(1)ゲームとの出会い私がゲームを初めて知った――というよりも、やったのは、多分3歳のときです。あれは確か、母が田舎の福岡に帰省していて、それから帰ってくるときに、父と一緒に 東京駅に迎えに行ったときで、東京駅地下のさくらやで買ってもらったのではないかと思い ます。といっても、当時の私はゲームの存在など知らず、父が興味を持ったから買ったの だと思います。 そのときに買ってもらったのは、ファミコン本体、ディスクシステム本体、ディスクの 「ウルトラマン」、ディスクの「スーパーマリオブラザーズ」…他にあったかどうか…。 とにかく思い出せるのはこれだけです。 ウルトラマンは、操作方法は分かりましたが、やっぱり難しくて全然進めませんでした。 でもあのゲームは、今やってもクリアできるかどうか分かりませんが…。 スーパーマリオのほうは…これはあまり記憶にありません。ただ、1年くらい後のこと だと思いますが、近所の友達のお母さんが、このゲームが得意だという話がありました。 あと、このゲームの思い出としては、私の父は、このゲームを本気でやるときは、右手の 人差し指でBボタンを、中指でAボタンを押すようにしてプレイしていました。自分の プレイでは、やはりハンマーブロスに苦労したことくらいしか思い出せません。 当時のことはもう殆ど忘れてしまいましたが、このファミコンを買ってもらったときの ことは、何故かはっきり覚えています。
(2)幼稚園の頃ファミコンをやり始めたのは、今は無きw幼稚園の年少のころ、ということになります。その後はあまり覚えていないのですが、年中か年長のころ、幼稚園から帰ってきたときに、 父がFF2をやっていました。ちょうど、オープニングの黒騎士にやられるところで、あれは 何なのか、と思ったような気がします。その後、私がFF2をやったかどうかは覚えてない ですが、ストーリーは何故か鮮明に記憶されていました。 あと、ディスクシステムの書き換えというのが開始された頃、家にあったスーパーマリオ ブラザーズ2を、勝手に「帰ってきたマリオブラザーズ」に書き換えてしまったことがあり ました。ゲームの中に永谷園とかの広告が入っていて、今思うと変なゲームでした。 FF1やDQ2もこの時期に買ってもらったと記憶しています。 年長になってからは、スーパーマリオブラザーズ3を結構やりました。家に友達を呼んで、 いっしょに遊んだりもしました。ただ、白いブロックの上でしゃがみ続けると裏へ行ける、と いうのは、教えてもらいました。 あと、僕は以前、早朝に(平均5時半くらい)起きてゲームをやる癖がありました。これは もう幼稚園のころからだったと思います。起きるのが早かったのです。でも、これは小学生の ときまでで、中学生になってからは早起きができなくなりました。その分、夜にやることが 少し増えました。 ゲーム以外では、ビックリマンシールを集めたりもしました。これは今でも一部、残って います。側面が赤だと割といいシールがでやすい、黄だといらないシールが出やすいがキラ も出やすい、などという噂も流れました(というか自分が流したような…)。
(3)父親のゲーム歴上の文章にも書いたように、私の父は当時はゲームが好きで、特にRPGを結構やっていたようです。 すごいなあと今思うことは、FF1をクリアしたこと、FF2で最後の4人全員のHPを1万 以上まで上げていたこと、DQ2をクリアしたこと、ウルティマ(エクソダスのなんとかという ほう)をクリアしたこと、イースをクリアしたこと、などです。FF2も凄いですが、私が一番 凄いなと思うのは、ウルティマをクリアしたことで、これは私も後になってやってみましたが、 とてもクリアできませんでした。 これら以外にも、FF4・5、DQ3・4・5などもクリアしているはずです。ただ、私が ゲームを熱心にやるようになるにつれて、父のほうはあまりゲームをやらなくなっていきました。 現在は、単身赴任していて普段は家にはいません。ゲームもRPGはあまりやらず、専ら ソリティアやぷよぷよなどの簡易なゲームをやっています。ただ、パソコンの知識は僕とは比べ ものにならないほどあって(というか自分が勉強不足過ぎ)、いつもやっているようです。
…あっ今思い出した。最初にゲームを買ってもらったとき、マリオが出てくるゴルフゲームも
(4)小学校低学年の頃小学校低学年での思い出には、忘れられない思い出があります。FF3のことです。
小学2年の頃。FF3は、僕と父の2人ともやっていて、進度もだいたい同じくらいでした。
FF3に関してその他には、終盤闇の世界で何回も全滅していた記憶があります。いきなり |