F1参戦はローラ時代で62年。
チーム代表、マネージャーはジェラール・ラルース。デザイナーはジェラール・ドゥカルージュ。
前年は鈴木亜久利が日本GPで3位入賞するが、ローラ製のシャーシをラルースの名前で登録したと言う理由で、
コンストラクターの全ポイントを取消された。予備予選だけは免除された。
シーズン・オフに大口スポンサーとランボルギーニ・エンジンを失う。
エンジンが突然変更になった為、マシンの完成が開幕直前に遅れた。又資金難の為、
サンマリノGPで新スポンサーを獲得するまでローラにスペアカーの納車を依頼出来なかった、
モナコGPよりスペアカーが揃った。
シーズン途中での撤退も噂されたが、7月からはフランスの会社再建制度の適用を受け新しい経営陣の元、
新スポンサーも付き再建を図る。
シーズン中はAGSやモデナ、リジェとの合弁の噂が次々と出てきた。これも資金不足の為。
デザイナーとディレクターのジェラール・ドカルージュがハンガリーGPよりリジェに移籍、
資金難の為引き止める事も出来なかったのか円満移籍のようだ。
だがいよいよ予選通過もままならぬ状況になっていった。
LC90の改良型。デザインはローラ・デザインオフィスとドゥカルージュ/ミシェル・テツ。
エンジンは非力なフォード・コスワースDFRでハートがチューニングを行う。シャーシ・バランスは良い。
シーズン中資金難でテストが出来ず、マシンの改良どころか信頼性の向上もままならなかった。
シャーシは3台のみ、エンジンは5・6台を使いまわした。シーズン後半はボロボロの状態だったようだ。
前年使用していたBPの予選仕様ガソリンも使用出来なかった分、予選では他チームより不利だったようだ。
26歳のフランス国籍。
89年ラルースよりF1デビュー、90年もラルース。
ドライビング・スタイルはナチュラルで人柄が良い。
日本GPで予選中にクラッシュし左足を骨折してしまう。
30歳の日本国籍。
88年ラルースよりF1デビュー、89年ザクスピード、90年ラルース。前年は日本GPで日本人初の表彰台を獲得する。
ザクスピード時代に戻ったような状態でも前向きな姿勢は崩れなかった。
カナダGPではレース中に出火したマシンを自ら消化器を持って消化した。
28歳のルクセンブルク生まれ、ベルギー育ちでフランス国籍のヨーロッパ人。
89年オニックスよりF1デビュー、89年は他にリアルをドライブ、
90年コローニと弱小チームを渡り歩き、91年はジョーダンで開幕を迎える。
イギリスでの催眠ガスを使用した事件でシーズン途中に刑務所に入れられる。
ベルナールの代役で最終戦オーストラリアGPでラルースのステアリングを握るが、
走らないマシンに予選落ちとなる。
鈴木亜久利は予選21位。スタート後タイヤを傷つけすぐにピットインとなる。
最後尾まで落ちるが少しずつ順位を上げていく。
途中ギヤボックスやブレーキに些細なトラブルが出るが、脱落するマシンも多く残り6週あたりで6位に浮上、
2周遅れの6位となる。
予選19位のベルナールはスタート早々に電気系のトラブルでリタイヤしている。
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