<マクラーレン>

 ロン・デニスがチーム監督。デザイナーはブラバムから移籍したゴードン・マーレー。 スティーブ・ニコルスが全体のまとめ役を担当。 ゴードン・マーレーはブラバム時代の無精ひげをマクラーレンでは剃っていた。長髪は同じだが。
 現在の型名MP4はマクラーレン(M)にF2で活躍していたロン・デニス率いるプロジェクト4(P4)が参加した為。 この時にP4のデザイナーのジョン・バーナードも参加しMP4シリーズを設計した。 ジョン・バーナードは前年限りでフェラーリへ移籍した。
 マクラーレンとホンダのジョイント、プロストとセナのジョイントNo.1はMP4/4にもう少しで完全制覇を果たす所までいった。 予選では他チームに1秒差をつけ、決勝では他チームを全てラップ遅れにしたりと、 ウイリアムズからF1リーダー・チームの座を奪取した。
 強力なホンダ・エンジンを獲得した事により開発はエンジンに重点が置かれ、 後年シャーシ開発の遅れを招く事になる。

<MP4/4>

 デザイナーのゴードン・マーレイは、前々年ブラバムで作成し失敗に終わった、 BT55の低重心コンセプト(フラットフィッシュ)をMP4/4でも追求した。
 シェイクダウンはブラジルGPの2週間前だが、デビュー線で見事優勝を果たす。
 カーボンファイバーのシャーシは直線で構成されノーズは前年と変わって細身になっている。 このマシンの特徴は全体的な低さだが、特にマシンサイドの低くさは際立ち、 ただでさえ低い位置のドライバーの肩が、コクピットの脇とほとんど同じ高さになっている。
 シーズン始めはターボ用シュノーケル・ダクトを利用していたが、 空気抵抗の減少とリヤウイングへの空気の流れをきれいにするため、 サイドポンツーン内で空気を取り入れる方式に変更した。

<ホンダV6RA168E>

 ターボ最後の年に過給圧(4.0バール以下)と燃料制限(150L)でターボに不利だと思われたが、 パワーと燃費の良さ、アクセル・レスポンスの向上等により他のエンジン(NA・ターボ共)を圧倒した。
 パワーはフラットな出力で、どの回転域でも多大な馬力を発生させていた。

 
   
 

 低重心がコンセプトの”フラットフイッシュカー”。モデルではドライバーの肩 は見えないが実際はコクピットより肩が少し出ていた。このタイプではサイドポンツーンに シュノーケル・ダクトが見える。とにかくサイドポンツーンが低い。

 ノーズは前年までの太いデザインから一転して細身になった。サスペンションは ウイッシュ・ボーンだがロア・アームの広がりがアッパー・アームより広くなっている。

 
   
 

 とにかく低く広く感じるサイド・ポンツーン。たばこ広告規制の為、「Marlboro」 の変わりにバーコード状の物が描かれている。

 84年からのシャーシ・リヤの絞り込み。マクラーレンはこの年もリヤ・サスペンシ ョンにプルロッド方式を採用している。

 
       

 RA168E、ホンダ最後のターボ・エンジン。(ここだけ実車)

 
<アラン・プロスト>

 フランス出身33歳。 80年マクラーレンよりF1デビュー、ワールド・チャンピオンを2回(85,86)獲得。
 冷静沈着で計算された走りをする”プロフェッサー”。
 年間7勝し最速ラップを7戦で記録し総合得点ではセナを上回ったが有効得点制度の為、 優勝が多かったチーム・メートにワールド・チャンピオンを奪われた。
 大雨のシルバーストンで24周で諦める場面もあり、雨が苦手な印象を残す。

<アイルトン・セナ>

 ブラジル出身28歳。84年トールマン(現ベネトン)よりF1デビュー。 この年ホンダ・エンジンを連れてロータスより移籍した。
 ワールド・チャンピオンのチームメイトを相手に年間8勝し、初のワールド・チャンピオンに輝く。
モナコGPではトップを独走中に単独でスピンを起こし、イタリアGPではトップを走るも周回遅れと絡んだりと、 まだまだミスも起こす。
この頃はまだベルガーとチーム・メートになる前で、レースにひたむきすぎる程ひたむきな性格。

<日本GP>

 この時点で有効得点がプロスト84点、セナ79点。
 スタートでポールポジションのセナはエンストを起こす、しかし坂道である事に助けられエンジンは息を吹き返す。 第一コーナーには14位で入り、最終コーナーを抜けて来た時には8位にまで追い上げていた。 この時プロストはフェラーリのベルガーを押さえトップを走っていた。 この時点ではプロスト有利かと思われたが、20週目にはセナは猛烈な追い上げで2位に上がっていた。 一方のプロストは断続的なギア・シフト・トラブルと、一降りした雨にたたられスピードを落としていた。
 プロストは27週目のシケインでチェザリスに引っ掛かり、セナに抜かれてしまった。 その後、セナは濡れた路面に注意しつつも周回遅れをすり抜け、 プロストに6秒の差をつけチェッカーフラグを受け初のワールド・チャンピオンを決めた。
 この年は有効得点制で全16戦中ベスト11戦の得点でワールド・チャンピオンが決まる。
 日本GPのレース結果より有効得点はセナ87点、プロスト84点。 プロストは次の最終戦で優勝すると有効得点は、 2位と1位が入れ替わって3点増え87点となり現在のセナと同点となるが、 優勝回数がセナの方が一つ多いためセナのワールド・チャンピオンが決定した。


モデル
1/43ミニカー ポールズモデルアート社(ドイツ) AYRTON SENNA RACING CAR COLLECTION シリーズ MCLAREN MP 4/4-HONDA TURBO 1988   
参考資料
・「F1グランプリ年鑑1988-89」 CBS/ソニー出版発行
・「F1GPX」88年 ブラジルGP号〜オーストラリアGP号 山海堂発行
・「オートテクノ NO.10」 ビジネス・アスキー発行
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