<ミナルディ>

 74年にジャンカルロ・ミナルディによって設立された。当初はF2に参戦。 76年には手育成の為フェラーリがマシンを託し、2〜3のレースに出場した。 80年から自社製マシンでヨーロッパF2を戦う。アルボレート、ナンニーニ等がドライブした。
 85年に全く新しいモトーリ・モデルニ・ターボエンジンでF1参戦。 初年度は予選落ち一回完走3回最、高位8位とまずまず。 経済的な理由からオフシーズンにテストが出来ず、マシンの信頼性が向上出来なかった。
 88年は信頼性向上の為NAのフォードDFZに変更する。
 アシスタント・マネージャーは日本人の佐々木正。 チーム・オーナー兼監督ミナルディは人柄が良くF1好きで、その人柄から有名無名の人が集まり、チームが成り立っている。 良くも悪くもイタリアのチーム。

<M189>

 M189のデザインは技術監督のアルド・コスタ、トーマソ・カルレッティ、 イギリス出身の空力専門家のナイジェル・コーパースウェイトの3人が担当。
 モノコックは細身。フロントノーズはフラットボトムより5cm程高くなっている。 サイドポンツーンは低く幅の広いタイプ。サスペンションは横置きプッシュ・ロッド。
 前半をフォードのDFRで戦い、スバル−モトーリ・モデルニ水平対抗12気筒エンジンはシーズン途中の投入予定だった。 このエンジンはイタリアのモトーリ・モデル社とスバルの共同開発。 結局ミナルディではテストだけで翌年コローニに移り、本番へ出場。
 ピレリ・タイヤは今年から復帰。早い時期からピレリのテストを担当していたのでピレリ・タイヤではNo.1の扱い。

<ピエル−ルイジ・マルティニ>

 イタリア国籍。85年にミナルディよりF1デビュー。86・87年はF3000に戻る。 88年デトロイトGPでミナルディに復帰し、6位入賞(チーム初ポイント)。 今年の予備予選免除となった。
 ポルトガルGPでは、ピット・ストップで自分のピットを通りすぎたマンセルに変わり一周だけトップを記録した。

<ルイス・ペレス−サラ>

 88年唯一のスペイン人ドライバー。前年ミナルディからF1デビュー。
後にF1にデビューするエレヴァナ・アマーティと婚約中(89年時。その後どうなったのかな)。

<イギリスGP>

 予選は11位、15位でここまでの最高位。
 決勝、マルティニは5週目に23位まで順位を落とす。 その後着々と順位を上げていき、28週目からサラと編隊を組んだ。 38週目にマルティニが前に出て、その後も順位を上げる。  最後はグージェルミンのリタイヤにより5、6位にダブル入賞を果たす。 ここまで入賞のなかったミナルディが、予備予選入れ替えのかかったこの一戦で見事ポイントをゲットした。


モデル
1/43ミニカー シネリウス社(ポルトガル) ONYXシリーズ MINARDI M189    
参考資料
・「GPX総集編 F1GP '89-'90」 山海堂発行
・「F1GPX」89年 ブラジルGP号〜オーストラリアGP号 山海堂発行
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