新審判決紹介122
 
〔キルビー特許事件最高裁判決〕
論点1.侵害訴訟で特許無効事由の存在を認定することが許されるか。
論点2.侵害訴訟で進歩性欠如や先願主義違反等の無効事由についても認定することが許されるか。
論点3.侵害訴訟で、特許に無効理由が存在する場合、差止請求や損害賠償請求はどうなるか。
 
(1審東京地裁平成6年8月31日判決・判例時報1510号37頁・知財管理平成6年判例集U588頁、
2審東京高裁平成9年9月10日・知的財集29巻3号819頁、
最高裁平成10年(オ)第364号債務不存在確認請求事件、同12年4月11日第三小法廷判決 インターネット最高裁HP知的財産権判決速報)
 
1.事案の概要
1−1 紛争の概要
 本件は、原告が富士通、被告がテキサス インスツルーメンツ インコーポレーテッドであり、原告の半導体装置〔イ号物件は、1メガビット・ダイナミック・ランダム・アクセス・メモリ(1メガDRAM)、ロ号物件は32キロビット・プログラマブル・リード・オンリー・メモリ(32KPROM)〕の製造・販売について、被告が原告に対して発明の名称「半導体装置」にかかる特許第320275号の特許権(このもとになった米国特許は、半導体集積回路に関する基礎的な発明者の1人として有名なジャック・キルビー氏の発明にかかるものであり、一般に「キルビー特許」等と言われており、本稿でも「本件特許」あるいは「キルビー特許」という。)の侵害を理由とする損害賠償請求権を有しないことの確認を求めたものである(なお、逆に被告から原告に対し同じ特許権に基づく製造販売禁止仮処分の申立も存在した)。
 もともと、原告被告間には、従来半導体装置に関する特許について期限を平成2年12月末日までとする相互実施許諾契約が存していたのであるが、被告が日本においてキルビー特許を取得したのに伴って右契約の更新に際し、キルビー特許が半導体集積回路についての基本特許であって原告を含む日本の業者が製造販売する右装置のほとんど全てがこの発明の技術的範囲に属すると主張し、このことを理由にして原告に対してもイ号物件及びロ号物件を含む種々の半導体装置につき、原告の売上額に対する実施料相当額の金銭支払を要求していたという背景事情があった。 
 
1−2 キルビー特許の出願経過 
(1) 出願日(特願昭35ー3745号(以下「原々出願」という。)の出願日)
 昭和35年2月6日(1959年(昭和34年)2月6日米国特許出願第791602号に基づく優先権を主張)
 なお、この原々出願は昭和40年6月に出願公告、昭和52年6月に特許登録、昭和55年6月に存続期間満了により消滅。
(2) 原々出願に基づく分割出願(特願昭39ー4689号。以下「原出願」という。)の出願日
 昭和39年1月30日(前記米国特許出願に基づく優先権を主張)  
(3) 原出願に基づく分割出願の出願日(特願昭46ー163280号)
 昭和46年12月21日(前記米国特許出願に基づく優先権を主張)
(4) 出願公告日 昭和61年11月27日(特公昭61ー55256号)
(5) 登録日 平成元年10月30日                        登録番号 第320275号                           現行特許法では、出願から20年で特許権は消滅するが、キルビー特許では、昭和35年4月から施行の昭和34年法(出願から20年と出願公告から15年という枠があった)の前の大正10年法が適用され、この大正10年法では特許権は出願公告から15年という規定しかなかったため、いわばサブマリン特許が存在し得たのである(キルビー特許が有効であれば2001年まで存続し得たことになる)。
 
1−3 キルビー特許の内容
 キルビー特許の構成要件を分説すると、次の構成を有する電子回路用の半導体装置である。
A1 主要な表面及び裏面を有する単一の半導体薄板を有すること。         A2 右半導体薄板は複数の回路素子を含んでいること。              A3 右回路素子のうち、右薄板の外部に接続が必要とされる回路素子に対して電気的に接続された複数の引出線を有すること。                      a 右各回路素子は、右薄板の種々の区域に互いに距離的に離間して形成されていることb 右各回路素子は、右薄板の主要な表面に終わる接合により画定されている薄い領域を少なくともひとつ含んでいること。                        c1 不活性絶縁物質が右薄板の表面上に形成されていること。           c2 複数の回路接続用導電物質が、右薄板の表面上に、右不活性絶縁物質上に被着され形成されていること。                              d1 右各回路素子中の選ばれた薄い領域が右回路接続用導電物質によって電気的に接続されていること。                                d2 かかる電気的接続により右各回路素子間に必要なる電気的回路接続がなされ、電子回路が達成されていること。                           e 右電子回路は、右各回路素子及び右回路接続用導電物質によって、本質的に平面状に配置されていること。 
 
1−4 1審における原告の主張
 原告は、被告装置の構成がキルビー特許の構成要件のすべてについて充足しないとし、また、分割出願が不適法であるとした。
 
1−5 1審判決
 1審判決は、「特許発明の技術的範囲を定めるに当たっては、特許請求範囲の記載を、発明の詳細な説明の記載及び図面に照らして解釈して定めるべきであり、右解釈に当たっては、出願当時の技術水準を示す公知技術、出願人が出願過程で表明したその意図をも参酌することができる」とし、また「特許発明の技術的範囲に、特許権を侵害するものとされる物件が属するか否かの判断に当たっては、その特許発明の構成要件に対応する右物件の要素が出願当時には開発されておらず出願後に現れた技術であっても、それが当該特許発明の構成要件を充足する限り、その技術的範囲に属すると解すべきであり、出願当時には存在しなかった技術であるからという理由で、当該特許発明の技術的範囲に属しないとすべきではない」等と説示した。
 そして、キルビー特許の構成要件A2「右半導体薄板は複数の回路素子を含んでいること」にいう電子回路用の半導体装置とは、特許請求範囲に記載された要件をすべて充足するような、複数の回路素子、回路接続からなると認められる電子回路のみを備えた半導体装置を意味し、単一の半導体薄板の一部に本件発明の構成要件をすべて充足する電子回路があり、その余には本件発明の構成要件を充足していない電子回路があるといった半導体装置とか、単一の半導体薄板に含まれない回路素子や単一の半導体薄板に含まれてはいるが特許請求範囲に記載された要件を充足しない回路素子をその一部に含む電子回路がある半導体装置を意味するものではない、また構成要件a「右各回路素子は、右薄板の種々の区域に互いに距離的に離間して形成されていること」にいう「互いに距離的に離間して形成され」るとは、複数の回路素子間に存在する半導体薄板の有するバルク抵抗を利用することによって、複数の回路素子を電子回路を達成するために必要な程度に電気的に絶縁し、あるいは抵抗接続することを意味し、その間に計算上必要な物理的な間隔を設けることを意味すると認められる」等から、被告装置はこれらの構成要件を充足しないとして、原告の請求を認容した(同時に被告からの仮処分命令の申立は却下された)。
 なお、キルビー特許の内容と被告装置の構成については、知財管理平成6年判例集Uの648頁以下に詳細な図面が掲載されており、また判例時報1510号37頁の判決にも一部図面が掲載されている。
 
1−6 2審判決
 2審では、上記の論点には触れず、本件発明の構成要件c2「複数の回路接続用導電物質が、右薄板の表面上に、右不活性絶縁物質上に被着され形成されていること」の被着についての判断(被告装置の構成はそれを充足しないとした)と、分割出願の適法性について判断した。
 分割出願の適法性については、「本件発明(分割出願に係る最終的な補正後の明細書の特許請求の範囲に記載された発明)は、原発明(原出願の最終的な補正後の明細書の特許請求の範囲に記載された発明)と実質的に同一といわなければならないことは前示のとおりであるから、本件分割出願は不適法であって、出願日遡及の利益を享受することができない したがって、本件分割出願は、その実際の出願日である昭和46年12月21日に出願されたものとして、当時施行されていた特許法(昭和34年法律第121号)の適用を受けることになり、同法第67条第1項(平成6年法律第116号による改正前のもの)ただし書の規定により、本件特許権の存続期間は、「特許出願の日から20年をこえることができない」ものであるといわなければならず、そうすると、平成3年12月21日の経過により、その20年の存続期間は満了し、本件特許権は消滅に帰したものである。すなわち、同年同月22日以降については、本件特許権に基づく損害賠償請求権が発生する根拠はないから、イ号物件、ロ号物件が本件発明の技術的範囲に属するかどうかの後記の検討を待つまでもなく、イ号物件、ロ号物件の製造及び販売につき、同日以降の損害賠償請求権が発生する由はなく、損害賠償請求権の不存在の確認を求める被控訴人の本訴請求のうち、同日以降の分については、すでに理由があり正当として認容すべきものである。また、本件発明が原発明と実質的に同一の発明であって、本件発明に係る出願(本件出願)が分割出願として不適法である以上、本件出願は、原出願に遅れて、原発明と同一の発明につき特許出願したものとして、特許法第39条第1項の規定により本来特許されるべきものではなかったものであるから、本件特許は無効とされる蓋然性がきわめて高いものといわなければならない。のみならず、原発明については、前示東京高裁昭和55年(行ケ)第54号審決取消訴訟の昭和59年4月26日判決の確定により、公知の発明から容易に推考される発明として拒絶査定が確定しているのであるから、原発明と実質的に同一である本件特許についても、この理由による無効事由が内在するものといわなければならず、このような無効とされる蓋然性がきわめて高い特許権に基づき第三者に対して権利を行使することは、権利の濫用として許されるべきことではない。この理由からすれば、被控訴人の本訴請求はすべて理由があり、認容すべきものである。なお、被控訴人は、本件特許権の存続期間の満了による消滅及び権利濫用の抗弁をそれとして明示してはいないが、本件発明と原発明が実質的に同一であることを理由とする本件分割出願の不適法を主張し、本件特許が無効とされるべきことを述べている以上、これらの抗弁を基礎づける事実は弁論に上程されているものと認めて差し支えないというべきである。」と判示した(同時に仮処分事件も抗告棄却となっている)。 
                              
2.最高裁判決 
 最高裁は、東京高裁の判決を支持して上告を棄却した。
 
2−1 事実関係等
2−1−1 事実関係 
 1 上告人(1審被告、2審控訴人)は、発明の名称を「半導体装置」とする特許権を有している(以下、右特許権を「本件特許権」といい、その発明を「本件発明」という。)。
 2 本件発明は、「原出願」(その発明を「原発明」という。)から、昭和46年12月21日に分割出願(以下「本件出願」という。)されたものであるところ、原出願は、昭和35年2月6日に出願された発明から昭和39年1月30日に分割出願されたものである。
 3 原出願については、原発明が公知の発明に基づいて容易に発明することができるものであることを理由として、拒絶査定が確定した。
 4 本件発明と原発明は、実質的に同一である。
 5 被上告人は、業として第一審判決別紙イ号物件目録及びロ号物件目録記載の半導体装置を製造販売している。
 
2−1−2 原判決の要約
 1 本件出願は、これが原出願の適法な分割出願であるとすれば、旧特許法(昭和34年法律第122号による廃止前のもの)9条1項の規定により、原出願の時にされたものとみなされる。しかし、本件出願は、分割出願として不適法であるから、原発明と同一の発明につき原発明に後れて出願したものであり、本件特許は、特許法39条1項の規定により拒絶されるべき出願に基づくものとして、無効とされる蓋然性が極めて高いものである。
 2 また、本件発明は、公知の発明に基づいて容易に発明することができることを理由として拒絶査定が確定している原出願に係る原発明と実質的に同一であるから、本件特許には、この点においても無効理由が内在するものといわなければならない。
 3 このような無効とされる蓋然性が極めて高い本件特許権に基づき第三者に対し権利を行使することは、権利の濫用として許されるべきことではない。
 
2−1−3 上告理由
 原審1、2の各判断の違法をいうとともに、同3記載の判断について、特許権侵害訴訟においては、特許権を有効なものとみなして対象物件が技術的範囲に属するか否かを判断すべきであるにもかかわらず、本件特許権を実質上無効とする判断を行った原判決には、法令違反、審理不尽及び理由不備の違法がある旨主張する。
 
2−2 最高裁の判断
 「本件については、先願である原出願について拒絶査定が確定しているけれども、先願の特許出願につき拒絶査定が確定したとしても、その特許出願が先願としての地位を失うものではないから(平成10年法律第51号附則2条4項、右法律による改正前の特許法39条5項参照)、本件出願は特許法39条1項により拒絶されるべきものである(最高裁平成3年(行ツ)第139号同7年2月24日第二小法廷判決・民集49巻2号460頁参照)。また、本件発明は、公知の発明に基づいて容易に発明することができることを理由として拒絶査定が確定した原出願に係る原発明と実質的に同一の発明であるから、本件特許は同法29条2項に違反してされたものである。したがって、本件特許に同法123条1項2号に規定する無効理由が存在することは明らかであり、訂正審判の請求がされているなど特段の事情を認めるに足りないから、無効とされることが確実に予見される(なお、記録によれば、本件特許については、原判決言渡し後の平成9年11月19日、無効審決がされ、審決取消訴訟が係属中である。)。
 そこで、進んで原審の判断について検討する。
 なるほど、特許法は、特許に無効理由が存在する場合に、これを無効とするためには専門的知識経験を有する特許庁の審判官の審判によることとし(同法123条1項、178条6項)、無効審決の確定により特許権が初めから存在しなかったものとみなすものとしている(同法125条)。したがって、特許権は無効審決の確定までは適法かつ有効に存続し、対世的に無効とされるわけではない。
 しかし、本件特許のように、特許に無効理由が存在することが明らかで、無効審判請求がされた場合には無効審決の確定により当該特許が無効とされることが確実に予見される場合にも、その特許権に基づく差止め、損害賠償等の請求が許されると解することは、次の諸点にかんがみ、相当ではない。
 (一) このような特許権に基づく当該発明の実施行為の差止め、これについての損害賠償等を請求することを容認することは、実質的に見て、特許権者に不当な利益を与え、右発明を実施する者に不当な不利益を与えるもので、衡平の理念に反する結果となる。また、(二) 紛争はできる限り短期間に一つの手続で解決するのが望ましいものであるところ、右のような特許権に基づく侵害訴訟において、まず特許庁における無効審判を経由して無効審決が確定しなければ、当該特許に無効理由の存在することをもって特許権の行使に対する防御方法とすることが許されないとすることは、特許の対世的な無効までも求める意思のない当事者に無効審判の手続を強いることとなり、また、訴訟経済にも反する。さらに、(三) 特許法168条2項は、特許に無効理由が存在することが明らかであって前記のとおり無効とされることが確実に予見される場合においてまで訴訟手続を中止すべき旨を規定したものと解することはできない。
 したがって、特許の無効審決が確定する以前であっても、特許権侵害訴訟を審理する裁判所は、特許に無効理由が存在することが明らかであるか否かについて判断することができると解すべきであり、審理の結果、当該特許に無効理由が存在することが明らかであるときは、その特許権に基づく差止め、損害賠償等の請求は、特段の事情がない限り、権利の濫用に当たり許されないと解するのが相当である。このように解しても、特許制度の趣旨に反するものとはいえない。大審院明治36年(れ)第2662号同37年9月15日判決・刑録10輯1679頁、大審院大正5年(オ)第1033号同6年4月23日判決・民録23輯654頁その他右見解と異なる大審院判例は、以上と抵触する限度において、いずれもこれを変更すべきである。
 以上によれば、本件特許には無効理由が存在することが明らかであり、訂正審判の請求がされているなど特段の事情を認めるに足りないから、本件特許権に基づく損害賠償請求が権利の濫用に当たり許されないとして被上告人の請求を認容すべきものとした原審の判断は、正当として是認することができる。右判断は所論引用の判例に抵触するものではなく、原判決に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。」(裁判官全員一致の意見)
 
3 研究
 次回