はこれから行こうとするルートからきた彼女との出会いにうれしくなり、最新の情報をいろいろ聞いてみた。しかし、私はあまりにも無知で旅の経験がないので質問があまりにアバウトなことしか、聞けなかった。
「どこがよかった?」
「サントリーニ島かな、あそこはすごいで。レッド・ビーチっていって真っ赤なビーチがあるんや。赤土の崖が崩れてそれがそのままビーチの土になってるんや。」ただ、ただ、みとれるばかり。と彼女は大阪弁で熱く語った。この旅行中、大阪出身の人と会う確率は高かった。他に九州や北海道の人もいた。私は神奈川出身だが、熱く語るとき大阪弁をまねて話すと倍、気分がよかった。なぜだかはわからない。
 彼女は、いままでドミトリー式の宿に泊まりながら、旅をしていると言った。明日、アテネを発つそうだ。
国際港パトラまで行き、そこからフェリーでイタリアに渡るつもりだ。と言った。私もギリシャの島を回ったら、同じコースでイタリアへ渡るつもりだったので、もっとゆっくりと話したかったが、もうすぐ閉まる時間だったのと、他にも見たいところがあったので彼女と夕食の約束をして別れた。
 私が展望台からリカビトスの丘とゼウス神殿を見て、くるりと振り返り歩きだすと 「ともみ!」と聞き覚えのある声が聞こえた。トランジットで知り合ったSが立っていた。

13.jpg
プラカ地区のタベルナ(レストラン)

11.jpg
パルテノン神殿

12.jpg
エレクティオン神殿(6体の少女像の柱の複製)

14.jpg
イオニア式の柱がごろりと無造作においてある



[7]アテネ-パルテノン神殿の丘のアクロポリス博物館

9月23日。(旅2日目)
 この丘の上にはアクロポリス博物館がある。チケットは共通なので私はSと中に入ることにした。入り口には丸々としたふくろうの彫刻が凛々しく胸を張っていた。ふくろうは知恵の象徴だという。私は相変わらずマイペースで見ているといつのまにかSはいなくなっていた。すこし中を探したがまた何処かで会えるだろう。
私は出口に近いところで衣服のしわがとてもきれいに表現されている像に見とれていた。と…突然フラッシュがたかれ、監視の女性が、カメラを持った女性に向かって注意した。にもかかわらず、またフラッシュをたいた。監視の女性はすごい剣幕で女性に「ノンフラッシュ!」と叫び、かなりお怒りの様子。そこにつれの男性が仲介に入りひとまずその場はおさまった。男性は彼女にノンフラッシュでとりなさい。と注意して彼女は納得した…はずなのに。彼女は見事、3度目の正直?フラッシュをたいて写真を撮ったのだ。
 多分、彼女のカメラは全自動式で室内ではどうしてもフラッシュがたかれてしまうものだったか、フラッシュのストップボタンをしらなかったのだろう。しかし、監視の女性は完全にキレた。猛然と走り込んで彼女に注意する気だ。彼女は一目散に逃げていった。残されたのは腹の虫の収まらない監視員と私の2人だけになった。とても気まずい空気だ。私はこの空気を打破したかった。で、突然、私のお気に入りの彫刻を指差し「これはとても美しいですね。」とまったく関係ないことを言った。彼女はきょとんとしていたがすこし間をおいて私のお気に入りの彫刻の説明をはじめた。げっギリシャ語だ!何いってるんだろう?身振り手ぶりで、「足の紐をむすんでいるのよ。」と彼女は言っていると私は解釈した。後で本を見たところ、この彫刻は「サンダルのヒモをほどくニケ」というらしい。どうやら彼女は紐をむすんでいるのではなくほどいていると言っていたようだ 。
 私は、尋ねた街に博物館があればなるべくいくようにしている。荷物になるのですべての資料をもってくるのは無理だ。知識があれば何倍も展示物を味わえるかもしれないが、暗記力が弱い私は諦め基礎知識なしでいった。
 なにも基礎知識がないと自分の感性だけが頼りだ。ピンとインスピレーションのきた作品の前で立ち止まってはじっと見てなにかを感じてまた館内を歩く。博物館を見終わる頃にはとても豊かな気持ちになっているのだ。


15.jpg
アクロポリス博物館入り口
16.jpg 18.jpg

左/知恵の象徴ふくろうの彫刻
右/「サンダルのヒモをほどくニケ」



[8]アテネ-アクロポリスの丘で再会

9月23日。(旅2日目)
 一通り見て回り、出入口に着くと、Sと2人旅の女の子が疲れた様子で石の上にいた。 あまりに浮かない顔をしている2人にどうしたのかと聞くと、ホテルについてここにたどり着いたが、パルテノン神殿の入場時間には間に合わなかったらしい。彼女たちは明日の早朝アテネを発つのでパルテノン神殿は見れない。となげいていた。
 私は今夜で最後かもしれない。と、夕食を一緒に食べようと誘った。私の泊まってるホテルの1Fにレストランがあったのを思い出した。そこでは、ギロとよばれる料理があった(大きな肉の塊が炭焼きのグリルで、回りながらきれいにあぶられていた。)私はワインを頼もうとメニューを見るとボトルしかなかったので、おいしそうな肉を前にしぶしぶスプライトで我慢した。(あとからビールもあったことに気ずいた)。
ギロに近い食べ物にスブラギがある。こっちは串焼だ。材料はマトン、ブタ、チキン、魚など。私はマトンのスブラギをたのんだ。大きな皿の上には串切りの焼トマト、ナンに似たパン、たまねぎスライスに三ッ葉に似た香草が上にぱらりとかかっている。香ばしい匂いと焼色を一口、口の中へ…そうだ忘れていた私はマトンの癖がだめだったんだ。私は次回からブタかチキンにしようと固く誓った。とはいうものの、全部たいらげた。
みんなでアドレス交換をしているとき。パルテノン神殿の前で出会った、大阪弁の彼女があらわれテーブルに加わった。明日は、2人旅の女の子はミコノス島へ、Sはサントリーニ島へ行ったあとミコノス島へ行くと言った。私はSとミコノス島で会う予感がした。3人は「明日は早朝、出発するのでそろそろ帰りたい。」と言いホテルに帰っていった。 大阪弁の彼女は、今夜は彼女にとってアテネ最後の夜だから、場所を変えてもう少し飲むことになった。私は、女1人旅のルールを勝手に作っていた。そのひとつに日が落ちる前にホテルに戻る。とゆうのがあった。1日目にしてルールは破られた。
  私達は、ファースト・フード式の店でビールを飲んだ。私はハイネケンの生、彼女はアムステルの生を頼んだ。私は、彼女のビールを眺め「それ美味しい?」と聞いた。
「飲む?」 「うん。」
 味は日本のラガービールによく似ていた。ハイネケンより美味しく感じた。これからギリシャでは、アムステルビールにしよう。値段も安い。別のバールをさがしに私達は、街をうろついた。



20.jpg
スブラギ/マトン

17.jpg 19.jpg

左/プラカ地区のおみやげ通り
右/ビールアムステル(缶)



[9]アテネ-エルムー通りとヴリス通りでギリシャ人に追いかけられる

9月23日。(旅2日目)
 エルムー通りとヴリス通りがぶつかったあたりを歩いていたとき、1人のギリシャ人の男がギリシャ語で、私に何か叫んでいる。酔っ払っている様子だった。私たちは男と少し距離を置くようにして、早足で歩いた。ところが男はこっちに向かって走り出した。私は怖くなり逃げたが、男は叫びながらすごい剣幕で追いかけてくる。男との距離は明らかに縮まっていった。大阪の彼女が
「なんかあの人めっちゃ怒ってるで。なんやあんたの頭のバンダナについてみたい。」 「へっ?」
 頭の上の、赤地にペーズリー模様のバンダナにどうして怒るわけ?
「とりあえず、あんたホテルにもどったほうがいいで。」
 男はホテルまで追いかけてきたものの、私は無事、部屋に戻れた。どたばたとして、ろくに別れの挨拶もできずじまい。 彼女は男に追っかけられてないかな。その心配は5秒後に吹き大阪の彼女は、男のことを「クレイジー」といっていた。でも、それ以外に理由があるとしたら私はまた違う人に追われる気がして、何人かに聞いてみた。サントりーニ島であった添乗員さんは「もしかしたら、トルコとギリシャは仲が悪いのでそのスカーフがトルコを連想させたのかもしれない。」  私は、この日以来、バンダナを頭につけるのをやめた。この日は廊下にあるトイレにいくのも怖かった。もちろんシャワーも浴びる気がしなかった。



次ページへ(旅行記) ホームへ
NEW!
戻る(☆アテネ旅行記トップへ)
ミコノス島の風景(作品紹介)
北イタリアの風(展覧会情報) 南イタリアの風景(一部作品紹介)
掲示板



     入場者数 
 (2000年11月08日〜)

当サイトは全てリンクフリーです。ただし、アダルトサイト、違法なサイト、公序良俗に反するサイト他、 電子メールでのスパム等迷惑行為に該当する宣伝行為などのサイトはご遠慮下さい。
本サイトに展示したイラスト・写真・文章の著作権はすべて作者個人にあります。 権利者の許諾なく無断使用・複製することを禁じます。