新審判決紹介123
 
〔キルビー特許事件最高裁判決〕
論点1.侵害訴訟で特許無効理由の存在を認定することが許されるか。
論点2.侵害訴訟で進歩性欠如や先願主義違反等の無効理由についても認定することが許されるか。
論点3.侵害訴訟で、特許に無効理由が存在する場合、差止請求や損害賠償請求はどうなるか。
 
(1審東京地裁平成6年8月31日判決・判例時報1510号37頁・知財管理平成6年判例集U588頁、
2審東京高裁平成9年9月10日・知的財集29巻3号819頁、
最高裁平成10年(オ)第364号債務不存在確認請求事件、同12年4月11日第三小法廷判決 インターネット最高裁HP知的財産権判決速報)
1審、2審、最高裁判決は前号で紹介している。
 
3 研究
3−1 論点1=侵害訴訟で特許無効理由の存在を認定することが許されるか。
3−1−1 本判決で変更された大審院判決
 本判決が変更すべきとして指摘した大審院明治36年(れ)第2662号同37年9月15日判決・刑録10輯1679頁は、原院(控訴院。今の高等裁判所)が特許権侵害罪の成否に関して、当該特許権が公知公用に属するから法律上当然無効の特許であるとして無罪を言い渡したのに対し、「司法裁判所も特許権に関する訴訟を審判するに当たっては特許局において許可したるところにしたがい特許権あるものとして裁判をなすべきであり、特許の内容に立ち入ってその当否を審査し特許権の有無を判定することができないことは特許そのものの性質において全く疑いがない」(文語体であるが適宜口語体に直した。以下同じ。)、「特許局において特許の無効を宣告しない限りは特許権は依然として存立し何人もその無効を主張することはできない」、「特許は特許権なる私権の存立を前提要件とする行政手続ではなく特許そのものを授与するところの一つの行政処分であり特許出願が法定の要件を具備するか否かを検討して特許出願に対する許否を決するのは当該行政庁たる特許局の職権に属する」、「通常裁判所がその効力を判断することができるとするのは特許の効力に重大な影響を及ぼすものであり法律が特許権の許否を特許局の行政処分に委ねた趣旨に反するに至る」等として、無罪判決を破棄したものである。
 また、本判決が変更すべきとしたもう一件の大審院大正5年(オ)第1033号同6年4月23日判決・民録23輯654頁は、硝子腕輪に関する実用新案侵害訴訟であり、大阪控訴院が侵害を肯定したのに対し上告人が公知公用の事実を判断しなかった等の理由で上告したが、特に明確な根拠は説示していないが、「新規の工業的考案をなしたるものとして実用新案登録を受けた以上はたとえその考案が公知公用のものであり実用新案権を付与すべきものでない場合であってもその登録を無効とする旨の審判が確定しない以上当然その効力を失うものではない」等として、上告を棄却した。
3−1−2 無効の抗弁の是非
 この大審院判決と同じく無効の抗弁を認めない説(1)の根拠は、大審院判決に示されているように、主として行政処分の公定力(正当な権限のある機関が取り消すまでは、一応適法の推定を受けて、国家機関を含む何人もその行政処分を無視することができないとする効力)によっている。すなわち、仮に特許権について無効理由があろうとも、正当な権限を有する特許庁が無効の判断を下し確定するまでは、裁判所であっても有効とされている特許権の効力を無視することはできない、というものである。
 一方、一定の範囲で無効理由の存在を侵害裁判所が認定できるとの説もあり、最近では
有力説となっている(2)。
 特許侵害訴訟では、真に保護すべき特許発明をとらえることが公平かつ具体的に妥当な紛争解決策であると考え、より実質的には、無効審判の審理の遅延が著しかったため、侵害訴訟の遅延を来すということも根拠とされていた。また、侵害訴訟の遅延にとどまらず、特許庁の無効審判の判断に長期間を要しただけでなく、裁判所の侵害判断と逆の無効審決が下されたという事例も存在した(3)。
 ところで、特許庁は従来から批判されてきた審理の遅延を解消すべく、例えば特許法168条2、3項を改正し、裁判所と特許庁との間で、侵害裁判が提起された場合は裁判所から特許庁に通知し、特許庁からはその特許権についての審判請求の有無を裁判所に通知する制度を設け、二つの関連する手続がリンクするようにした。それは、訴訟審理・審判手続の迅速化を企図したものである。しかしながら、これによって、審判手続が急に迅速化したとは思えない。審判請求不成立の審決が数ヶ月で出された事実には接したが、逆に無効審決等が数ヶ月でなされた事実は筆者も接していないし、少ない情報網ではあるが周りからも聞いていない(また、最近はとみに東京高裁で審決の取り消される率が高くなっているといわれており、例えば、知的所有権判決速報をウオッチングすればその傾向が容易に把握できる)。これに対し、民事訴訟法6条の改正によってほぼ8割の侵害事件が東京地裁と大阪地裁の各専門部に係属しており、しかも大阪地裁第21民事部では、特許等の侵害訴訟の侵害論を原則300日で行おうとする計画審理を提言し、実施しだしている(4)。したがって、特許庁による審理の迅速化のための枠組みの設定には敬意を払うが、知財専門部を有する裁判所のほうが既にさらに迅速化に向けて走っており、距離は必ずしも縮まっていないのではないかと思われ、一回の手続で紛争を終了させるために無効の抗弁を認めようとする趣旨(5)は今でも生きていることとなる。
 そうすると、特許庁と裁判所の権限分配問題をどのようにとらえるべきか、行政処分の公定力をどの程度画一的にとらえるべきかという視点が重要となる。
 行政処分の公定力に例外が認められないということではない。行政事件訴訟法3条は行政行為の瑕疵を理由とする抗告訴訟を規定しているが、「処分の取消の訴え」(同2項)と「無効等確認の訴え」(同3項)を設けている。なお、行政処分が無効なためには、その行政行為に存する瑕疵が重大であり、かつその存在が外観上明白な場合であることが必要とされている(6)。無効審判と取消訴訟や無効確認訴訟とは要件や効果に異同があるが、いずれにしても行政処分の公定力に例外が認められて、その公定力による拘束力が存在しない場合を想定していることも事実である。したがって、特許付与という行政行為の公定力を一定の場合に無視する制度を認めることは理論的にも肯定されるべきであろう。
3−1−3 最高裁の立場
 最高裁は、まず、「特許法は、特許に無効理由が存在する場合に、これを無効とするためには専門的知識経験を有する特許庁の審判官の審判によることとし、無効審決の確定により特許権が初めから存在しなかったものとみなすものとしている。したがって、特許権は無効審決の確定までは適法かつ有効に存続し、対世的に無効とされるわけではない。」という。ここでは、特許庁と裁判所との権限分配を前提として原則論としての特許法上の制度枠を説明している。
 問題は、原則論としてのこの制度枠に例外を設けるべきか、あるいはそれを一切許さないかどうかであり、この点に関して、最高裁は、さらに「しかし、本件特許のように、特許に無効理由が存在することが明らかで、無効審判請求がされた場合には無効審決の確定により当該特許が無効とされることが確実に予見される場合にも、その特許権に基づく差止め、損害賠償等の請求が許されると解することは、相当ではない。」とした。特に民事紛争は、法的安定性と具体的妥当性の調和にその目的が存在するから、一定の例外が認められてしかるべきであり、もともと無効理由の存在が明白であるなら、それでも特許庁と裁判所は別だ、無効理由があるなら特許庁において無効審決を得ればよい、それまでは訴訟手続を中止することもできる(第168条2項)というのでは、迅速で適正な裁判は望めない。これは、今日通説判例として定着している技術的範囲の解釈原理についての公知技術参酌説と共通項があろう。但し、審判事件が特許庁がいうように12ヶ月内に迅速(的確に)なされるようになれば、状況は完全に変わってくるだろう。侵害訴訟をそれよりも早くというのはかなり困難と思われる。
 そこで、最高裁は、「(一) このような特許権に基づく当該発明の実施行為の差止め、これについての損害賠償等を請求することを容認することは、実質的に見て、特許権者に不当な利益を与え、右発明を実施する者に不当な不利益を与えるもので、衡平の理念に反する結果となる。また、(二) 紛争はできる限り短期間に一つの手続で解決するのが望ましいものであるところ、右のような特許権に基づく侵害訴訟において、まず特許庁における無効審判を経由して無効審決が確定しなければ、当該特許に無効理由の存在することをもって特許権の行使に対する防御方法とすることが許されないとすることは、特許の対世的な無効までも求める意思のない当事者に無効審判の手続を強いることとなり、また、訴訟経済にも反する。さらに、(三) 特許法168条2項は、特許に無効理由が存在することが明らかであって前記のとおり無効とされることが確実に予見される場合においてまで訴訟手続を中止すべき旨を規定したものと解することはできない。」との理由で裁判所であっても無効理由の存否について判断することができるとしたのである。この理由(一)は、衡平の理念を歌っており、同(二)は紛争の迅速な解決と手続の一本化をあげている(但し、「対世的な無効までも求める意思のない当事者に無効審判を強いる」というのは言い過ぎではなかろうか。)。従来の無効の抗弁肯定説が実質的に主張してきた根拠と共通するものである。その結果、「特許の無効審決が確定する以前であっても、特許権侵害訴訟を審理する裁判所は、特許に無効理由が存在することが明らかであるか否かについて判断することができると解すべき」と結論付けており、至極妥当である。
3−2 論点2.侵害訴訟で進歩性欠如や先願主義違反等の無効理由についても認定することが許されるか。
3−2−1  無効理由
 ところで、従来からの無効の抗弁肯定説は、主として、新規性欠如(全部公知)を念頭に置いてきた。これは特許庁と裁判所の権限分配を修正する調和点として、新規性欠如の有無は単一の公知技術からその同一性を判断するものであるから、侵害裁判所であってもその判断は比較的容易にできるだろうとの事実認識があったと思われる。これに対し、本件のように進歩性欠如(第29条2項)の判断や先願主義違反(第39条)までも侵害裁判所に判断させることの当否を検討しなければならない。もっとも、先願主義違反については(あるいは第29条の2の先願範囲の拡大も同じか)については、発明の同一性が問題となるので、部分同一の問題等を除外すれば全部公知と同列に考えることができよう。
 しかし、進歩性欠如の判断になると、なにが容易推考なのか、どの程度が容易推考なのか、その判断は非常に困難となる。進歩性の判断については、審査基準でも一定のメルクマールが規定されているが、各技術分野によって異なる発明の広狭があり、また当業者にとっての自明な事項等の認定による橋渡しによって総合的な判断が要求される等、その判断まで全国の裁判所に権限授与するとなると、過重な負担になるばかりか判断の統一性が取れなくなる可能性もある。それは、行政処分の公定力と行政行為の瑕疵による是正というバランスを崩すことにもなりかねない。
3−2−2 明白性
 そうすると、進歩性については、「明白性」の要件が必要と考えられる(7)。
 この点、無限摺動用ボールスプライン軸受事件最高裁判決(平10.2.24民集52.1.113)は均等論の成立要件を示したが、その要件4において、「対象製品等が、特許発明の特許出願時における公知技術と同一又は当業者がこれから当該出願時に容易に推考できたものでない」ことをあげた。これも進歩性と同様の判断と考えられるが(8)、ここでは、明白性を要件としていない。しかし本判決では、「無効理由が存在することが明らかであるか否かについて判断することができると解すべきである」と明白性必要説に立っているので、前記最高裁判決との関係が問題となる。但し、均等論成立の消極的要件としての要件4であるから、まだ判断がし易いという場面があるといえようか。今後の課題である。
3−2−3 記載不備
 なお、本判決は、無効理由に限定を加えていない。そして、前述のとおり新規性と進歩性についても判断ができるとしているので、その他の無効理由(第123条)についても無効判断ができるとしているのか問題となる。特に明細書の記載不備による無効理由(同1項4号)については意見が分かれると思うが(9)、無効理由としては拒絶理由以上の重要な瑕疵を取り上げているということからすれば、特に差等を設ける必要はないと解する(なお、特許裁判所のように特許侵害事件についての専属管轄が規定されるとより説得力が出ると思われる。)。
3−3 論点3.侵害訴訟で、特許に無効理由が存在する場合、差止請求や損害賠償請求はどうなるか。
 明白な無効理由が存在する場合の処理の仕方としては、実施例限定説、権利濫用説、技術的範囲確定不能説、無効抗弁説、自由技術の抗弁説等が従来から存在し、判例の流れとしては、実施例限定説が主流であったといえる。そして、最高裁の態度は明確ではなかったが、本判決は権利濫用説をとった。
 実施例限定説は、一見巧妙ではあるが、もともとは全部公知のために非侵害とすべく使われたものであるが、実施例に限定しても侵害対象品がその限定された実施例と同じ場合には、行き詰まる。また、権利濫用とは本来は主観的側面(悪意)等が重視されてきたものであって、次第に主観的要素を軽視し権利の行使によって権利者の受ける利益と相手方の被る損害との比較考量して社会全体の利益という標準によってとらえていこうとするようになった流れからすればここで使われても別に異を唱えるほどではないのかも知れないが、大抵は本人が認識していなかった公知技術等の存在によって無効理由が発生するのであるから、なにかしっくりとしない(10)。抗弁説は特許の有効性は維持したまま当該相手方が当該事件限りで抗弁として主張するものであるから、筆者としては非常に魅力を感じる。
 本件では、「その特許権に基づく差止め、損害賠償等の請求は、特段の事情のない限り、権利の濫用に当たり許されない。」として、留保を付している。本件では、分割を二回繰り返しており、原々出願から40年も経過している。当時の特許制度はそういうものであったということで割り切ってしまえばよいのであろうが、なにか抵抗を感じるのは筆者だけではあるまい。したがって、本件に限って言えば権利濫用でも仕方がなかったかと思うが、例えば、全く予想もしない外国での文献による無効理由しかないという場合にも権利濫用というのでは少し奇異に感じる。ただ、このような場合にも「特段の事情がある」とはいえないであろう。例示的な文言にすぎないかも知れない。
3−4 大審院判例の変更
 本判決は、第三小法廷で言い渡されているが、小法廷でも大審院の判例を変更できるかという問題がある。
 裁判所法第10条3号は、「憲法その他の法令の解釈適用について、意見が前に最高裁判所のした裁判に反するとき」は小法廷では裁判をすることができない、と定めている。かつての裁判所施行令第5条では、「大審院のした判決は、これを前に最高裁判所がした裁判とみなす」と規定していたが、その後、最高裁判所裁判事務処理規則第9条で、小法廷で裁判できることと定められ、それ以後、大審院の裁判は、判決でも決定でも小法廷で変更できることとなったようである(11)。
 
(1) 村林隆一「特許侵害訴訟と裁判所の権限」特管44.8.1051、同「特許侵害訴訟における『特許無効』とその対策」パテ48.5.23等。なお、憲法76条2項から行政機関は前審として裁判をすることができ、裁判所といえどもその権限を奪えない、との根拠も示されている。
(2) 特許無効の抗弁を認める立場として、辰巳直彦「特許侵害訴訟における特許発明の技術的範囲と裁判所の権限」年報17.17、同「近代技術保護法制としての特許法と私権としての特許権」年報23.58、田倉整「歪められた権利範囲論」パテ47.5.44、羽柴隆「特許侵害事件における裁判所の特許無効についての判断権限(一)(二)」特管44.11.1501、同44.12.1689、中島和雄「侵害訴訟における特許無効の抗弁・再考」知財管50.4.2000、田村善之「特許侵害訴訟における公知技術の抗弁と当然無効の抗弁」機能的知的財産権の理論58頁、大場正成「特許の無効と侵害」知的財産の潮流101頁、中山信弘「工業所有権法上特許法〔第二版〕419頁、等。
(3) 竹田和彦「特許侵害訴訟と無効審判」知的財産権法・民商法論叢(小坂志磨夫先生松本重敏先生古稀記念)に静岡地裁が特許権侵害訴訟で侵害を肯定し高額の賠償を認容した一ヶ月以内に、三年半かかっていたた無効審判事件で逆の無効審決が出た例が紹介されている。
(4) 大阪弁護士会司法委員会「大阪弁護士会と大阪地方裁判所各部との懇談会」67頁、日経新聞平成12年6月7日一面「司法 経済は問う」。なお、日弁連速報審議会版No.22によれば、2000年6月13日の司法制度改革審議会で、「知財関係事件では、東京・大阪の両地裁への競合管轄制度が導入され、事件の約8割が両地裁で処理されており、社会経済的に見て紛争の適正迅速な解決が最も重要であり、その意味で、知財関係事件の専属管轄化を実現すべき」との発言がなされたそうである。
(5) 中山・前掲419頁、辰巳・前掲56頁も紛争の一回解決性を重視している。
(6) 最判昭37.7.5民集16.7.1437。
(7) 下級審の裁判所でも、例えば、t-PA東洋紡事件・大阪高判平6.2.25判時1492.25、油圧式トルクレンチ事件・大阪高判平7.6.29速報6941、アイロン掛け台事件・大阪地判平7.10.31等が進歩性の判断をしている。なお、辰巳・前掲54頁注66)に他の裁判例が紹介されている。多くの肯定説は進歩性の欠如が一見明白であることで限定を加えている。
(8) 例えば、松本重敏「特許発明の保護範囲〔新版〕」388頁参照。
(9) 小池豊「全部公知その他無効理由を有する特許権による権利行使について」現在裁判法大系26知的財産権164頁。
(10) 小池・前掲は従来の説を類型化しているが、権利濫用説に批判的である。なお、意匠事件で公知意匠の抗弁を認めたものとして東京地判平9.4.25知的裁集29.2435。
(11) 兼子一・竹下守夫「裁判法〔第四版〕」法律学全集34、175頁。