<マクラーレン>

 チーム監督はロン・デニス。チーフ・エンジニアはスティーブ・ニコルズ。 チーフ・デザイナーはニール・オートレイ。空力担当はアンリ・デュラン。
 74年からのスポンサーだったマルボロが去り、ドイツのタバコ会社ウエストが新たに付く。 1月の発表会ではマクラーレン発足当時と同じオレンジに塗られていた。 これは、今年のスポンサーのWESTとメルセデスのカラーリングが決まるまで、 マルボロ・カラーのイメージを打ち消す為で、スポンサーを大事にするロン・デニスの考え。
 以前はシェークダウンを開幕戦ぎりぎりに行っていたが、今年は早い時期から精力的にテストを重ね、マシンも好調。 ウイリアムズを出る空力スペシャリストのエイドリアン・ニューウェイを雇おうとしたが、 ウイリアムズとの契約問題で実際に移籍できたのはシーズン中盤となる。
 開幕戦オーストラリアGPは優勝に見放されて丁度50戦目。予選では4・6位だったが、 決勝では1週目には2・4位に上がり、ゴールラインでは1・3位に。 クルサードが50戦ぶりの勝利をチームにプレゼント。
 カナダGPではトップ快走のクルサードが、2位に差を付け念の為にタイヤ交換にピットイン、 しかし、クラッチが繋がらず順位を落としてしまう。その直後にレースは赤旗中断に。 それでもロン・デニスはあのピットインは正しい事だったと。
 イタリアGPでのマクラーレンは速く安定していた。 ハッキネンがファステストラップを記録し、クルサードが見事に今期2勝目を獲得する。
 ルクセンブルグGPでは、ポールポジションのハッキネンと6位から好スタートしたクルサードで1・2の編隊走行をするが、 43・44周目に同じ場所でエンジンブローに。
 最終戦ヨーロッパGPでは2・3位を編隊走行。途中ロン・デニスの指示でハッキネンを先行させる。 ファイナルラップでペース・ダウンしたトップのビルヌーヴ(ウイリアムズ)を2台が抜き、 最終戦を1・2フィニッシュで飾る。

<MP4/12>

 新設計部分が多いが、実際は昨年マシンMP4/11の発展系。軽量化、コンパクト化を目指した。 昨年はドライビングに難があったが、今年はそれを解消した。
 低重心を目指した。フロントノーズは他チームがより高くなったのに対して、昨年より低くなっている。 ドライバーの位置、エンジン、エンジンカバーと全て昨年より低く押さえられている。
コクピット周辺の処理はマクラーレン独特。サイドプロテクターと只、 ドライバーの姿勢がより寝そべった形になり、クルサードは不満点に上げていた。 ステアリングロッドは翼状のアッパーアームの中に収めている。 マシンのメンテナンス性を高めた。へレスでのテストではエンジン交換を記録的な時間で行った。
 ロアとアッパー・サスペンションの間には水平プレートを装着している、 サイドポンツーンのエアインテークに送り込む空気を多くするのが目的。 シーズン当初からエレクトリック・デファレンシャルを採用。
 スペインGPからメルセデスは小型軽量で馬力のアップしたFスペックエンジンを投入する。 ストレート速度は向上するが、エンジンブローもたびたび起きた。 軽くなった分をバラストとして利用し、マシンバランスを向上させた。 メルセデスのエンジンパワーは大きく、高速サーキットでは速さを発揮した。
 序盤は高速コーナーでオーバーステアーになる傾向があり、ドライビングに影響していた。 オーストリアGPからはウイリアムズに似たフロントウイングを採用、エイドリアン・ニューウエイ加入の効果か。 この辺りから、安定した速さを発揮し始める。

<ミカ・ハッキネン>

 29歳のフィンランド人。F1デビューは91年ロータスから、92年もロータスに、93年からマクラーレンに。
 今年は優勝やポールポジションまで後一歩の場面が続き、インタビューでのコメントが「これもレース」。 が、ルクセンブルグGPで初ポールポジションを獲得。 最終戦では、97年のファイナルラップでビルヌーヴを抜きトップでゴールへ。 途中ロン・デニスの指示でクルサードに先行させてもらった様でもあるが、まさしくこれもレース。 遅咲き記録タイの95戦目の初勝利。
 アルゼンチンGPでは粘りの走りで17位スタートから5位に入賞する。 イギリスGPの予選では後一歩の所でポールポジションを逃し3番手。 決勝では1ストップ作戦で45週目にトップへ、 しかし2位のビルヌーヴが追いついてきた所でエンジンがブローしてしまう。
 ドイツGPでも1ストップ作戦を行い3位からのスタートで3位に入賞する。 ベルギーGPの予選ではリヤ・サスペンションが折れ高速でコースアウト、が幸い怪我はなかった。 しかし、予選で使用した燃料が規定違反に。チームが抗議して決勝レースへ暫定扱いで出場、 順位変動が激しかったが見事3位に、その後、再検査の結果規定違反は覆われず失格となってしまった。
 イタリアGPでは序盤から積極的にとばして一時トップに立つが、タイヤがパンクしてしまい、 ファステストラップを記録するが9位に。
 オーストリアGPでも2位のフロントローからスタートするが、 1週目の最終コーナーでエンジンが力尽きホームストレート脇にマシンを止める事に。
 F1参戦93戦目のルクセンブルグでは初のポールポジションに。 スタート後もファステストラップを更新し続け、 後続に12秒の差を付けるも44週目に突然のエンジンブローに。

<デイビッド・クルサード>

 95年にウイリアムズからF1デビュー、96年からマクラーレンに。 マシン開発能力を高く評価されている。
 開幕戦のオーストラリアGPではF1で2度目の優勝を獲得。
 スペインGPは開幕戦以来の快調さで予選3位に、決勝でも序盤は快走するが後半はタイヤのグリップ不足に悩み6位に。
 カナダGPでは5位からスタート。1回ピットストップ作戦で28周目にトップに立つ、 その後も2位のシューマッハ(フェラーリ)に差を付ける。 シューマッハがタイヤのブリスターでタイヤ交換をすると、その後クルサードもブリスターの為にタイヤ交換へ、 しかし、クラッチが繋がらず7位でピットアウト。その直後にパニス(プロスト)の事故で赤旗でレースが終了してしまう。
 ハンガリーGPではゴールまで後12周の時点で3位を走っていたがシステム・トラブルでリタイヤしてしまう。
 イタリアGPはスタートで順位を6位から3位に上げ、トップのアレジ(ベネトン)を猛追。 同時のピットストップで前にでると、後は後続を押さえ今期2勝目を上げる。
 オーストリアGPでは10位からのスタートで2位に入賞した。
 ルクセンブルグGPでも好スタートで6位からトップのハッキネンの真後ろへ、が43週目に突然のエンジンブロー。


モデル
1/43ミニカー ポールズモデルアート社(ドイツ) McLAREN COLLECTION シリーズ McLAREN MERSEDES MP 4/12   
参考資料
・「AS+F」 オーストラリアGP号〜日本GP号 三栄書房発行
・「F1グランプリ特集」 97年6月号〜10月号、98年2月号 ソニー・マガジンズ発行
・マクラーレン・オフィシャル・サイト マクラーレンF1〜MP4/12

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