壬生寺
文久三年(1863年)2月、将軍の上洛に先駆け、京都の治安維持の名目で近藤勇ら試衛館一派を含む浪士隊約230名が京都に入洛した。そこから新選組が誕生する事となる。後に新選組の壬生宿舎となる八木家はこの壬生寺のすぐ隣にある。
当時、ここの境内で沖田総司がよく近所の子供達と遊んでいたという話が残っている。
境内の壬生塚には、近藤勇の胸像や遺髪塔、隊内で粛清された河合耆三郎らの墓や八木邸で暗殺された芹沢鴨・平山五郎の墓碑がある。以前はこの壬生塚は自由に入れたが、今は有料となっている。大河ドラマの波及がこんなところに及ぶとは…。
尚、境内には今は様々な建物が建っており、沖田総司が遊んだ頃の広々とした境内の面影は薄れている。
八木邸
江戸から来た浪士隊が分宿したうちの一つがこの八木源之丞方だった。お陰で、後々この八木家の人々はエライ迷惑を蒙る事になる。まだ新選組と命名される前は壬生浪士隊といったが、その頃屯所と宿舎を兼ねていた。芹沢一派がここで暗殺されるが、今もその時の刀傷やその時芹沢がつまづいて転んだという文机が残されている。
以前は非公開だったが、今は一般に公開されており、丁寧に説明してくれる係員の方もいる。
この八木邸の敷地内で子孫の方が和菓子屋を営まれており、新選組に因んだ和菓子やグッズが売られている。中でお抹茶と和菓子のセットもいただける。
旧前川邸
この前川荘司邸が後の新選組壬生屯所となる。
はじめ浪士隊が分宿したうちのひとつだったが、そのうちに前川家の人々は出て行くハメになり、いい迷惑だったろう。
後に池田屋騒動の発端となった古高俊太郎を拷問したもの山南敬介を粛清したのもこの前川邸である。この写真には写っていないが、山南が粛清される前に恋人の明里が会いに来たという出窓がある。
今はどこかの会社の持ち物になっているらしいが、以前は非公開だったのが今は土産物屋として公開されている。大河ってスゴイ。
光縁寺
壬生寺から歩いて5分程にあるここ光縁寺には、新選組隊士の墓がある。
脱走の罪で粛清された山南敬介・自分が切った男の妻と深い中になり心中したと言われている4番隊組長松原忠司ら27名が眠っている。
実はここには「沖田氏縁者」と書かれた女性の墓があり、それが誰なのかは今もわかっていない。女遊びはあまりしなかったという沖田総司とどういう間柄の女性だったのか、憶測を呼んでいる。
拝観料が必要。
三条小橋
池田屋騒動があった池田屋跡地へと続く三条小橋商店街。
「新選組!」のPRで今は「誠」の隊旗がはためいている。
因みに、池田屋跡地は今はパチンコ屋になっており、そしてその跡地から一筋南の通りには、坂本竜馬が定宿としていた「酢屋」がある。今も当時の姿を留めており、木製品を販売している。


京屋忠兵衛
壬生寺と八木邸の間に突如出現した土産物屋(笑)
しかも、「新選組御用達」らしい。
土方歳三や沖田総司の刀のレプリカ、誠の隊旗、袖章、オリジナルマグカップ、Tシャツ、局中法度入りハンカチ、誠の提灯、等々なかなかマニアのツボを抑えたグッズが一杯。
ちょっとオススメ。
新選組「誠」三段弁当
京都の某ホテルの広告(笑)
いくら便乗たって…ただ名前が新選組「誠」三段弁当なだけで、中身は普通のちょっと豪華なお弁当。でも、後に写っているお酒の名前が「新選組土方歳三」とあり、こちらのほうがなんだか魅力的(笑)因みにお酒は別売りな様子。

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