89年からチーム名をモーターレーシング・デペロップメンツとしF1に復活した。
90年には日本のミドルブリッジ・グループに買収されチーム代表は日本人の中山康児。
チーム・ディレクターはハービー・ブラッシュ。デザイナーはセルジオ・リンランド。
チーム結成は62年、ドライバーのジャック・ブラバムが創設した。
スポンサーは日本企業が10社以上。
後半予備予選組に落ちたが、その中ではトップの速さだった。予選でも10位当たりに付けられる様になる。
チーム内にゴタゴタもあり、シーズン途中にチーム・マネージャーが変わったりした。
第3戦サンマリノGPより参戦。
ノーズの高さではこの年一番と思われる、ウイングは吊り下げ式で短い支柱一本で支えていた。
フロント・サスペンションはモノショック方式、スプリングとショックアブゾーバーが一つで、
車体のロールを押さえる効果があり、空力重視のシャーシが良く使用した。
エアインテークは丸く張り出している。ヘルメットの乱気流の影響を受けにくくなっている。
サイドポンツーンが特徴的で、高さが低く中程から丸びを帯びている。シーズン後半には丸みが取られ通常の形になった。
セミ・オートマチックの搭載を予定していたが、開発資金の為か実現しなかった。
ピレリがベネトン、ティレルを優先した為、量産タイヤを履くブラバムはタイヤに足を取られる事が多かった。
|
|
イギリス国籍の31歳。
84年ティレルよりF1デビュー、86年までティレル、87年ザクスピード、
88年にF1から撤退しジャガーにてWSPCチャンピオン、ウイリアムズでスポット参戦、
89年ブラバム、90年にはジャガーに戻ってル・マンで優勝した。
WSCのジャガーよりF1に復帰。何事にも着実で実際的な性格。
F3時代はセナとチャンピオンを争った。テクニカル・コースでは良い所をみせた。
イギリス国籍、24歳の新人。過去2年間ウイリアムズのテストドライバーを勤める。 大柄でブラバムのコクピットは多少狭かった模様。高速コースが得意。
ヤマハの地元日本GPだが、ブランデルがマシントラブルで予備予選落ちし、
ブランドルも予選19位と予選では良い所無し。しかし、決勝用セットアップは良かった模様。
決勝では、ブランドルはスタートでジャンプアップし1周終了時に14位。
一台前のティレルのモデナと共に、次々にと順位を上げていく。20週には8位、
22週にはオーバーステアぎみのモデナを抜いてピットインの車もあり6位に着ける。
24周目に予定のピットインを行い、10位に下がるが又浮上していく、後半はマルティニ(ミナルディ)、
シューマッハ(ベネトン)と5位争いとなるも両車ともリタイアする。
これで、ブランドルはフェラーリのプロストに次ぐ5位入賞をはたす。
|
スペック・成績へ |